アサヒ&ケイの場合
翌朝暗いうちにアイムは目覚めた。視界にまだサタンの腕があることにホッとする。アイムが身じろぎをしたからか、サタンがアイムを抱きしめる腕に力を込めた。
「アイム…早いね…」
「今日は早くに出発するんですよね?」
「あぁ…」
彼は言いながらアイムの額に口付けをした。彼は起き上がるとアイムの頭を撫でる。
「行くときになったら起こすから、まだ寝ていていいよ」
アイムはこくりと頷いた。やがてシャワーを出す音が聞こえ、彼が出掛ける準備を始めたのが分かった。昨夜フィランジェルのお陰でアイムは少し契約パートナーとしての自信を取り戻していた。いつの間にか再びうとうとしていたアイムは、話し声が聞こえて目が覚めた。執事の黒木がサタンと話しているようだった。食事の入ったワゴンと何かの入った袋を持ってサタンが戻ってくる。彼は椅子に座ると袋の中身を確かめていた。
「おはようアイム、黒木さんが魔力回復薬を持ってきてくれたよ。遠野くんが俺の前で魔力切れを起こした場合にはこれを使う。だからアイムは心配しなくていいからね」
アイムはバスローブ姿のままで起き上がった。ワゴンにはニ人分の朝食が乗っている。美味しそうな匂いがした。
「そういえば…リツの匂いが変わってました。お腹に天使の赤ちゃんがいるからなのか…匂いが違うんです。ご主人さまは、匂いの違いって…分かりますか?」
「いや…さすがにそこまでは…でも…何となくアイムはいい匂いがすると思うよ」
サタンはそう言ってアイムを抱き寄せた。サタンからはボディソープの香りが漂ってきた。アイムが見上げるとサタンは唇を重ねた。
「朝食が冷めないうちに食べようか。下手なホテルの朝食より旨いからね」
アイムは頷いた。
「悪魔って美食家が多いんでしょうか」
アイムの言葉にサタンは頷く。
「そうかもしれないね。いただきます」
「いただきます」
アイムも言って一口コンソメスープを飲んだ。サタンはサラダを食べて頷いた。
「このドレッシングも絶妙な味だなぁ。美味しい…」
その後も他愛ない話をしながら優雅に朝食を食べて、アイムはただそれだけの時間がとても貴重なものに感じた。
「体調が悪いとかはない?もしそうだったら、我慢しないでこの家の悪魔に言うんだよ?」
サタンが気遣わしげにアイムを見て言った。すでに荷物はまとめ終わっているようだった。
「ハイ、今のところは大丈夫です」
そのときサタンのスマホが鳴った。迎えが到着したらしい。
「行ってくるよ」
「玄関でお見送りはできませんから、ここで…気を付けて行ってらっしゃいませ」
アイムは彼を抱きしめる。彼は口付けをすると微笑んでアイムを抱きしめ返した。
***
サタンが出発して約一時間後にそれぞれが起床して、皆でテーブルを囲んでいた。リビングにマゴトと共に遠慮がちに顔を出したケイは、想像よりも多くの人数が集まっていることに気後れした。銀の枝にも食堂はあったが顔見知りが少ないところに顔を出すのは気が引ける。イチカが笑って空いた席に手招きをした。
「ケイ姉!おはようっす」
「あ、おはよう…」
ラフな格好をしているから一瞬分からなかったが隣に社長がいた。常務とリツもいる。そして何故か常務とリツに似た子どもが二人いた。ストラスの両隣にも美しい金髪の双子のような少年と少女がいるし、その他にも外国人の少年と日本人らしき少女がいた。いったい誰の子どもなのかも分からないが皆楽しそうに食事をしている。不思議そうなケイに向かってイチカが笑った。
「あー私に似た顔のハルって子以外は分裂してるだけだから、実際にこの家にいる人間の子どもはハルだけで、他はみんな悪魔だよ」
イチカの説明にケイは信じられないという顔をして二人のルイと、ジーンとリツを見ていたが、不意に眼鏡をかけた細身の少年の顔を見て首を傾げた。
「あれ…?あの子どこかで見たような気がする…」
「え?アサヒのこと?中三だよ。使い魔の転生者だけど…」
「あぁっ!!」
ケイは声を上げて立ち上がった。
「あのっ!!アサヒくん!?あの日、私を逃がしたせいで、でかい外国人に追いかけられたでしょ。あのときはありがとう。私、ずっと君が無事だったか心配だったの」
アサヒはケイの顔を見て一瞬赤くなった後で急に青ざめた。隣のラウムが不審そうな顔をした。今朝のラウムは男性の姿をしていた。
「あの日…?」
「いや、別に大したことはしてないです…」
「アサヒ?もしかして…君が悪魔たちに攫われたのは、彼女を助けたからだったんですか?」
ラウムの表情が険しくなる。
「も、もう終わったことだからいいじゃないですか。だいたい格好つけて人助けをしてみたら、大失敗したなんて恥ずかしいし!」
「大失敗などと言って簡単に済ませられる話ではないでしょう!アサヒはそれで死にかけたんですよ!?」
ラウムの言葉にケイはハッとしたようにアサヒの顔を見る。
「死にかけた…の?私のせいで…?」
ラウムはケイに向かって頷いた。
「私がアサヒを見つけたときには、アサヒのお腹は悪魔に引き裂かれ掻き回されてぐちゃぐちゃになっていましたよ。あなたの代わりにアサヒを異世界の悪魔たちが魔力を上げるのに利用した結果です…それよりもアサヒ、あなたは見られたくない記憶を私から隠ぺいした…そのことの方が問題です」
「えっ?隠ぺい…?何のことですか…?」
どこか怒ったようなラウムの様子にアサヒはきょとんとする。ラウムは呆れた。
「まさか…無自覚だったんですか?私が見たあの日のあなたの記憶には彼女を助けた部分が丸々抜けていたんですよ。あなたが悪魔に声をかけられる前に何があったのかの記憶がなかった…だから私はてっきりあなたが刺激を求めて夜の街を彷徨っていたという情報が正しいと思い込んでしまった…」
ラウムはアサヒの顔を見て本当に何も分かっていないことを悟った。次第にラウムは自責の念に駆られた。アサヒを叱った記憶が蘇る。アサヒはラウムに向かって苦笑した。
「大差ないです…僕が家に帰りたくなかったのは本当だし、悪魔に見つかったのも…そのお姉さんが逃げてきたからちょっと間に割り込んでみただけで…そうしたら何故か僕の方を追ってきたから最初はうまくいったって思ったけど、自分の体力がそこまでないのを忘れていて…もう格好悪いことばっかりじゃないですか…」
ラウムは周りの目も気にせずにアサヒを抱きしめた。アサヒは困ったように続けた。
「…それに、あぁなったからラウムさんに助けてもらえて…今があるから、結果としては良かったんです…」
「ケイさん、でしたか。あなたのお陰で確かに私はアサヒと出会えました。異世界の悪魔は都内周辺に関しては駆逐が完了していますが、だからといってあまり一人では出歩かない方がいいでしょう」
「…そのときは俺が付き添うから大丈夫です」
隣のマゴトが遠慮がちに口を挟む。ラウムはおやと思った。ケイがはにかんでマゴトを見上げたせいだった。
(なるほど…転生者の魂に魅入られるのは自分だけではなかったようですね…)
二人の様子を見たラウムは心の中でひっそりとそう思った。




