宮本の場合 1
ストラスのカメラは宮本と呼ばれた青年の車の中にいた。宮本の車は福音の鳥の会と書かれた銀に光る翼を広げた鳥の形プレートのついた、立派な建物の中に吸い込まれていく。彼はいわゆる福音の鳥の会の二世会員で母親が所属していたから必然的にそうなっただけだった。今の生活は悪くないが、いつまでもこんなことを続けていていいのだろうかという疑問が時々頭の隅を過ぎらない訳ではなかった。彼の稼ぎは大学進学への必要経費を肩代わりしてくれた、福音の鳥の会に月々の返済金としてほぼ充当されるため、いくらバイトをしても手元に残るのは少ない額だった。ベッドと最低限の荷物のある部屋に戻る前に車の中で少し休憩をする。シートを倒したところでスマホが鳴った。
「はい…今、駐車場です。はい、今行きます…」
休憩を台無しにされた彼は舌打ちをして車から降りる。今日はまた別の誰からがこの車を使うらしい。助手席から荷物を取って降りると彼は鍵を返しに受付に向かった。夜間は美しい若い女性ではなく、初老の男性が担当している。くたびれた様子の男に鍵を渡して名前を記入する。宮本海晟それが彼の名だった。初老の男性は彼を見ると嫌な笑い方をして、カードキーを渡す。
「星の間から呼び出しだよ」
星の間で何が行われているのかを知っているのだろうかと彼は訝しむ。ニヤニヤ笑うその顔に侮蔑の眼差しを送ると、彼は怖い怖いとわざとらしく言って肩をすくめた。会話をするのもバカらしくて、そのまま星の間へと向かう。部屋に入る前に隣の着替え室でスーツに着替え髪をなでつける。荷物をロッカーに入れて鍵をかけた。カードキーをかざして星の間に入ると、始祖の娘の園部映美がいた。彼女は宮本と同い年の二十歳だった。
「おかえりなさい。小娘相手に随分と手間取ってるみたいだけど実際のところどうなの?」
映美はシャンパンを飲みながら言った。彼女の隣には最近お気に入りの高嶋英二がいて同じくシャンパンを飲んでいた。彼はすでに酔っていて、赤らんだ顔で優越感に浸った眼差しを向けてきた。一方で給仕に徹する下山柚月は能面のように無表情だったが、彼女が腹を立てているのは容易に想像がついた。
「…現在、急激な魔力欠乏で眠っている生徒は六名で、そのうち一人はどういう訳か、こちらが接触する前に目覚めてしまいました…妻の父親がタワマンを所有している優良物件だったので残念ですが…」
宮本はリストのバツ印を見ながら告げた。
「それで、荻原家の長男はどう?使えそうなの?」
映美がナッツをつまんで尋ねる。
「長男の方はあの家を出たがっていますから、少し餌を撒けば協力する可能性は高いですね。長女の方は…あまり要領が良くないので、もう少し時間がかかるかと。まだ子どもですから。母親の方は警戒心が高くて…僕の手には負えません」
宮本が言うと、映美は甲高い笑い声を立てた。
「どの口が言ってるの?桜庭助教授を手玉に取ったあなたなら可能なんじゃないの?」
宮本は思わず嫌な顔をしてしまった。本来の性格と異なる人物を演じるのは思いの外疲れるのだ。桜庭助教授のときは、たまたまうまくいったに過ぎない。そのとき再び宮本のスマホが振動した。ちらりと見た彼は、着信画面を見せた。
「…研究室の方から呼び出されましたので…失礼致します」
「すみません、私も呼ばれました」
下山が小声で告げる。高嶋がさすがにハッとした顔をしてこちらを見たのが分かった。下山は高嶋の契約パートナーだったからだ。ただし入会するまでは。入会して高嶋は相性の問題から映美の専属となった。それまでは時折呼ばれていた宮本にはまったく別の仕事が与えられた。映美は底意地の悪い性格だったから高嶋がかつては下山の契約パートナーだったと知りながら、今日も彼女の目の前でベタベタ触れ合っていたのだ。研究室に来る際に、誰か指名しろと言われたから、何となく宮本はリストの中にあった下山の名前を書いた。他に思いつかなかっただけだったが、それが思いの外、高嶋のみならず映美をも不快にさせたことに、宮本は気付いていた。映美の顔から笑みが消え去る。
「…海晟のくせに、生意気ね」
「僕は何もしていませんよ」
彼は一礼して下山を待たずに先に出る。指名しなければランダムに割り振られるだけだから知るのはリストを提示した医師のみだ。遅れてロッカーに現れた下山は小声で言った。
「ありがとう…助けてくれて」
「別に。僕は今日の給仕係がまさか君だと思ってなかったから。たまたまだよ」
彼は足早に地下の研究室の方へと向かう。研究室に行くのにホッとしている自分はどこか感覚がおかしいのかもしれないと思ったが、後ろからついてきた下山も先ほどまでの強張った表情から一転して、過度のストレスから解放された表情を浮かべていた。
「ねぇ…あの、宮本くんって、どうして入会したの?」
下山に聞かれて彼は苦笑するしかなかった。
「自分の意思じゃないよ。母親が入会して自分も物心つくときにはここにいた。だから外での生き方をよく知らないんだ…」
「そう…だったの。私は…高嶋に騙されて…って言ったら言い方が悪いね、ごめん。入会したら彼…すっかり変わってしまった…こんなことになるなら、少しくらい辛くても前のままで良かったのに…もう本来の目的なんか忘れてる…」
下山は疲れたように微笑む。目の下にひどいクマができている。よく眠れないのだろう。肌も荒れているのが近付くと分かる。それでも化粧でそこそこ誤魔化してはいるが、魔力も足りていないのは明白だった。話しているうちに研究室に到着する。ドアの外のインターホンを押すと、モニターに子どもの頃から世話になっている杉田医師が映り込んだ。
「入っていいよ」
ドアが開く。中に入ると奥のベッドに横たわった人物のデータを助手が確認しているところだった。数種類の魔力回復薬を併用している。以前宮本もやったが、気分が悪くなって吐いたのを思い出した。宮本は魔力回復薬との相性が悪い。幼い頃はよく寝込んでいた。
「下山くんは見るからに体調が悪そうだから、一時的に宮本くんに解消してもらいなさい。宮本くんはこう見えて古参だから、やり方は色々と知っているんだよ。お嬢さまのワガママに付き合わされて疲れただろう。宮本くん、後は頼んだよ」
脳波と魔力の測定器を二人は頭に装着されて、別室に通された。測定器自体は大袈裟なものではないから、そこまで邪魔にならないとはいえ、目の前にダブルベッドがあり、それを見た下山がたじろぐ気配がした。
「あの…解消って…」
下山はどこを見ていいのか分からないといった様子で結局うつむいて小声を出す。医師の杉田は意に介さずに言った。
「下山くんは薬に対するアレルギー反応が強く出るから、魔力回復薬は使用しない方がいいだろう。入会したときそう言っていたよね。パートナーとも魔力が上がらないと。要するに相性が悪かったんだ。だから、これから上がりそうな組み合わせを探す。まずは宮本くんから。大丈夫だよ。彼は優しいから。それに高嶋くんとは魔力の種類が違う」
「…魔力の種類…?」
下山は不思議そうな声を出した。
「今ようやく民間企業も着手を始めて個別の回復薬を手軽に売り出そうという動きが始まっているが…前々からそんなものは分かっていたんだよ。それでも人は合わない魔力の者にも好意を寄せてしまう。君のようにね。むしろ下山くんと高嶋くんの魔力の相性は最悪な部類から数えた方が早い。しかも女性の方に悪影響が出る。不眠に耳鳴り、幻聴、頭痛など…思い当たる節はあるんじゃないのかい?それで長い間我慢してパートナー契約を続けていたらどうなるか知っているかい?君は早死にするよ?」
「えっ…!?そんな!!」
下山は困惑して宮本を見上げる。彼は頷いた。
「福音の鳥の会はそんな、無駄な恋愛感情やら情といったものに固執せずに、個人の健康を維持して健やかな生活を送れるようサポートすることを目的の一つとして掲げた集団…そう思ってくれていい。ま、他にも目的は色々とあるが…だから、君が宮本くんに対してどんな感情を抱こうがそれは二の次なんだ。君だってまだ若いのに死にたくはないだろう?理解できたなら不調を解消してもらいなさい。良かったじゃないか、君は当たりだよ。会員の誰もが宮本くんのように爽やかな容姿をしている訳ではないからね。じゃ、ごゆっくり」
杉田が出て行ってしまうと、どこか気まずい沈黙が部屋を支配した。そんなのはいつものことだ。宮本はベッドに座ると下山を手招いた。
「いやなら…別に隣に座って話しているだけでもいいんだよ。無理強いすると悪影響が出ることは、すでにデータで証明済みだから…」
宮本は遠慮がちに座った下山の頭を撫でる。少しずつ慣らせば大抵の相手は落とせる。それに下山はそこまで自分のことを嫌ってはいないことも分かっていた。クセのない無害そうなこの容姿はわりと役に立つ。
「高嶋くんのことが…まだ好き?」
下山は首を横に振る。
「あんなのを見せられて…好きでいられる方が…どうかしてる…私の目の前で平気でキスして…ベタベタ触って…」
宮本は下山の頬に触れて唇を重ねた。
「こんな風に?それとも…もっと?」
「もっと…たくさん…」
下山の瞳から涙が溢れる。それでもまだ恐らく好きなのだろうと宮本は思った。別に気にしない。宮本は涙を拭って再びキスをする。相手が嫌がっていないので、その次のステップに移る。宮本にとっては、これもバイトの一つだ。わりと高額だし魔力も上がるし悪くない。それに下山は嫌いじゃない。美人ではないが少し幼い可愛らしい顔立ちをしている。宮本は下山と唇を重ねながら柔らかなベッドに倒れ込んだ。




