リツ&アイムの場合
その後風呂上がりのストラスが加わって大人の悪魔たちは酒を飲み始めたので、リツはアイムを誘って別室へ移動した。
「大丈夫?無理してない?」
リツが尋ねるとアイムは頷いたものの急に自信なさげな顔をした。
「ご主人さまは…演技のことには、とても真剣に向き合っていて周りにもベストな状態を求めてしまうところがあるから…遠野さんのメンタルや身体のことも…面倒をみてしまうの…」
リツはアイムの頭を撫でてそっと抱きしめる。何だかいい匂いがする。アイムもリツに抱きついて匂いを嗅ぐ仕草をした。
「あ…ごめんなさい!ついクセで。前と香りが違うから…これが天使の香り…なのかな?」
「え?天使の香り?意識したことないけど…違う?」
「うん…違うけど…これも好きな香り…落ち着く…」
「あ…それで、きさらぎさんと離れていて本当に大丈夫かなって少し私は心配なんだけど…地方ロケだと同行するにもやっぱり無理があるか…」
リツが言うとアイムは頷いた。
「私…遠野さんに嫉妬してるのかな…ご主人さまは私の前では遠野さんと出来るだけ触れ合わないようにしてるんだけど、最近遠野さんの方が少し積極的になってきてて…だから、ロケ中に二人の間に何かあったらどうしようって、勝手に私がモヤモヤしてるだけ…」
リツはジーンに対してはそういった心配が一切ないことに素直に喜べなかった。こういうときに共感しにくい。アイムはリツにくっついたまま猫の耳と尻尾を出した。可愛いと思う。こんな可愛らしいアイムを思い悩ませるサタンに少しだけ腹が立つ。リツは普段は大して使用していないスマホを取り出して遠野圭一朗を検索した。先ほどの予告では女装していたから本当に女性のように見えた。素顔の彼は好青年だ。化粧と演技で随分と変わるのだなとリツは改めて思う。
「あまり悪い風に考えるのはお腹の子にもよくないから…さきさらぎさんを信じて待とう…」
リツはそう言ったものの、アイムから以前聞いた彼女が猫だと思っていた頃の彼の数々の女性遍歴を知らなかった訳でもなかったから、ますます信じて待つと言った自分の言葉が表層のみの薄っぺらいものに感じてしまった。そうでなくとも彼はその辺の一般男性よりも格段に整った顔立ちをしている。それでもアイムを契約パートナーにしたのだから、今回のロケに限っては、そんなアイムの危惧するようなことが起こる訳はないと信じたかった。リツは立ち上がった。
「待ってて。私が本人と話してくる」
立ち上がったリツは唐突にフィランジェルの姿になる。アイムは慌ててその後を追いかけた。部屋から出てきたフィランジェルにジーンは何事かという顔つきをしたが、フィランジェルはジーンの前を通り過ぎて今はきさらぎきりとの姿の彼の前に立った。ストラスがグラス片手にこちらを見る。
「いきなりその姿になってどうしたんです?リツさん…」
フィランジェルの銀髪とアイムの白っぽい銀の髪は遠目に見ると姉妹のように見えなくもないとストラスは思った。フィランジェルは片手を腰に当ててきさらぎきりとを見下ろした。
「…きさらぎさん、アイムは不安に思ってる。ロケの間に遠野さんときさらぎさんの関係がもっと深いものになってしまうんじゃないかって。だからセラヴィの悪魔用の魔力回復薬を必ず何種類か持っていって。間違って身体の関係になってしまわないためにも…アイムの契約パートナーはきさらぎさんってことを忘れないでほしい」
フィランジェルは追いついたアイムを引き寄せて抱きしめる。そのままフィランジェルは女性の姿から青年の姿になってアイムの耳の間を撫でた。アイムはフィランジェルの気配と香りがまた変わったことに慌てた。目の前にいるのは男性だ。
「フィランジェルって…男性だったの?」
「ううん、天使はどちらでもないし、どちらにもなれる…って言うべきかな。戦うときはこっちの方が便利。相手を挑発するときとか…ね」
フィランジェルは好戦的な笑みを浮かべてアイムのあごを持ち上げると、彼の目の前でアイムに口付けをした。アイムの記憶に刻みつけられたキスシーンを可能な限り再現する。きさらぎきりとはすぐにそのことに気付いた。スタジオに置かれたゲージの中からアイムはそれを見てしまっていた。アイムはフィランジェルが天使の力は注がずに微量の魔力のみを流していることに気付く。キスの心地良さに流されたアイムが呼吸を乱し始めたところで、フィランジェルは唇を離してきさらぎきりとの方を見た。彼の瞳に過るサタンの嫉妬を感じてフィランジェルは満足気に微笑む。
「アイムはキスシーンと残された口紅の跡を見て、今のあなたくらいに嫉妬したってこと。アイムが妊娠してるからって遠慮してるのかもしれないけど、優しい触れ合い方ならいくらでも出来る。アイムを安心させられるのは、サタンだけだってことを忘れないで。心の不安はお腹の子にも良くないから」
フィランジェルは彼の方にアイムを押しやると、少し呆れた顔付きでこちらを見ているジーンの方に歩み寄った。
「私は悪魔になって欲深くなったみたいなんだ。時々アルシエルが欲しくてたまらなくなる…」
フィランジェルはそう言ってジーンの膝の上に座る。フィランジェルを抱き寄せたジーンは長い銀の髪に触れた。
「まったく…いつからそんな風になったんだ?フィランジェル。子どもができてからかな?」
「…なのかな?別にいつからでもいいじゃない」
「やれやれ、天使がその気になっているから失礼するよ」
ジーンはアルシエルの姿になると軽々とフィランジェルを抱き上げた。
「サタンも…出張前にアイムと少しでも長く触れ合って安心させてあげるといいでしょう。パートナーの魔力が一番ですから」
フィランジェルを抱いたアルシエルがリビングから出てゆくとストラスも手早くテーブルを片付けて立ち上がった。
「さて、俺も二人のルイが待っているからそろそろ部屋に行かなくちゃな。別にここを使ってもいいけど、夜中にたまに成瀬とオセが起きてくるから、見られたくないなら部屋に行った方がいいですよ。見せつけたいなら別ですが」
「そ、そんな訳はないよ。アイム部屋に行くよ。君がそんなに悩んでいたなんて…本当に悪かった」
サタンはアイムを抱きしめるとひょいと抱き上げて立ち上がった。
「そうそう、やっぱりお姫さま抱っこは基本ですよね」
ストラスが笑うのでアイムは赤くなる。
「天使の方がリツさんよりも積極的ですからね。挑発も朝飯前ですよ。敵同士だったときは陛下になる前の彼の軍相手に天界の軍を率いて戦っていましたからね。俺はその当時はまだ生まれていなかったから知りませんが…さっきのように相手を挑発したりもするってことなんですね。リツさんの普段の様子からはあまり想像もつきませんが、やるときはやるんですよ。陛下もそういうところに惚れたんだろうなと思います」
確かに彼女が美しい青年の姿でアイムに口付けをしているのを見ていたら彼は驚くほどにどす黒い感情が沸き起こるのを自覚した。今まで誰かに対してこんな風に嫉妬したことがなかったから彼は驚いた。若かりし頃の過ちで監督と関係を持ってしまったときも、彼の妻に対してこんな気持ちにはならなかった。所詮は敵わないと諦めていたからだったからだろうか。それよりも、アイムとフィランジェルがとてもお似合いの恋人同士のように見えて彼は柄にもなく焦ったのだった。アイムの猫の耳と尻尾は好意を持つ相手の前で現れやすい。アイムはフィランジェルの前で耳も尻尾も出していた。だから、彼はもしも自分が過ちを犯したら本当にアイムを奪われるかもしれないと、感じてしまったのだった。
「やるときはやる…ね。怖いなぁ。肝に銘じておくよ」
サタンはアイムを抱き上げたまま階段に向かう。
「良い夜を」
ストラスはサタンの背中に向かって言った。




