マゴト&ケイの場合 3
ケイは悪魔姿のマゴトの腕の中で目覚めて、その青みがかった美しく長い髪に指を絡ませた。マゴトは髪にも意思があるのかうねうねと時折動く。今も少しケイの手をゆるく締め付けたり愛撫するかのようにするすると動いたりしていた。髪と戯れているうちに人間の男とは違う逞しい腕に浮かび上がる濃紺の模様が視界に入る。少し光っているように見えるその模様を指先で辿るとマゴトがピクリとした。
「その部分には魔力が集中しています…」
「そう…なんですか。触ったらダメでしたか?」
「いいえ、そんなことはありませんが…ケイに手加減できなくなるので…あまり刺激しないで下さい…」
「……ご、ごめんなさい」
ケイは慌てて手を離す。マゴトはその小さな手を握って口付けをする。悪魔本来の大きさのマゴトの前ではケイはまるでか弱い少女のようだった。この悪魔に何度も上書きされたのだとケイは少し疲れた身体を意識しながら思った。疲れてはいても身体には新たな魔力が満ちている。本当に相性が良いのだと思った。相手の魔力を吸い取るのが苦手なのにも関わらずこんなに満たされているのだ。マゴトはケイの目の前で再び人の姿に変わる。マゴトはケイをもう一度抱きしめて唇を重ねた。言われた通りに呼吸をする。最初よりはずっと良くなったと自分でも思った。
「そう……上手に…なりましたね…」
マゴトに褒められてケイは嬉しくなった。人の姿の悪魔は鋭さは影を潜め今は穏やかな表情でケイを見つめている。
「…先生の教え方が…分かりやすいから…」
「私にも人間のことを教えて下さい…もっと人らしく振る舞うにはどうすべきなのか…」
そう言いながらもマゴトの尻尾は出たままで、相変わらずケイの太腿に絡みついていた。
「あの…私も…悪魔のこと知りたいです…その…尻尾のこととか…」
「あぁ、失礼しました…これはうっかり女性を身体から離さないためですね。悪魔の中には…他の悪魔の獲物を奪う者もいますから。強い悪魔は…時折勝手に他人の寝室に入ってくる者もいますし…」
「えっ…!?」
ケイが突然声を上げて一点を凝視する。マゴトも室内に妙な気配を感じた。マゴトは起き上がって部屋の隅にいる相手と目が合うと深いため息をついた。
「…なぜあなたがここにいるんですか。大佐でも遠慮して前を通り過ぎたのに…天使は覗き趣味でもあるんですか?」
部屋の隅で赤くなって固まっているのは、あろうことかイオフィエルだった。チラ見して通り過ぎる程度なら見逃そうと思っていたのにイオフィエルは次第に中にまで入ってきて、二人の会話を途中から盗み聞きしていた。
「て、天使?天使なんですか?」
「はい…訳あってこの家には二人の天使が滞在しています…」
「はぁ…」
ケイは訳が分からないという顔のまま目の前の美少女を見つめる。確かに言われればそれっぽい無垢な美少女だ。ケイはその姿が自分とは真逆の存在のように思えた。
「あの…どうして、会ったばかりの相手とそういうことができるんですか?昨日までは他人だったんでしょう?」
「……」
よりによってそんなことをずけずけと聞いてくるのかと、マゴトは頭を抱えたくなった。ところが先に口を開いたのはケイだった。
「え?そんなの、一目惚れに決まってるじゃないですか!私、ずっと悪魔に憧れていたんです。目の前に自分好みの素敵な悪魔がいるのに、何もしないで見てる方がバカみたい。相手を繋ぎ止めるためなら、私は何でもする。私は頭が悪いからこの身体を与えることしかできないけど…それで少しでも気に入ってもらえたならまた次も会ってもらえる可能性が上がるから…それに何もしなかったら誰かに取られても文句言えないでしょ?」
マゴトはケイの太腿に巻きつけたままの自分の尻尾を見下ろした。すでに情が湧いている自分を自覚する。生きにくそうなこのインキュバスの転生者に楽に生きる方法を教えるためだけだと思っていたのに、そこにすでに愛情らしきものが芽生え始めているのを認識した。ケイの熱を帯びた瞳にほだされたのだと思う。
「…何もしなかったら…誰かに取られるんですか?」
天使は首を傾げる。ケイは困った。
「あなた…好きな相手とかいないの?気になる人…じゃなかった天使は?もしも、その相手が自分以外の誰かとキスしたり抱き合ったりしていたら嫌な気分にならない?」
「ミカエルさまは、そんな方ではありません!悪魔ならいざ知らず天使ですから!」
「なんだ、ちゃんといるんじゃない。じゃあ仮にそのミカエルが、あなたの知り合いの誰かとキスしているところを想像してみたら?って言ってるの。その誰かに優しく微笑んで頭を撫でたりしていたら…どう?」
イオフィエルは眉を寄せて考えていたが首をひねった。
「でも…ミカエルさまは…私が他の悪魔に抱きしめられて額にキスをされていても…笑って見ているんです…」
「えぇ…?」
「…そこのみを切り取って話すと誤解されますよ。天使もこの世界では神聖力…要するに魔力のような力が切れやすいので、誰かに力を分けてもらう必要があるんです。彼女の場合、あえて悪魔がそれをしたのは…他人との触れ合いにあまりにも慣れていないから…ですね。ミカエルに何かあった場合に誰も彼女に力を与えられない状況になるのもまずいですし…」
マゴトが口を挟む。
「な…るほど…天使って…そんなに誰かと触れ合うのが苦手なんですか?」
「分かりませんが…フィランジェルさまは違ったように思うので…彼女が特別なのかと…」
「だからって、一日に悪魔の誰かと必ずハグしてキスをしろだなんて、そんな命令を出す上官は天使としてどうなんですか?私、明日も悪魔の誰かに抱きしめてもらって、可能ならキスもされないといけないんですよ?」
イオフィエルは幼い子どものように頬を膨らませた。
「あーなんだか私にはよく分からないけど…そのミカエルって天使はあなたに意地悪をして楽しんでるのかも。ひょっとしたら好きな子をいじめたいタイプかもしれない…」
「す、好きな子をいじめたい…!?な、そんなの矛盾してます!!」
イオフィエルは更に真っ赤になる。ケイは困ったように傍らの悪魔を見上げる。
「私は好きな相手に意地悪なことはしませんよ?して欲しいと望まれたなら別ですが…」
そう言ってマゴトはケイの太腿に巻き付けた尻尾に少し魔力を込めた。締め付けられたケイはピクリとして、どこかうっとりとした顔でマゴトを見つめる。マゴトがそっと尻尾を外すと赤くなった跡がぐるぐると残っていた。ただ巻いていただけではない、これはマゴトの獲物だと牽制するマーキングだった。自分ならこうやって相手に痕跡を残す、とマゴトは思って満足気にその跡を指で撫でた。自分の獲物だ。
「悪魔は他の悪魔の獲物に手を出すことを厭いませんが、自分の獲物と決めた者に他の悪魔から手を出されるのは嫌ですね。それもまた矛盾していると言われればそうかもしれませんが…好きな相手に意地悪をするのは、そうやって相手の注意を自分に引きつけておく意味もあるかもしれません。他の悪魔の腕とミカエルの腕と…あなたはその違いを理解して自分が誰に抱かれたいのかを理解する必要がありそうですね…」
「難しい…」
「難しいです…」
意図せずケイとイオフィエルの言葉が重なる。イオフィエルはハッとしたように目を見開くと急に頭を下げた。
「す、すみません。長々とお邪魔しました!!」
イオフィエルは唐突に部屋から慌ただしく出てゆく。
「え…?何だったの?」
ケイはぽかんとした。まるで読めない。いったい何をしに来たのだろう。マゴトはそんなケイの身体を抱きしめて囁いた。
「彼女も勉強中なんでしょうね。きっと、我々の行動が不思議だったんですよ。会ったばかりなのに悪魔と人の姿で愛し合っていたから…なかなか…ありませんよ?悪魔の姿で人を相手にすると…怪我をさせたり、意図せず殺めてしまったり…そういった事故も起こりがちですから」
「そうなんですか?私は…平気…でしたよ?」
「はい…魔力の相性がとても良かったからですね…それにケイは無意識だと思いますが…抱き合ってからは…本来のインキュバスの力がかなり開放されてリラックスしていましたから…怪我もなく無事に快楽に溺れることができたのかと…」
「あの…こんな風になったの…初めてなんです。いつもは…こうじゃなくて…」
ケイは恥ずかしそうにうつむいた。もっとしんどかった。終わると汚泥の詰まった袋のように身体が重かった。なのに今はふわふわしていて少し軽いくらいだ。
「そうでしたか。良かったです。だからでしょうね。天使も覗き見したくなるほど魔力の上がる気配がしたのでしょう」
マゴトはケイを抱きしめた。自分を慕ってくれる相手とこうする方が魔力は格段に上がるし効率も良い、そう思って自分の行為を正当化していただけなのに、必死で求めてくる相手がいじらしくて、もっと深く知りたいと思ってしまった。魂の所有欲がむくむくと頭をもたげる。いっそのこと魔界に連れ去って妻にしてしまおうか。マゴトは人を相手にしていても滅多に思うことのない感情が沸き起こった自分に少し戸惑いを覚えた。やはりこの黒目がちな迷子の仔犬のような瞳が悪い、マゴトはケイの顔を見下ろしてそう思った。




