少年ジーン&少女リツの場合 7
ようやく落ち着いたリツはジーンと共に六季の所へと戻る。六季は魔界のチョコレートを食べて待っていた。
「これ旨いねぇ」
ガブリエルはイオフィエルとチョコレートをつまみながらやはり魔界の珈琲を飲んでいた。
「王宮直営の農園で珈琲豆とカカオを育てているから、水にも土壌にもこだわってるんだ。戦争が終わってすぐにフィランジェルに美味しいチョコレートと一緒に上質な珈琲を飲ませたいと思ったのがきっかけだな。どこぞの上官が気紛れに振る舞った珈琲が泥水のように不味かったとかなんとか…天使が気の毒になったんだよ」
「ちょっ…ジーン!!」
ガブリエルは何やら考えていたが、あぁと思い出したように声を上げた。
「あの頃は食べ物には全く興味がなかったから珈琲なんか色さえついてればいいって思ってたんだよねぇ。そうか、泥水かぁ…僕の知らないところで悪魔に愚痴をこぼしてたのかぁ…誰のことも悪く言わないフィランジェルがねぇ…数百年ぶりにとってもショックだなぁ…」
「でもその愚痴のお陰で珈琲の木を育てようと思って今、ここで旨い珈琲が飲めている訳だよ。一周回って君はいい思いをしている訳だ。それはさておき、何の話だったかな…そうだ、リツの知りたがっていたこともあったな…ヨシノの件で」
「ヨシノがどうしたの?」
六季はストラスからもらったシール帳に気に入ったシールを貼り付けていたが、手を止めて不思議そうな顔をした。
「あの、ヒトミが…タイキくんと幼馴染で仲が良かったようなのに、否定するのはどうしてなのかな…って思って。仲が悪くなるようなことでもあったの?」
「あーヨシノとタイキね…僕が知ってるのは…一年生になってからの話だけど、確かに最初はあの二人は仲が良かったっていうか、むしろタイキがヨシノを気に入ってたって言った方が合ってるかな。とにかく友だちだった。ねぇ、ヨシノって今のクラスでうまくやれてる?」
「…うまく…?いや…あまり…うまくは…やれてないと思う…荻原さんたちが…クラスの中心になっていて…他の子は見て見ぬふりなのかな。入江くんは注意してたけど」
リツが言うと、六季は想定内だったのか頷いた。
「荻原…あぁ、ジェシカね。ジェシカってより、その子分の鈴本が発端かな…どっちかっていうと。鈴本はタイキを気に入っててさ。それでいつだったか遊びに誘おうとしたら、ヨシノと遊ぶって断られて、そこからじゃなかったかな。ヨシノに対する風当たりが強くなったのって。それにジェシカは入江が好きなのに、あいつは全然お構いなしだからさ…むしろ女子そのものに興味がない」
「入江くんとは知り合い?」
「知り合いっていうか…別に単なる元クラスメイトだけど…なんで?」
「あーいや、別に」
リツはそう言って誤魔化そうとしたのに、横からガブリエルがのんきに余計な口を挟んだ。
「じゃあ単なるクラスメイトにキスされたんだ、ムツキは」
「ガブリエル!余計なこと言うなって!!」
六季は赤くなって立ち上がる。ガブリエルはニヤニヤしながらイオフィエルの口にチョコレートを入れた。
「こっちの味も旨いから食ってみな」
「ん…!!」
餌付けされたイオフィエルはまるで雛鳥のようにガブリエルをキラキラした瞳で見ていた。イオフィエルがミカエルに対して、このような瞳を向けることはまずない、とリツは思う。
「なんだ、キスされたのか。どうだった?もしかして…初めてだったのか?」
ジーンが珈琲を飲んでチョコレートを口に入れると六季は、はぁぁと盛大なため息をついてガブリエルを睨んだ。
「あのときは、多分…入江も魔力切れで正常な判断ができなくなってただけだよ。それにキスするのは別に初めてじゃないし。今は更生施設にいる方の兄ちゃん…だよ。一番最初にキスしたのはさ」
「…それは…いつの話なんだ?」
ガブリエルの声のトーンが低くなった。
「え?いつ…って…僕が小二のときだから…兄ちゃんはその頃…中三だったと思う。ルイ兄ちゃんも時々されてたし…だからそれが普通なんだって思ってた…今はもちろん、そんなことは思ってないけどさ。だから…うっかり、兄ちゃんとしたみたいに入江にしちゃったんだよ。そしたら向こうが先にしてきたのにめちゃくちゃ驚いて逃げられちゃった。まー舌突っ込んだらそうなるかーやっちゃったな、って感じ。それ以来避けられてる気がする。何となく、だけど」
六季はカフェオレを一口飲んで両手で顔を覆った。
「…入江は多分驚いただけで…ムツキを嫌いになったりはしてないと思うよ。二年の頃じゃ僕もまだムツキに会うどころか、ルイに会ってすらいないからなぁ…それは早いって、教えてあげることも残念ながらできないね。でも当分はするんじゃないよ?ムツキも僕といたら少しずつ魔力は安定していくから、あんまり早くにインキュバスの力に目覚めちゃっても困るしね」
「えっ?ムツキさんは元インキュバスなんですか!?」
何気なく言ったガブリエルの言葉にイオフィエルの顔色が変わる。イオフィエルにとってインキュバスは自分とは対極にいるような存在だと感じていた。自分の慣れない分野についての知識が豊富で、そういったことを積極的に行う種族だと認識している。イオフィエルの強張った顔を見たガブリエルは珈琲を一口飲みながら笑ってしまった。
「イオフィエル、まだムツキはインキュバスだった頃の記憶を取り戻してはいない。時折過る程度だから、いきなりイオフィエルを襲ったりはしないから大丈夫だよ」
「そうそう、それに多分、僕は女の子は守備範囲外だから、安心して?あ、でも、これ学校ではカミングアウトしてないから、喋らないでよ?」
六季はジーンとリツに向かって念を押す。イオフィエルは口をパクパクした。
「そ…そんな…守備範囲外?じゃあ、ムツキさんは男性でありながら男性が好きと…そういうことなんですか?ガブリエルさま、本当に一緒に暮らしていて大丈夫なんですか?」
六季は意地悪な顔付きでイオフィエルを見つめた。ガブリエルに媚びているようで気に入らなかった。
「今はね。今はまだ大丈夫。でもあと五年後にはどうだろうね。僕のインキュバスの力が覚醒して、イオフィエルさんの敬愛する師匠は、ひょっとしたら堕天してるかもしれないよ?」
「そ!そんな恐れ多いことを平気で口にするなんて!ガブリエルさま、やはり早く天界に戻った方がよろしいですよ!インキュバスに襲われたらどうするんです!?」
ガブリエルはあごに手を当てて考えた。
「うーん…ムツキとそうなったらヤヨイにぶん殴られるだろうなぁ…その頃子どもは…四歳くらい…?間違って離婚するってなっても子どもが可哀想だから、僕と仮にそんな関係になった場合はどんな卑怯な手を使ってでも証拠隠滅だね」
「わりと最低な結論に行き着いたね…証拠隠滅って…」
六季は頬杖をついてガブリエルの方を見る。
「まぁ、記憶の操作はわりと得意な方だからね。でもヤヨイにもムツキにもそういうのは極力やりたくないから、僕じゃなくて入江辺りで手を打ってよ。向こうだって多分その頃には応じてくれるよ。何ならもう少し早いかもしれない…」
ガブリエルは無責任なことを言ってチョコレートを食べた。リツはガブリエルとミカエルの決定的な違いについて思いを巡らせる。もしも。もしも、ガブリエルが弥生と結婚していなかったら、彼はイオフィエルに手を出しただろうか。ミカエルに頼まれたら断らなかったのではないだろうか。そうして、相手に頼んだ後であの不器用な上官はおそらく、激しく後悔するのだ。なぜならガブリエルは愛などなくても、大概のことは欲望と好奇心で試すことができるのだから。傷付いたイオフィエルを見て自責の念に駆られるミカエルならば容易に想像がつく。
(…分析はその辺にしておいてよ。これでも妥協したんだ。僕の知っているリツに似た相手なら少しは情が湧くかもしれないってね。最初は一回で終わりにするつもりで誘ったら二回、三回と思ったよりも続いて記憶を消すのが少し惜しくなった。そうしたらヤヨイが妊娠していたから、僕は僕なりに責任を取ろうとしてるところなんだよ。愛なんてなくても、この程度のことならできるんだ。それに愛を絡めて考えるから物事は余計にややこしくなる…)
ガブリエルの声が心に響く。やはり決定的な違いはその点に尽きるとリツは思ってしまった。ガブリエルの目の前にあるのは責任のみで、ミカエルのようにイオフィエルを愛したいなどとは望んでいない。弥生を愛しているように見せかけていても、この天使はやはりそうではないのだ。
(前にも言ったと思うけど、僕はフィランジェルのことはけっこう気に入ってたんだよ。でも君は悪魔の夫を選んだ。その時点で僕は何かに妥協せざるをえなくなったんだ。欲しいものを手に入れたフィランジェルにはきっとこの気持ちは分からないだろうね)
(ガブリエルの好きは…支配欲でしょう?天界にいた頃の方が分かりやすかった。私を支配したくて仕方なかった…)
(失敬だなぁ。支配なんかしないよ。束縛はするけどさ、それは君の旦那だって同じじゃないか。君と僕の間にもしも子どもができていたら、どんな子なのかな、とか想像するのは愉快だけどね。僕とヤヨイとの子と、どの程度違うのか…比べてみたい気持ちはある。ま、アルシエルと君の子も一人は天使なんだから、そこのところは、それでも十分に興味深いけれどね。ヤヨイも途中で流産したりしないように注意しないと、せっかくの楽しみがなくなってしまうから、妻の心のケアもきちんとするからそんなに心配しなくても大丈夫だよ)
「だから、入江とはそんな関係にはならないってば!」
「未来は分からないじゃない」
六季と軽口を叩きながらも、心の中でガブリエルはリツと膨大な量の会話を続けていた。
(それなら、イオフィエルの気持ちがミカエルに向くように少しは協力してくれてもいいんじゃない?そうじゃないと、あの二人はいつまで経っても繁殖計画を進めることはできないと思う…)
(それこそミカエルがやるべきことで、僕が余計な口を挟むべき話じゃないと思うけどね)
(協力してもらえると思ってた私が間違ってたよ。もういい)
リツは諦めた。話すだけ無駄だ。
(そういうこと。天使がみんな仲良しだなんて思わないでよ。君なら分かってると思ってたけどね)
(ミカエルのこと嫌いなの?)
(そうは言ってないよ。ただ、僕が君に対して何かを協力してあげようと思うほど、ミカエルを助ける気はないってこと)
ガブリエルが六季の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。なんだかんだでガブリエルは六季とはうまくやっている。なのに相手がミカエルになったとたんに扱いが面倒になる。リツは心の中でひっそりとため息をついた。前途多難な予感がした。




