イチカ&ケイの場合
やがて昼休みは終わり、ブエルは喫茶楽園からテイクアウトした料理を片手にカーテンの向こうに声を掛けた。
「飯だよ。社長の自腹だ」
「えっ?ありがとうございます」
マゴトは受け取って大きな唐揚げの入った弁当と、鮭と卵焼き、おひたし、高野豆腐の並んだ、いかにも和食な弁当を見比べた。マゴトは実はこちらに来てから初めて高野豆腐を食べた際に間違ってスポンジが混入していたのかと疑ったほどの衝撃を受けたが、克服してしまうと時折食べたくなるというのが本音だった。
「どちらがいいですか?」
「え、あ…じゃあ…こっちで…」
ケイは和食の方を選ぶ。卵焼きがとても美味しそうに見えたからだった。久しく食べていない。
「待ってろ。天使の店長が味噌玉も寄越したから、味噌汁持っていく」
「……天使って聞こえましたけど…」
確かに弁当に貼られたシールには喫茶楽園と書かれていて天使の羽のマークがついていた。
「あぁ…実際に入ったことはないんですが…我々悪魔とも付き合いのある天使が喫茶店を経営してるんですよ…」
「あの…馬鹿みたいな質問なんですけど…天使と悪魔って…仲悪く…ないんですか?」
「あぁ…戦争をしていたのは大昔の話で今は和平条約を結んでいますから…ただ、仲がいいかと言われると…皆が皆ではないとも思いますから、この店主は少し変わり者の方かもしれませんね。でも、料理の腕前はかなりなものです」
マゴトは唐揚げを頬張って目を見張る。卵焼きを一口食べたケイも驚きの表情になった。
「わ!なにこれ!出汁の味が効いてて、とっても美味しい!」
そうして、ケイはしばらく振りにまともな食事を食べていることに気付く。ブエルがマグカップに味噌汁を入れて持ってきた。
「あの天使はこういうのも飽きずにちまちまやるんだよなぁ。こうも胃袋掴まれちゃ、下手な弱みを握られるより厄介だよ」
ケイとマゴトは受け取った味噌汁を飲んで、思わずため息を漏らす。胃袋を掴まれても仕方ないと思ってしまった。身体に染み渡る。
「お?あれ?近道を誰か使ったな」
ブエルが言ってカーテンの向こうに消える。
「あのさ、ソーシに呼ばれたから…来たんだけど…あと、差し入れ。こっちは先生の分」
カーテンの向こうから聞こえてきた声にケイはハッとした。
「あぁ…ありがと。はいはい、お見舞いに来てくれたよ」
カーテンの陰から少し緊張した面持ちでこちらに姿を現した少女に向かってケイは声を上げた。
「アール!!生きてたの!?死んだかと…思ってた…良かった…」
「あーうん、色々あって…って、泣かないで下さいってば!!」
途端に涙目になったケイの顔にイチカは慌てた。
「だって…!アールがいなくなったとき…リーが落とし前つけさせるって、ものすごい剣幕で怒鳴り散らかして出て行ったから…もうダメだって…」
想像がつく。キレたリーは怖かった。
「それよりもケイ姉、刺されたって聞いたけど…あ、大丈夫。事情は知ってるっていうか、俺も悪魔に戻ったっていうか、戻してもらったんで…こっち側の人間っす、って人間じゃねー悪魔っす。んで本名はイチカ。なんだかんだで、ここの悪魔たちには世話になりっぱなしで…あ、これは見舞いの品っす」
「イチカ…呼び慣れないなぁ…あ…これ…好きなやつ…覚えててくれたんだ…嬉しい…」
何の変哲もない市販のグミだったが、ケイ姉がこれをよく好んで食べていたのをイチカは覚えていた。収入に余力があったときにだけ買って食べていて、イチカにもくれた。
「あの、ここ悪魔だらけで変かもしれないけど、みんな親切にしてくれるからさ、不安にならなくて大丈夫っていうか…うん、そんなとこだから…」
そこで一度口を閉じたイチカは不思議そうにケイの方をじっと見つめる。
「あーなるほど、だからケイ姉って…男とやってもあんまり上がらないのか…うーん…あれ?」
イチカは突然腕を組んで考えながらマゴトを見る。唐揚げを飲み込んだマゴトはイチカと目が合って動揺を見せた。
「えっ?何で私を見るんですか!」
「いや…どうにかできるの?」
「それを私に聞かないで下さい!だいたい食事中じゃありませんか!少しは話題を選ぶとかしないんですか?」
「えっ?二人って…知り合いなの?」
ケイが驚いてマゴトとイチカの顔を見比べる。
「うん、まぁ。何だよ悪魔のくせに、こっちの世界に染まったの?で?出来るか出来ないかで言ったらどうなの?少し前の悪魔の気配が残ってるんだよね…だから、刺されたのかなって。弱い男を苛つかせる気配が残ってるせいで、変なのに絡まれるのかも。しっかり上書きした方がいいんじゃないかなって思うけど…たまに転生者でもその気配に反応して暴走しちゃうのがいるからさ」
イチカが言ったとき、カーテンの外で笑い声がした。ジーンが顔を覗かせる。
「なんだ、来てみたら私が言おうとしたことは、だいたいイチカが喋ってしまったな。見事な分析だったよ。マコト、そういう訳だから食事が終わって落ち着いたら、近道を通って私の家にケイを連れてイチカと共に帰ることだ。ストラスが二階と三階を改装したから部屋が増えた。この部屋の鍵を渡しておこう。二人で使うといい。残っている痕跡には君がしっかりと上書きをするんだ。上書きついでに男から魔力を吸い上げるやり方も教えてやるといい。きちんと覚えさせたら治験に進む。頼んだよ?」
ジーンはそれだけ言うとカードキーを渡して去ってゆく。マゴトは動揺を隠すかのように髪を掻き上げた。
「あーそうそう、人数も増えたし天使もいるから部屋に番号を振ったんだ。三〇七のキーか。書斎の近くだから奥の方だね。社員寮は数字で避難シェルターにはアルファベットが入ってるみたい。食べ終わって落ち着いたら出発するから、俺はそっちにいるね。魔力の相性も良さそうだし、ケイ姉は美人だろ?他の悪魔に頼まれなくて良かったな」
イチカはそう言って笑ってカーテンの中から出ると、ソファーに腰を下ろした。ブエルが気遣わしげな視線を向ける。イチカは口を尖らせた。
「このくらいの移動、別になんともないよ」
けれどもブエルは隣に座ってイチカのお腹に手を当てる。ゆっくりと魔力が流れ込みイチカは息を吐く。声に出さずにブエルは会話を始めた。
(無理はしてないんだろうけど、念のためだよ)
(先生って、最近全然こっちに顔出さないけど、そんなに彼女のとこがいい訳?)
(そりゃー合鍵を渡されたら帰ってやらない訳にはいかないだろ。それに、あっちは他の悪魔に気配を探られると思うと、落ち着いてひまりの身体を堪能できない)
(…なるほどね。先生って十分の一なのに元気だなーと思ってたら、彼女を魔力回復薬代わりにしてるからなのか。相性の良い子がいて良かったね。ありがと、楽になった)
(魔王の子が入ってるんだから、無理はするなよ?)
(分かってるって)
イチカはカーテンの向こうの気配を探る。マゴトとケイは合いそうだし、ケイはこの手のことには一切抵抗がなかった。毎回嘔吐していた自分とは違う。けれどもせっかく増幅させた魔力を蓄積するどころか、おおかた取りこぼしてしまう体質だとは思っていなかった。時折魔力回復薬を飲んでいるのも見たことがある。そのときだけ確かに元気だった気がする。イチカは魔力が増えて見えなかったものが見えるようになった途端に、ケイ姉の苦労が手に取るように分かってしまった。
(あの子は魔力を吸い取るよりも与えてしまう特殊体質のインキュバスなんだよ。そりゃインキュバスの間じゃ落ちこぼれ扱いされるよなぁ…可哀想に。それも個性の一つだって認める時代じゃなかったんだろうな…)
(そっか。ケイ姉には世話になったからさ。魔力回復スペースに逃げ込んでくれて良かったよ…そうじゃなきゃ…)
イチカはぶるっと震えた。かなりの出血量だったはずだ。ブエルはぽんとイチカの肩を叩いた。
「そんな難しい顔するなって。胎教に悪いぞ」
「あ…」
そのタイミングでこちらに出てきたケイは、ブエルがイチカに向かって言った言葉を聞いてしまった後だった。
「胎教って…アール…じゃなかったイチカ…?」
「あーうん。契約パートナーとの間の子だよ。俺…年齢サバ読んでたから、まだ結婚出来なくて。だから十八になったら結婚する予定…」
「契約パートナー…イチカ、具合悪くなってたのに、その人とは…」
言いかけたケイは突然入ってきた人物の顔に見覚えがあると思った。どこで見たのかと思って自分が逃げ込んだスペースを設置した社長だと気付く。つい最近もメディアで見たばかりだし、街の広告にも顔が出ている。俳優のように整った顔立ちで一度見たらすぐ分かる。が、実物の方が顔が小さいモデル体型だった。
「イチカー!!着いてるなら言ってよ!!」
「社長!会議の途中で勝手に退席しないで下さい!!」
後ろから追いかけてきた人物が叫ぶ。そんなこともお構いなしに、彼はイチカを抱きしめてキスをした。
「ちょっ!こら、ソーシ!!やめろ」
「あぁ…君が、うちのスペースに逃げ込んで命拾いしたお嬢さん?イチカの知り合いなんだってね。これからもイチカと仲良くしてほしいな。じゃあね、今日も定時退社を目指すよ!」
社長はもう一度抱きしめて、追いかけてきた人物に引きずられるようにして去って行く。イチカはため息をついた。
「テレビで見るよりアホっぽいっすよね。あれが…契約パートナーっす…お腹の子の父親で…転生前も夫婦だったんで…なんていうか…腐れ縁?」
「そりゃないよ、腐れ縁って」
ブエルが吹き出す。ケイはぽかんとした。
「えっ?セラヴィの社長が…契約パートナーで…前世の夫で…イチカのお腹の子の父親?えーっ!!すごっ玉の輿!なにそれ、びっくりし過ぎて嘘みたいな話!」
「あーそうなのかな。うん、そうっすよね。俺もなんかいまだに信じられないことばっかりだけど、前世の記憶もけっこう戻ってきたんで嘘じゃないって分かって…とりあえず、移動するっすね、ついてきて下さい」
イチカはそう言うと備え付けのロッカーのドアを何度か叩く。ケイはイチカがふざけているのかと思った。だがイチカがロッカーを開くとその先には明るい電灯の並んだ道が続いていた。
「暗いと嫌なんで少し明るくしたっす。じゃ行きますか。俺が先頭で次にケイ姉の方がいいっすよね。先生、また!」
イチカはケイの手を握るとロッカーの中に入り歩き出した。




