少年ジーン&少女リツの場合 9
プール授業の後もジーンは少しピリピリした空気を出していた。更衣室の一件からジーンは鈴本と滝野を心底軽蔑しているようだった。仮に彼の正体が魔界の国王陛下だと知っていたなら、二人ももう少し殊勝な態度を取って見せたかもしれない。だが、鈴本はジーンが悪魔だと言ったことをまだ完全に信じてはいなかったし、滝野に至ってはその会話を交わしたことすら知らないのだった。結果として二人は魔界の国王陛下の不興を買うという、何が何でも本来ならば避けるべき事態を自らが招いたことにまだ気付いてはいなかった。今のところクラスメイトの中でジーンが魔王だと公表して、それを他の者には話さずそれでも信じているのは吉野瞳のみだった。
(滝野の転生前は…どこぞの令嬢の下女…令嬢を毒殺?なるほど他に依頼主がいた訳か…鈴本は…サーカス団の団員…ライバルを事故死に見せかけてトップに躍り出る…札付きの中では地味ではあるが…生来の貪欲さがにじみ出ているな…元々持っている性格を変えるのは難しいと…つまりは、そういうことなのだろうな)
タブレットの裏画面を操作してジーンはストラスに調べさせた情報を開きながら、授業の方も一応は耳に入れていた。今日は専科の教員が来ていて日本語の授業をしている。この国の人間の考え方を学ぶ上では役に立つ。何気ない言葉遣いだったり説明の仕方一つ取っても、悪魔とは違う部分があって面白いと思ったりもした。専科の教員はというと、授業をしながらも契約パートナーが他の女性とただならぬ関係になっていたことに対して腹を立てていた。必死に自身を律してはいるが、いつもより黒板に書く文字に力が入ってチョークをもう二本も折っている。彼女が黒板に向かっている間に鈴本は滝野に小さく折りたたんだ紙を渡した。授業中にコソコソ何かやり取りをしている。ボキッとチョークが折れて半分が転がり落ちる。慌てて振り返った専科の教員は、滝野が紙を開いて何かを見ているのに気付いた。
「滝野さん、何を見ているんですか?」
専科の教員はツカツカと滝野に歩み寄る。滝野は慌てて紙を隠そうとしたが、専科の教員がそれを没収する速度の方が早かった。紙を開いたそこには、明らかに専科の教員と分かる似顔絵がデフォルメされていた。
「今は図画工作の時間ではありませんよ。誰が描いたんです?」
「……」
「あなたですか?」
「違います!鈴本さんです!」
鈴本は滝野を見てあり得ないという顔付きになった。
「鈴本さん、あなたが描いたんですか?」
「……はい」
鈴本は歯ぎしりしそうな様子で不承不承返事をした。
「風刺画が得意なんですね。授業が終わったら二人は職員室に来て下さい。養父母は立派な方かもしれませんが、その上にあぐらをかいているだけでは、社会に出たときに困りますよ?せっかく手に入れた幸運を掴み取るのもみすみす逃すのも…全てはあなた方が何気なく行っている日々の積み重ねの結果です。人を不快にさせてあなた方は今は楽しいのかもしれませんが…そんなことばかりしていると、いつか痛い目に遭いますよ?」
専科の教員がそう言ったところでチャイムが鳴った。日直が挨拶をする。ジーンは静かに頭を下げる。皆が休み時間に入る中、鈴本と滝野が専科の教員の後ろをついてゆくのが見えた。次の授業が始まる直前に二人は戻ってきたが、鈴本は滝野に対して怒っていた。
「私の名前出すとかありえないんだけど!」
「だって、似顔絵描いて渡してきたのはそっちでしょ?別に描いてなんて言ってないし」
「退屈だっていうから、笑わせようとしてあげたのに」
「授業中に笑わせようとする方がおかしいから!だいたい、ジェシカがいないからって、ふざけ過ぎ!」
「クラスメイトが一人、目が覚めないってだけでどうしてお葬式みたいに黙らなきゃなんないの?ヒメノは魔力欠乏なだけなんでしょ?もう何日かしたら起きるって、お医者さんも言ってたんだから、死んじゃったみたいに暗い顔してる方がひどいって言ってんの!!もう、やってらんない!それにカズミ、本当はヒメノをグループに入れたことに反対だったんでしょ?だからヒメノが来ない方がいいって思ってる!なのに仲良しみたいな顔してる方が気持ち悪い!」
「サナ!ちょっと!その言い方ひどいんだけど!」
女子二人がケンカを始めたので入江が面倒そうに立ち上がった。
「二人とも止めなよ。少しは鏡でも見て自分たちがどんな顔して言い合いしているのか客観的に見て冷静になった方がいいと思うよ」
ジーンはさすがに露骨に口に出さなかったものの、要するに見るに堪えない醜悪さだと思っている入江の心情が手に取るように伝わってきて、思わず笑いそうになってしまった。確かにこんな女子の言い争いを日々目撃していたら、女嫌いにもなるかもしれないとも思った。入江の言葉の意味をきちんと理解し切れなかった二人が黙り込んだところで、教室に担任が現れた。
「…どうかしたのかい?」
担任の言葉に入江はニコリと笑う。
「いいえ、何でもありません。二人の間にちょっとした行き違いがあっただけです」
担任はここ最近問題続きの滝野と鈴本の顔を見る。入江が口を開いてゆっくりと言った。
「仲直りできるよね?」
その瞬間入江が魔力を使ったのをジーンとリツは感じた。滝野と鈴本はお互いの顔を見合わせた。
「ごめん、言い過ぎた」
「私も…ごめん」
二人は謝って席につく。
(どういうこと?)
リツは思わずジーンに問いかけた。
(入江が魔力を使ったな。そんなに有り余るほど魔力は持っていないはずなのに面白いな。入江は希望転生者…か。なるほど。こちらの世界に何らかの用事があって干渉している…と考えるべきなのか…それか…本人にはその自覚がない…その可能性もあるな。ヨシノが怖いと言うのもこういったことが原因なのかもしれない)
(二人はちゃんと納得して仲直りしたの?それとも一時的な効果?)
(どうだろうね。入江の魔力がどの程度のものなのかも含めて、その効果を観察してみるとするか。面白いね)
(ジーン楽しんでるし…)
リツは眉を寄せる。
(未知との遭遇を楽しまずしてどうする?知的好奇心を満たされても我々悪魔は高揚感を得られる…まぁ、リツを抱くことに比べれば些細なものだが…)
(もうっ!四年生の格好でそんなこと言わないで!)
リツは自分の顔が赤くなっていないか少し心配になった。ジーンの笑い声が心の中に響く。やはりそういうところは悪魔だとリツは思った。
***
朝からプール授業だったため、学食の食券を買えなかったジーンが食堂で通常のデザートを選ぼうとしていると、ベルフェゴール大佐がやってきた。彼はプレミアムデザート三種類をトレーに乗せてやってくると、ジーンに言った。
「お好きなものをどうぞ。リツさんの分もあります」
「気が利くな」
ジーンはニヤリと笑ってババロアとチョコレートプリンを取る。そんな彼を異様な物を見るように遠巻きにしている六年生の男子がちらほら見えた。
(あいつらか?襲撃を依頼したのは。本人たちは大したこともなさそうだな。顔は把握したから今夜あたり悪夢でもお見舞いしておこう…)
(そうです。悪夢…六年生にもなって、怖くておねしょでもしたら面白いんじゃないですかね )
「ベルー早く!」
「ベル!!」
可愛らしい六年生の女子たちが彼を手招く。
「あー今行く」
(寄せられる好意でも魔力は上がりますからね。若いエネルギーはこれはこれで旨い。ま、ちょっと若過ぎですけどね)
(やれやれ、これだから大佐は。今日は一方的にやられるなよ。ケンカを売られたら程々に反撃しておけ)
(分かりましたよ)
大佐は女子たちの方へと歩み去る。リツはすでにヒトミの隣に座っていた。リツの横を一つ空けて六季が座っている。当然のようにジーンはそこに座ると、リツに聞いた。
「どっちがいい?ベルがくれた」
「わ!じゃあ…今日はチョコレートプリン…でもババロアも気になるなぁ…」
「だったら半分ずつ食べようか」
「うん」
「二人…本当に仲いいね」
ヒトミが小声で言ってきたのでリツは少し恥ずかしくなった。仲が良いのは事実だ。見た目通りの小学生でもないのだし、そもそも結婚もしている。
「今日は動きがあったよ…一人目覚めて…別の一人が欠席してる。明日も明後日も欠席するようなら、事件との関連を疑うべきかもしれないね…」
小声で六季が言う。ジーンは頷いた。
「こちらは一人…。昨日少々問題を起こしたからそれで欠席した可能性が高い。もう一人はまだ休んだままだ」
「ムツキ、今日お見舞いに行くって言ったら親にダメって言われちゃって…」
隣でフミヤが残念そうな声を上げた。
「感染症だとか、そういった方面を疑っているのかもね。仕方ないよ。僕は許可をもらったから行ってくるよ。親同士、顔見知りだしね。そうじゃない保護者に子どもを任せるのが心配な親もいるだろうし…」
六季の言葉にヒトミが肩をすくめた。
「うちは…子どもの意思を尊重するって言いながらの放任主義だから…私はお姉ちゃんたちみたいにお金も稼げないし…要するに期待外れってことなんだなって思ってる」
「ヒトミってお姉ちゃんいるんだ。もう働いてるの?」
「うん、中学生の姉は子役。一番上のお姉ちゃんはモデル。私は無芸の穀潰し。私なんか家にいない方がいいのかも…血の繋がりもないし…」
ヒトミは自嘲的に言った。
「吉野ん家はさ、上が出来すぎなんだよ。気にすることはない。僕だって、兄たちと比べたら全然だし。今は独りっ子になったからまぁ多少は気楽になったけどね」
六季がフォローしたことに、リツは少し驚いた。そして六季がそんなわだかまりを抱えていたことにも初めて気付かされたのだった。




