ジーン&医務室の悪魔Bの場合
五十嵐警部と樋口巡査部長はテキパキと用意を始めた三人を見ていて、その中に見知った顔があることに気付いた。
「成瀬くん…元気そうで良かった」
樋口巡査部長が声を掛けると瀬尾がそっと成瀬の肩に手を置いた。
「成瀬くんのことは責任を持って私が幸せにしますからご安心を。パートナーの瀬尾です」
穏やかで優しそうな成瀬よりも少し歳上に見える男性がそう言って樋口巡査部長に微笑む。今は樋口巡査部長にも彼も悪魔だと分かる。この三人は真面目そうな眼鏡の女性も含めて皆悪魔だ。
「まずは、都内を中心に試験的に設置してある魔力回復スペースについて説明していきます…」
瀬尾が解説を始める。雨宮のネームプレートをつけたラウムはアルシエルの使い魔が部下がオペレーターとして働くオフィス内の映像に繋ぐ。
「…魔力回復スペースで緊急事態が起こった場合は、ブース内の生体エネルギーの異常を検知して自動的にオペレーターに繋がり、場合によっては一番近い病院に救急搬送も可能なシステムとなっています」
映像内で電話に出たオペレーターの表情が急に厳しくなった。ジーンには映像内の音声も聞こえている。
『刺された?はい、血が止まらない?相手は…?あぁ、刃物はそのままで。抜いたらもっと出血する。今すぐ向かう』
画面からは死角になっている位置で緊急要請部隊として待機している使い魔二名が現場に向かう気配がした。瀬尾がさりげなく話題を切り替えたので、雨宮は映像を元の資料画面に戻す。だが自分のパソコン上ではオペレーターの映像も表示していた。
(病院に搬送していては間に合わない。会社の医務室に搬送しろ)
ジーンが直接指令を下す。使い魔の一人は個室内の清掃を済ませ、一人はその場から瞬間移動してきた。同時に常務のスマホが鳴った。
「分かった、すぐ行く」
常務は笑顔で少々外しますと言った。手招かれたフィランジェルはリツの姿に戻る。ただし姿を戻しただけで表にいるのはフィランジェルの意識だった。
「そのまま、二人に説明をお願いするよ」
ジーンはリツと共に足早に常務室から出た。
(どうしたの?)
(急患だ)
「あぁ、なるほど」
実は医務室に常駐する者も今は分裂した悪魔の一人だった。魔界で屈指の医者でもあるブエルの十分の一程度だが、アルシエルが新婚旅行に行く際に社長に何かあっても困るから短期間のみブエルに頼んだのだった。最初は異世界行きに大層文句を言っていたブエルだったが、戻ってきたので帰そうかと思ったら急に残ると言い出した。どうやら会社にいる札付き転生者の女性の一人といい感じになっているようだと、つい先ほど分かったところだった。
(それにしても、経理部の多田ひまりがブエルに簡単に落とされてしまうとはな)
(ま、あの見た目だから好きな子は好きなんじゃないかな。いかにも渋いイケおじ風だからさ)
二人が医務室に入るとカーテンの向こうでブエルが手術をしている気配がした。
(どうやら、私が手伝わなくても良さそうだな)
二人が待っていると、カーテンの陰から見知った顔が現れた。使い魔のマゴトだった。ようやく目が二つある生活にも慣れた様子の長身のマゴトはペコリと一礼をする。頭の中に声が響く。
(王妃さまのご懐妊、まことにおめでとうございます)
「あぁ、ありがとう。して?患者の方は?」
「それが…ですね。少し記憶を覗きましたら、もしかするとお二人の知り合い…という程ではないのですが…過去に顔を合わせたことがあるのかもしれず…」
マゴトは少し歯切れの悪い言い方をした。
「うん…?」
「あの…陛下にあのような趣味があるとは存じ上げず…失礼致しました…」
「趣味?なんの話だ?」
「…し、少女の姿をして王妃を仔猫に変えていたではありませんか。どういった趣旨の余興ですか?陛下があのような姿をなさるのを初めて見ましたから、とても驚きましたよ!」
「あぁ、あれは潜入捜査だ。余興じゃない。失礼な奴だな」
「え?じゃあ銀の枝に潜入したときの話?」
二人は思わず顔を見合わせる。そこに手術を終えたブエルが姿を現した。四十代前半といった見た目で少し伸びた黒いクセ毛を後ろで一つに束ねている。知的に見える眼鏡が伊達だとジーンは知っていた。全ては相手から上質な魔力を得る為の役作りで行っている。本性はわりと好色なのも知っていた。差し込み名は武衛流。元の名前を漢字表記にしろとゴネた結果、エストリエが適当に拾ってこうなった訳だが、本人は気に入ったようだった。まるで日本好きで漢字に憧れる外国人のようなノリだ。
「無事に終わりましたよ。今は魔力で眠らせています。まったく…随分と物騒な世界ですね、ここは。何だってあんな美人が刺されなきゃならないんですかねぇ…」
ブエルはソファーにどさりと座るとリツの方を見て首を傾げた。
「うん…?あれ?今は天使の方ですか?あぁ…魔力を使ったら疲労したから、後でひまりを呼ぼうかな。あの子とはとても相性が良くてね。一度試したら、お互いに手放せなくなりましたよ…」
「武衛先生は…前世の多田さんが持っているかもしれない魔女の秘薬の知識について興味があって接近したのでは?」
「陛下…これはまた、よくご存知で。えぇ、最初の目的はそうだったのですよ。親密になって記憶を覗き見できるくらいの間柄になって…でも少々私の考えが甘かったようです。あの独特な魔力と悪魔よりも小さな身体をもっと味わい尽くしたくなりましてね…」
ジーンは語り始めると止まりそうにもないブエルの言葉に少し呆れた様子で立ち上がるとリツを手招いた。カーテンで区切られた方へ行って覗くと美しい若い女性が眠っていた。
「あ…この子…!!」
セミロングの黒髪に泣きぼくろの妙に色っぽい顔立ちの女性にリツは見覚えがあった。左肩の辺りにも包帯が巻かれている。ジーンはそこにタトゥーがあったのを知っていた。火傷をしている。消すための金がないから焼いたのだろうかと思った。
「確か…ケイ姉と呼ばれていたな…」
ジーンはおでこに手を当てる。彼女は最近銀の枝から逃げ出したが、見つかって連れ戻されそうになったのだと分かった。咄嗟に目に入った魔力回復スペースに逃げ込んで揉み合っているうちに刺された。驚いた相手は扉を物理的に壊して逃走したがそちらもすでに個人の特定が済んでいる。銀の枝は瓦解し始めていた。自分が関わったからだとジーンは思った。残された者は見つけ次第、別の職を与えて生きていく術を身に付けさせるか、まだ若い者は希望するなら転生者施設へ戻すことも視野に入れていた。だが施設に戻ったのはごく少数だとすでに報告が上がってきている。元々逃げ出してきた場所だ。逃げ出すからにはそれなりの理由がある。ジーンは彼女の指紋で行方不明者リストの中から検索をかける。本来なら閲覧など不可能だが魔界のシステムを経由すれば造作もなかった。しばらくして三十七区の転生者施設に合致する情報が出てきた。今よりもかなり写真の少女は幼い顔立ちをしているが、右目の下に泣きぼくろがある。七山奎梛。転生者の割には妙に画数の多い漢字表記だとジーンは思って、経歴を見ると最初は産んだ母親が手続きもせずに育てていたが、病死して施設に引き取られた経緯が記されていた。行方不明になったのは十一歳の頃だった。少女たちは十代に入ると途端に施設から逃げ出すケースが多い。何があったかはだいたい想像がつく。
(…イチカが知ったら…どう思うかな…また自分のせいだって背負い込みそう…)
(イチカじゃないよ。むしろ私だな。銀の枝を破滅に追い込んだのは…だから、彼女も含めて可能な限りのフォローはするつもりなんだよ…)
不意にリツは近くにあったケイの手が自分の指をそっと握るのを感じた。
「あ…」
まぶたが開いて視線を彷徨わせた相手がリツを見つけて、不思議そうな顔になった。
「…天使…?」
リツはフィランジェルの姿をしている訳でもないのにそう言われて少し驚いた。
「大丈夫だよ。安心して。ここは安全だから」
リツが微笑んで手を握り返すと、彼女はホッとしたように息を吐いた。
「ありがとう…私を…運んでくれた人に…お礼…言いたい…魔力を…分けて…くれたから」
ジーンが小さく笑ってマゴトを呼びに行く気配がした。




