ベルフェゴール&カイムの場合 1
「じゃあな、おやすみ」
イチカはハルに手を振る。あの真面目そうなカイがよく了承したなと思ったが、とりあえず毎晩のようにハルと眠っていてルシフェルと触れ合う時間がなかなかなかったのも事実なのだった。不安も抱えた上に触れ合いが減った結果としてイチカは体調不良になっていた。
「イチカ…」
寝室に入るとすぐにルシフェルが抱きしめてきた。アルシエルが戻ったからなのか、今日は悪魔の姿をしている。確かに室内の魔力も安定していた。ルシフェルの長い黒髪と紫の瞳を見つめる。今目の前にいるのは少し女性的にも見える美しい悪魔だ。昼休みにも話したから、彼が妊娠に否定的だった訳ではないと分かってホッとしたところだった。
「ソーシ…」
「イチカ、不安にさせて悪かったよ。僕は子どもができて嬉しかったんだ。同時に不安だった。イチカの身体がこの世界での出産に耐えられるのか…それも含めて心配だったんだ」
「うん…でも、ルイだって妊婦じゃん。ストラスが何も考えないでそんなことするとは思えないから、きっと大丈夫だよ」
ルシフェルは無言でイチカの頭を撫でていたが不意にイチカを見下ろして言った。
「うん?今のって、僕は考えもなしにそうしたって遠回しに言ってるように聞こえるんだけど?」
「だって…実際…そうじゃないか…もうピルは飲んでないからちゃんと避妊しろって俺はあのとき言ったぞ?なのに、獣みたいにがっついてきたのはソーシじゃん…」
「あ…。うん、本当に…悪かったよ。あの夜は本当に抑えが利かなくてさ…何だか猛烈にイチカに僕の子を産んでほしいって思ったんだよね…後で聞いたらアルシエルがリツを抱いて妊娠させた日だった…魔界でもその日からしばらくの間すごかったらしいよ。一気に妊婦が倍増、この家だけでも…ラウムと花咲さんがそうなったし…とんでもない影響力だよ」
「はぁ?楓!?だって楓は…」
「うん、今の身体は男性だけどね。夢の中で雌豹になったから妊娠したんだよ。本人も気付いてなくて、アルシエルに指摘されてびっくりって感じだったみたいだよ。それで、真面目な話をするけど、そろそろお腹の子にも魔力を与えないといけないから…僕以外のイチカの好きそうな悪魔とハグしたりキスしたりってことが必要になるんだけど、大丈夫そう?誰とする?」
「あーそういえば…悪魔の子にはそんなことも…必要だったね…こっちでもそうなのか…誰とって言われても…あ、リツがいい!リツ!それかガブリエル。あとはルイかな。それとアサヒ」
「イチカ、悪魔になりたてばかり指名しちゃダメだよ。リツは今、神聖力の方が増してるみたいだし。それにガブリエルは天使でしょ。天使に慣れさせてどうするの。ちゃんと昔からの悪魔にして」
「えーだって…アルシエルにはちょっと頼みにくいし…だったらストラスかなぁ…ベルフェゴールって言ったらソーシ、嫌だろ?」
「え?別に嫌ってことはないよ。イチカが慣れてる悪魔の方が拒絶反応も出ないと思うから僕は別に師匠でも反対はしないよ?」
イチカの頭をルシフェルの手が優しく撫でる。ベルフェゴールは言わばリリスの元彼の一人だ。ルシフェルに出会う前のリリスは自由奔放だった。その中でもベルフェゴールとはそれなりにうまくいっていたと思う。互いに執着しない点においても。
「ソーシ…本当にいいの…?」
「うん。師匠なら任せても大丈夫かな。口で言うほど師匠はろくでもない悪魔じゃないよ」
「ん…」
自然と重なった唇からルシフェルの魔力が流れ込んできた。いつものように穏やかだ。イチカはホッとして目を閉じた。
***
同じ頃カイはベッドの中でハルに抱きつかれていた。
(なぜこうなった…)
ハルにいい匂いがすると言われたのは多分ボディソープの匂いだと思う。が、ぴたりとくっついたハルはそのまま安心したように眠ってしまった。一人で眠ると悪い夢を見るのだとハルは言っていた。今は安心しきった顔をしている。
(なんなんだ…この距離は。少し好意を抱かせただけなのに…無防備過ぎるだろ…)
信用され過ぎている自分は本当にハルにとっては友人で異性として認識していないのだろう。ハルはまだ丸みのないどこか少年のような身体つきをしていた。そんなところまで昔の自分のようだ。ハルの寝息を聞きながら眠れそうにもないなと思っていると、無理矢理夢の領域に引き込まれた。
(悶々と考えてたら余計に眠れないぞ?)
夢の領域には青年のカイムがいてベルフェゴール大佐がその横に寝そべっている。カイムが降りてきて夢の中で同化すると大佐の手が肩に触れて抱き寄せられた。
(少し触れ合おうか。思いのほか消耗すると聞いていたが、確かにその通りだな…ルシフェルはよく平然としていられる…)
少年姿のカイはハルに寄せられる好意のお陰で少し魔力の減り方が緩やかだったが、大佐は天使に触れたこともあってか魔力が来た時よりも明らかに減っていた。
(夢の領域では足りないな)
耳元で指を鳴らされてカイムは目を開く。目の前に大佐の顔がある。いつもは無造作に束ねた髪が解けている。それは自分も同じだった。大佐の顔が近付いてきて、カイムは目を閉じる。両手を伸ばして大佐の髪に触れた。アグラットに言われたからだ。実際にその方が魔力は上がった。
「教えに忠実なのはいいが…たまにはそこから逸脱してもいい…」
耳元で囁かれたカイムは女性の姿になった。大佐はこの方が気分が上がるのを知っている。
「…お前ね、振り幅が大き過ぎるよ。アグラットには女にはなるなって言われただろ?忘れたのか?」
呆れた様子の割には、すでに片手で乳房を掴んでいる大佐に向かってカイムは言った。
「第一夫人は向こうでいくら頼まれても女の子にはなっちゃダメだと確かに仰りましたが、今回は私が頼まれた訳でもないのに勝手になった訳ですから、問題はありません」
「あー上司が屁理屈をこねると部下もそうなる訳か…やられたな」
大佐は極上の美女を見下ろしてため息をついた。カイムは男性の姿よりも女性の方が格段に美しくなる。だが媚びないで仕事をするのに男性の姿でいるのだ。もったいないと思う。だが自分の前でだけこの姿を晒すのは悪くないと大佐は思った。特別扱いされるのは気分がいい。
「こちらの姿の方が大佐も魔力を上げやすいでしょう?要するに避妊さえすれば問題はないのですから大丈夫です。どうぞ?私は準備が済んでいますから、そのままでも問題はありません。どの姿でも子どもはできないように、身体の中にある女性の機能のみ幼児退行させましたから、お好きにどうぞ」
「…カイム…そこまでするか?」
何か言いたげな大佐の顔を見上げてカイムは首の後ろから背中に指先を這わせた。大佐は何とも言えない表情をする。
「ったく…情緒のない奴だな…」
「魔力を上げるのに情緒などと悠長なことを言っている場合ではないでしょう。大佐だって効率を求めるじゃありませんか」
「…お前こそ、なんでそんなやり方を知ってる?クソ真面目な悪魔のくせに、どこで誰にそんな技を学んだ?」
少し喋り過ぎたことをカイムは後悔した。
「大佐に手間をかけさせたくないだけですよ…」
そう言ったが、長年の経験で彼がこの程度の言い訳では納得しないことも分かっていた。とっさに良い嘘を思いつけない。カイムは口を開いた。
「…中等部の頃に…女の姿でいたら…教師に襲われました。油断していたんです。親切で真面目な先生でしたから。それに別に酷いことは…されませんでしたよ。そのときに、そういう魔力の使い方があると教えられました。要するに実地訓練です。私は悪魔本来の姿になると…鳥類になってしまいますから…体内の機能を幼くする以外に望まぬ妊娠を避ける方法がないのも事実でしたし。卵ができてしまってからでは遅いでしょう。有精卵を勝手に処分したら罰せられますから。罰金だって高額です。だから今行っているのはそのとき学んだ応用です。むしろあの教師には感謝してますよ。そうでないならきっと婚外子ばかりになって私一人じゃ育てられずとっくに生活も破綻してます。戦闘能力も低いですから。大佐に出会うまでは下っ端の仕事ばかりで食うのがやっとの生活をしている私に奇跡的に子どもが一人もいないのは、そういう訳です…」
「……その気が失せた…お前、秘密が多過ぎるよ…」
大佐はベッドから身体を起こすと、引き出しを開けて注射器を取り出した。
「…しないんですか?」
「カイム…お前さ、サキュバスやインキュバスの使う高等な避妊のやり方を平然と学んでしれっと使ってるって言われて俺が何も感じないで続けられると思ってるんだとしたら、さぞかし、ろくでもない上司認定されてるんだろうなと、俺でも多少は落ち込むってこと分かってないだろ…お前の仕事はそういうことじゃない…俺が求めている関係性じゃないんだ…」
大佐はカイムの肩の辺りに注射をする。不足していた魔力がそれで満たされるのを感じた。大佐は無造作に自分の太腿にも同じ注射をする。そして恨めしげな顔をしてカイムの頭を撫でた。
「なんか、拗らせてるんだろうなとは思っていたから、今日はお前の本音が聞けて良かったとは思うよ。俺はお前を確かに利用しようと思って連れて来た。けど半分は口実だった。身体の関係を重ねていけば、いつしかお前の心も手に入れられるかもしれないっていう都合の良い夢を見ていたんだな。お前にとっては仕事でしかないと分かってはいたけど、ここまで徹底してるとは思っていなかったんだよ…」
大佐はカイムの頭を撫でて唇を重ねる。カイムは目を閉じた。口付けには少し慣れた、そう思う。
「お前はさ、愛が何かも知らずに自分の身体の使い方だけ先に学ばされたんだな。教えた方もどうかしてるよ。あーこれは時間がかかるな。俺の魔力が枯渇するのと、カイムが愛が何なのかを知るのと…どっちが早いんだろうな。とりあえずくっついて寝るぞ。何もしなくてもこれでも多少は上がる」
大佐はカイムを後から抱きしめると布団をかぶって無言になった。抱きしめられた腕から大佐の魔力を感じる。
「…どうして…魔力を上げる話に愛が何かが関係するんです?」
「うるさいよ、愛を知らない精神年齢がお子さまな奴は黙って寝てろ、おやすみ」
大佐の方から眠りを促す魔力を流されたのが分かった。少し怒っている。なぜ怒っているのか分からなかったが、カイムはそれを考える前に深い眠りに落ちてしまっていた。




