少年ジーン&少女リツの場合 4
本を閉じた入江は静かに立ち上がると振り返った。
「荻原さん、吉野さんをパシリに使うのはもう止めなって言ったよね?そんなにプリンが食べたいなら自分で並ぶべきだよ。次にやったら担任に報告するよ?」
「プリン?数量限定?そんなものがあるの?」
ジーンがガタリと席を立つ。
「あ、あぁ…うん。普通のプリンはたくさんあるけど、北海道産の牛乳と生クリームを使ったプリンがあるんだ…他にもチョコレートプリンとか…」
近くにいたクラスメイトがジーンの気迫に飲まれたかのように、戸惑いながら答えた。
「リツ!行くよ!」
「ええっ!?」
ジーンに手を引かれてリツは席を立つ。ものすごい早さで教室を出たところで、ムツキが数人と喋りながらこちらに向かって歩いてくるのが見えた。廊下を走らない程度に足早に進んでジーンはすでに把握した構内見取り図の最短経路でランチルームに辿り着き券売機の列に並ぶ。後からこちらに向かってきた六季たちも後ろに並ぶ気配がした。
「ランチメニューは事前にチェックしておかないとダメだね…」
「ジーン、プリン好きだもんね…」
二人が話していると見慣れない取り合わせに周囲の視線が集まった。
「あ、ムツキ、やっと会えたね」
振り返ったジーンに突然声をかけられた六季は、ガブリエルから説明を受けて変身後の二人の姿を見せられてはいたものの、一瞬目を見開いて照れたように目を逸らした。
「よ…久しぶり…だな。ジーン」
幼児の学芸発表会でもここまでひどくはないだろうという、驚くほどにぎこちない口調で六季が挨拶をする。
「知り合いなの?転入生?」
六季の後ろにいた生徒が尋ねる。この少年は恐らく子分だ。そして六季の後ろに立っているやんちゃそうな顔付きの少年二人は六季がボコった相手だとリツはすでに分かっていた。やはりこちらも子分だ。
「あぁ…うん。こいつ、めっちゃ強いから絶対にケンカ売るなよ?」
「えー?ムツキさんが言うの?マジじゃん」
リツより少し前にヨシノと呼ばれた少女が並んでいるのが見えた。チラチラと前の方を心配そうに見ている。プレミアムデザートの食券は同一商品は一人一枚までと書かれていた。ヨシノはジェシカの分の食券を買うと、また列の最後尾に並ぶ。三人分買うことは不可能に等しい。ジーンはプレミアムプリンの食券とプレミアムチョコレートプリンの食券を購入する。リツは少し考えてからプレミアムプリンとプレミアム抹茶プリンの食券を購入した。
「ムツキ、じゃあ昼休みにでも」
リツが言うと、六季は少し格好をつけて片手を上げた。
「なに?あの子も知り合い?」
背中で六季たちの会話を聞きながら、リツとジーンは自分たちが恐らく同じことを考えていると予感していた。
「ヨシノさんだよね、はい、これ」
リツとジーンはプレミアムプリンの食券を差し出す。なかなか進まない列を不安そうに見ていたヨシノは、ハッとしたように二人の顔を見た。
「えっ?いいの?」
「うん。僕たちはチョコと抹茶の方が好きだから。ところで食券のお金はちゃんと回収できてるの?」
ヨシノはこくりと頷いて、財布を開けるとプリン代を二人に渡して列から出た。
「本当にありがとう…良かった…二枚しか買えなかったら…どうしようって…思ったから…」
「断れば?って言っても簡単じゃないのか…」
「うん…私…転生者だし…うっかり…転生前が何だったか喋っちゃったのがいけなかったの…ジェシカさんたちは…それで腹を立てちゃって…」
ここでもまた転生マウントなのかとジーンもリツも少しうんざりする。
「そんなに腹を立てるようなこと?」
ヨシノは力なく頷いた。
「私…転生前は…女王だったの。私、希望転生者で。生まれ変わったら普通の暮らしをしたいって思ってたから…」
「で、荻原さんは?」
「ジェシカさんは…元…奴隷の転生者だったから…私が女王なのに国を捨てて転生したのが気に入らないみたいで…それからは、毎日こんな感じ…教室では、私にはあまり話しかけないでもらえる?二人まで嫌な思いをしちゃうから…」
「うーん…それは難しいかなぁ。別に誰と仲良くしても文句言われる筋合いじゃないと思うし」
リツが言うとヨシノは驚いた顔をした。
「えぇ?フォスターさんって、ふんわりした癒し系の見た目なのに、そうじゃないの?」
ヨシノの言葉にジーンは笑った。
「違うよ。一見そう見えるかもしれないけど、中身はそうでもないよ。それに転生前が何であっても関係ないし」
「えぇ…?ちなみに…二人は…?」
「関係ないって言ったでしょ?知りたいなら別に教えてもいいけど。僕は魔王だし、リツは堕天使だよ」
(魔王って言われるの嫌なんじゃなかった?)
(その方が分かりやすいからだよ!)
「ええっ!?私…実際に会ったの初めて!!」
ヨシノの驚きの声が廊下に響き渡り、慌ててヨシノは口に手を当てる。
「まぁ…確かに珍しいかもね」
ジーンが言うと、ヨシノは小声でつけ加えた。
「あの…余計なお世話だけど、入江くんには気をつけて。入江くんって真面目なんだけど…少し怖いところがあるから…ジェシカさんより私は…入江くんの方が苦手…」
「そうなんだ…ありがとう。気をつけるね」
ジーンは微笑む。
(入江はクラスで恐れられてるのか?いまいち構図が読めないな…)
リツの心の中にジーンの声が響いた。
***
私立の附属小とはいっても、さすがに大人のリツとジーンにとっては授業内容は朝飯前で、リツには懐かしいものもあれば、今はもうこんなことも教えるのかというようなことまで様々だった。
(ダメだ…小四レベルの図工が分からない…)
リツはここにきて初めて壁にぶち当たっていた。ジーンがリツの脳内に四年生レベルの図工の作品のサンプルを送り込んでくれて、ようやくどの程度でやればいいのかを把握する。下手に目立たないためだった。
「先生!」
荻原が挙手する。
「何ですか?」
「夢の絵って言いましたけど、それって前世の記憶でもいいんですか?」
専科の教師は少し困ったような顔をした。
「あくまで夢ですから…夢で見たのでしたなら…構いませんよ」
「分かりました」
リツの筆はすでにパステルカラーを作り出しあるかないかの下書きの線の上を滑るように塗り始めていた。
(それは夢じゃないな。魔界の公園だ)
(でも誰もこれが魔界だなんて思わないでしょ。メルヘンの世界…)
(奴隷の夢ってどんな夢なんだ?あぁ…なるほど…校内に貼り出したら物議を醸しそうな題材だな…)
ジーンが共有してきた荻原の絵は女王と思しき美しいドレスを着た女が首輪のついたほぼ裸に等しい女性の背中をヒールの鋭い靴で踏みつけている構図だった。踏まれた女性の顔がどことなくヨシノに似ている気がして、リツは微妙な心境にさせられる。荻原は絵の具のチューブから赤と青を絞り出し紫を作ると再び筆で塗り始める。すると踏みつけられた女性の身体がまだらの紫に染まり始めた。
(えぇ…悪趣味だなぁ…)
リツはパステルカラーの森を描きながら心の中でジーンと会話をする。森だけでは少し寂しかったので森の中で遊ぶ子どもたちを描き加えた。一人は天使の翼を持ち、もう一人はグレーと白の翼にした。
(ジーンは何を描いているの?)
(うん?リツと僕の結婚記念日に決まってるよ)
(ちょっ…!止めて!はずかしい!!)
(大丈夫。後ろ姿だから)
(そういう問題じゃないってば!)
(もうじき叶う夢だよ。魔界で盛大に結婚式を開く…それとも誓いのキスシーンの方が良かった?)
(ジーン、ふざけないで!)
結局図工の時間が終わるまでリツはジーンとの会話に振り回されたが、出来上がったジーンの絵はアルシエルとフィランジェルが戦っている絵だった。程々に四年生らしさを醸し出しつつもそれが二人だと、見るものが見れば分かる絵だった。
(結婚式?これが!?)
(うん、少なくとも剣を交えたこの瞬間に僕は君を抱くことを決めたんだ。いつか必ず自分のものにするって。だから僕にとっては結婚を決めた日だよ)
リツは照れ隠しに筆洗いの水を捨てに行く。そのとき突然リツの前に誰かの足が出てきた。引っかかると思ったが、その瞬間リツはふわりとそれを飛び越えて着地する。だが、後方でキャッという声と共にヨシノが転んで筆洗いの汚れた水を床にぶちまけていた。
「うわー」
「吉野さん、大丈夫?」
「ちょっと!誰!?私の絵にこんなことしたの!!」
そのとき荻原が声を上げた。皆が一斉に振り返る。パレットを洗った荻原は絶望的な声を上げた。
「ひどい!一生懸命描いたのに!!」
荻原の絵はぐしゃぐしゃに丸められて転がっていた。
「誰ですか?荻原さんの絵をこんな風にしたのは。正直に名乗り出なさい!それから…吉野さんは床を拭いて」
専科の教師が眉をひそめる。誰も挙手しない。しんとなった教室内に荻原のしゃくり上げる声が漏れた。ジーンは何か解せないような顔付きで考え込んでいた。
「誰も見ていないのですか?」
「…よ、ヨシノが…やったんでしょ?」
乱暴に顔をこすった荻原がヨシノを睨む。
「吉野さんがやるのは難しいと思うけど。だって荻原さんの席からは離れてるし、ここで転んですぐだよ?荻原さんが絵のことに気づいたのって」
クラスメイトの一人が小声で言った。
「僕は見ました」
そのとき入江が静かに挙手をした。
「やったのは荻原さん本人です。荻原さんの席は廊下側の端だから、みんなが窓際の水道を使いに行くときは、ほとんど誰も見ていない。しかも吉野さんのことでみんなが窓の方を向いていたから、廊下の方は誰も見ていなかった。その間に…自分の描いた絵を隠したんじゃない?」
入江はスタスタと歩いて廊下側の壁に飾られた額縁の裏を見た。
「あれ?ない…?」
隣のポスターの隙間も覗き込む。
「もしかして…探してるのは…これ?」
ジーンが教壇の隙間から少しホコリのついた絵を取り出した。確かにグロテスクな色合いだが人物の描き方が恐ろしく幼稚なため、笑いを取るための風刺画が何かのように見える。下書きの段階ではわりとうまくいっていたのに、色を塗るとこうも変わるものかとリツは心底驚いた。
「ちがっ…!それは私の絵じゃない!!」
荻原は慌てて否定したが動揺していた。ジーンは歩み寄って机の上の丸められた絵を開く。構図は似ているがタッチの全く異なる凄惨な絵が姿を現した。ぐしゃぐしゃに丸めたシワのせいで古いフレスコ画のような趣さえ醸し出している。ジーンは絵の上を指先で触れた。
「この絵は全く湿っていません。描いたばかりの絵を丸めたらどこかに色移りしたりしそうなものだけど…今日よりも確実に前に描かれた絵だと思います」
ジーンは反対の手に持っている明らかに湿ってホコリのついた絵に触れる。指先に紫の絵の具がついた。
「…萩原さん、どういうことですか?」
専科の担任が厳しい顔をして萩原の顔を見る。
「私…知りません!!みんな嘘をついて先生を騙そうとしてるんです!みんな私のことが嫌いだから!」
萩原は金切り声を上げて叫んだ。




