少年ジーン&少女リツの場合 6
午後の授業が始まっても荻原は戻ってこなかった。滝野も戻らず、荻原の取り巻きの一人の鈴本沙奈はどこか居心地が悪そうにしていた。日本語の授業は特に何の問題もなく進む。ジーンも少し退屈そうにタブレットの裏画面でストラスからのメールをチェックしていた。
(明日、手土産持参で一ノ瀬の家を訪ねる)
(分かった)
(タイキとヒトミが幼馴染でタイキはヒトミと仲が良かったってホントなのかな?ヒトミはあまりそれを主張したくないみたいだったけど…)
(さて…どうかな。少し調べてみないと…)
ジーンは涼し気な顔で言う。
(結局…荻原さんの絵の件ってどうなったの?)
(あぁ…スクールカウンセラーが聞き出した話によれば…あの丸めてあった絵は姉の描いた絵だそうだ。図工の教師は次回の予告をすることが多いから絵は比較的誤魔化しのきく授業だったんだ…荻原は自分の水彩画が下手なことは自覚していた。姉と成績を比べられるのがストレスになり、中等部の美術部にいる姉の習作から題材に合いそうなものを選んで持ってきた…というのが本人の主張だな。滝野に足を引っかけさせたのはそちらの騒ぎに注目させている間に丸めて持ってきた絵とすり替える為だった…ところが入江は朝の一件からまた荻原が吉野に何かするのではないかと疑っていた…それで時々様子を窺っていたから絵のすり替えには気付いたが、最初に描いていた絵がどこに消えたのかは分からなかった)
(なるほど…あと荻原さんが転生前は奴隷だって言ってたって聞いたけど…いまいち…気配が読めないから分からなくて…)
(リツも思ったか。何か薬を服用しているのかもしれないな。でも奴隷かと言われたら…あまりしっくりはこないな…)
ジーンは裏画面で何かを操作していたが、平然と個人情報が入っている学校内のシステムに侵入していた。荻原ジェシカで検索を入れると、入学時の提出資料が出てくる。札付き転生者の場合は更に添付資料が増える。そこからジーンは必要な情報を読み取り、どこかの区の施設内のデータベースにアクセスしていた。ジーンのタブレットは一見すると学校のタブレットだが、実はジーン個人のタブレットを小学校用に見せ掛けているだけに過ぎない。どうやらヒットしたらしく、ジーンは手応えがあったときの満足気な目付きをした。
(おやおや…ジェシカは悪徳高利貸し…今で言うならいわゆる闇金…奴隷ではなかったな)
(じゃあ…奴隷っていうのは…?)
(奴隷に関して信憑性のある話ができるとしたら…姉の方から聞いた話なのかもしれないな)
ジーンはあのとき丸まった紙を開いて見た絵の構図を思い出しながらそう言った。
***
リツにとっては久々の小学校生活の一日目がようやく終わり、自分の通っていた札付き転生者用の小学校との違いを感じつつ、リツはジーンと並んでストラスの迎えを待っていた。中等部とは帰宅時間が違うためストラスが迎えに来ることになっている。駐車場にも警備員がいて迎えに来た人物をチェックしていた。ストラスはフォスター家の使用人の体で身分証を下げて現れたが、隣にはなぜかスーツに身を包んだガブリエルもいた。
「どうも、いつもお疲れさまです」
ガブリエルはすでに警備員とは周知の間柄らしくにこやかに話しかける。
「一緒に乗せてきてもらったんだよ」
振り返るといつの間にか六季がどこか納得のいかない表情をしてそこに立っていた。
「おかえりームツキ!今日は二人と一緒に帰るよ」
「そんなの見れば分かるよ」
六季はストラスの車の方へ向かう。車の後部座席に乗り込むなり六季は開口一番にこう言った。
「ストラスさんだよね?ルイ兄ちゃんを妊娠させたって本当なの?」
車を出そうとしていたストラスは思わずブレーキを踏んでガブリエルを睨んだ。
「だって、事実でしょ。ルイは魔界に新婚旅行に行って無事に…とはいかないまでも、ストラスと子作りした結果妊娠した。僕は嘘はついてない。天使も悪魔もスピード着床だし」
ガブリエルはしれっと言った。ストラスはチッと舌打ちをして車を発進させる。
「…あぁ、そうだよ。ハネムーンベビーだ。ルイは俺の子を産みたいって言っていて魔界では女の姿でいたからな。卒業まで待つつもりだったけど、周りのみんながどんどん妊娠していくから無理だった。俺が妊娠させた。悪かったな、ムツキ。でも俺はルイを愛してる」
ストラスは諦めたのか開き直って言った。
「……はぁぁ…やっぱり男が好きなんだ。ルイ兄ちゃん…」
六季は深いため息をつくと、聞こえよがしにこう言った。
「いっそのこと僕も悪魔に変えてもらって、女の子になってガブリエルの赤ちゃんでも産めばいいのかな…」
「おい、ムツキ、何サラッと怖いこと言ってんの?自分が何歳だと思ってるんだよ」
ガブリエルが慌てて助手席から振り返って六季の顔を見た。六季は可愛らしい顔付きでガブリエルに向かって微笑む。だがこれは怒っているときの顔だ。
「うん?もちろん嫌がらせに決まってるでしょ。さすがに今はまだ無理だけどさ。五年後なら可能なんじゃない?ガブリエルを堕天させてみたいかなって思って。リツもさ…やっぱりヤヨイさんと似てるからすっごい困るし!ほんと、ガブリエルもムカつくし、ジーンは…ジーンは別にムカつくとこはないか。でもやることやってるって点では同じ!みんなパートナー妊娠させてるし!ってか、リツってジーンが好きなの?ルイ兄ちゃんじゃなくて!?」
「ごめんね、ムツキ。私はジーンと結婚しているからこれが自然な流れだったんだよ…ルイとは親友だよ。そういう意味の好きってこと…」
「親友なのにキスするの?」
「うーまぁ、それは…悪魔だから。必要に応じてすることもあるかな。お腹の子に他の悪魔の魔力を与えたりするのにも今は必要だし…ルイは私の使い魔だから他の人よりもやっぱり距離は近いかな」
「なにそれ!変だよ!すっごく変!!」
「別に変なことではないよ。魔界では常識だ。それに私はきちんと手順は守ったから、誰からも文句を言われるようなことはしていない」
ジーンはそう言って今は誰もいないリツのお腹を撫でた。確かに何の順序も崩さずにきっちりと子どもを作ったジーンがそれを言うと、成人前のルイを妊娠させたストラスと契約パートナーの段階で妊娠させたガブリエルの二名は非常に肩身が狭いのだった。六季は眉を寄せる。
「そもそもストラスのって犯罪じゃないの…?」
ストラスはまた自分に矛先が向いてため息をついた。
「魔界の法では十三から結婚可能なんだよ。俺はルイと入籍してきちんと妻として迎え入れた。魔界の住人としてルイも登録済だ。魔界で会見も済ませた。国民ならみんな知ってる」
「でもルイは第二夫人なんでしょ。僕ならルイ一人だけを愛してあげられるのに」
「魔界は一夫多妻が大半で、たまに一妻多夫の家庭もあるんだよ…ガブリエル…いったいどこまで話したんだよ…」
「おおむね全部…かな。だって教えないと僕が天使だと吹聴して回るって言うからさ。困るじゃない。ヤヨイを妊娠させた段階でバタついちゃって、僕が天使だって言って説明してたのを聞かれちゃってたんだよねぇ…僕の子のはずないって…でも他の誰ともそんなことにはなってないのにどうして?ってヤヨイもパニックになっちゃっててさ。とにかくなだめるのに必死でムツキが起きてたことにも気付かなかったんだよ…」
ガブリエルが白状する。それは確かにそうだったのだろう。
「あのときのヤヨイさん怖かったよねー。ガブリエルが天使だって言ったら、こんな胡散臭い天使がいるのかって。嘘をつくにしてももう少しマシな嘘をつけってぶちギレてたもんね。本人は真剣なのにガブリエルがふざけてるって思ったんだと思うけど、僕もあのタイミングで天使?って何言ってんのかと思っちゃったもん。僕から見ても本当にふざけてるようにしか見えなかったからヤヨイさんが怒るのは当然だよ。それにガブリエルってさ、僕が子どもだと思って舐めてたよね。時々抜けてるんだもん。どう考えても一人であの店を経営するのには無理があるのに、平然と分裂してやってて一人でやってるって言い張ってたしさ。結局、僕だけ何にも本当のことを知らされずに蚊帳の外だったんだなーって思って」
「ムツキ、すまなかった。ムツキには人として幸せに生きて欲しいというのがルイの願いだったから…それに寄り添った結果こうなっただけで、ガブリエルは悪くないんだ。確かに隠し事も下手で呆れたかもしれないが…でもそれはルイの願いであって、ムツキの願いではなかったな。ムツキはどうしたいんだ?ムツキは一番に何を願う?」
ジーンの言葉に六季は言葉に詰まる。
「そ、そんなこと…急に言われたって困るよ。別に今の生活に不服があって言ってる訳じゃないし。でも魔界のことはもっと知りたいかな。だって国王陛下なんでしょ?で、ストラスは国王補佐官。それって、ルイ兄ちゃん、玉の輿ってことだよね?僕はルイ兄ちゃんが幸せならもうそれでいいかなって最近はちょっと思ってて。僕じゃ兄ちゃんを幸せにはしてあげられないからさ。それくらいは分かってるから。だって僕はまだ子どもだから一人じゃできることも限られてる。それが今は一番悔しい。早く大人になりたい…」
六季はそう言うと少し泣きそうな顔で無理矢理笑った。ジーンは手を伸ばして六季の頭を撫でる。ジーンは一瞬大人の姿になった。
「真っ当な大人になりたかったら、今は勉強するしかないよ。悪魔になるのは簡単だが、悪魔になると見た目の成長に著しく影響が出る。この世界ではほぼ成長が止まったように見える。大人になっても子どもの姿のままだと困るだろう?」
「……えっ…そうなの?」
「あぁ、ルイは十五でほぼ止まっている。これからは魔力で成長したように見せかけるしかない。悪魔になると、早く大人になりたいというムツキの願いとは逆の現象が起こる…」
「そっか。なんか少し勘違いしてたな。悪魔になったら何でもすぐに魔力で叶えられるのかと思ってたけど…違うんだね」
「ルイだって今使える魔力は限られている。日々学んで身につけていくんだよ。使いこなせるようになるには鍛錬が必要だ…」
「意外と地味な努力が必要なんだね…ちぇ」
リツはふと短時間で知識を詰め込む資格取得プログラムを思い出したが、余計なことは言わなかった。とりあえず今は、すぐにでも悪魔になりたいと六季に言わせないことが肝心だ。ちらりとジーンを見ると頷いた。
(今、悪魔になられると、新薬の開発にも影響が出るからな)
(え?そっち?)
リツは脱力する。
(私は少しでも困っている転生者の子どもたちに楽に生きられる道を提示したいだけだよ)
隣の悪魔はそう嘯いて、美しい微笑みを浮かべた。




