ベルフェゴール&ルシフェルの場合 1
ベルフェゴール大佐は慇懃無礼なその一礼の後に、大股に社長に歩み寄った。社長は無言のままだったが動揺しているように見えた。いつもは飄々としているのに随分と様子が違う。大佐は急にガバッと社長を抱きしめて、大声を上げた。
「このクソガキが!!心配かけさせやがって!急に姿を消して何百年も行方知れずとか、どんだけだよ!!」
ジーンは平然としていたが、リツは訳が分からずにポカンとしてしまった。
「すみません…師匠…リリスのことも…本当に…ごめんなさい…」
社長は小声で謝罪する。
「別にリリスのことは怒っちゃいねーよ。リリスがお前を選んだんだ。けどな、お前アルシエルに迷惑かけ過ぎなんだよ!こっちの世界じゃ社長だか何だか知らねぇが、いつまでも巣立ちできない雛みたいに、アルシエルの世話になってんじゃねー!魔界に戻る気があるのかないのか、いい加減にハッキリしろ!弟子がこんなんじゃ、いつまで経っても俺は引退出来ないんだよ。さっさと田舎でダラダラ食って寝て美人を抱いて隠遁生活を送るのが俺の理想なんだ!分かったなら腹くくれ!!」
「えぇ…?師匠…隠遁生活にはまだ早いでしょう…」
「あーベルフェゴール大佐、腹が減っているだろうから、続きは後にしようか。まずは食事だ」
アルシエルがその場を仲裁して、大佐はとりあえず席に座った。いつの間にかイチカとカイとハルもリビングに来ていて、大勢でテーブルを囲んでの食事が始まった。
「…こちらでは昆虫食は流行っていないというのは本当だったんですね」
カイムが感心したように言う。ルイがサラダを食べながら笑った。
「でも、想像と違って魔界のは美味しかったよ。最初はどんな怖い見た目の料理が出てくるかと思ったけど、いかにも虫です!って感じじゃなかったしね」
それでも近くで会話を聞いていた成瀬は渋い顔をした。
「大丈夫ですよ。無理をして食べる必要はありませんから…」
「ルイくんは…食べたの?」
それでも成瀬は尋ねる。
「うん、リツも食べたよ。言われなきゃ気付かないよ。美味しかった」
美少女姿のルイの方に言われて成瀬は少年の姿のルイと思わず見比べる。ストラスは成瀬の顔を見てニヤリと笑った。
「なんだ?美少女のルイに惚れたか?」
「そ、そういう訳じゃ…でも…本当に二人に分かれているんだなと…思っただけです。僕にもできるといいのですが」
ストラスは久々に味噌汁を飲んで満足気な顔をしたが、成瀬の顔をじっと見た。
「うーん、やるにはまだ魔力が足りないよ。なんだ?成瀬ももしかして子どもが欲しくなったのか?家の空気に影響されたか?」
ストラスの言葉に成瀬は慌てた様子を見せたが、隣のオセが成瀬の目を見て言った。
(影響されるかされないかで言ったら、影響はうけますよ。僕は悪魔に戻してもらうのに彼に魂を捧げましたから、彼がルイくんを妊娠させたと分かったら、僕も恭也に同じことをしたくなった…もしも魔界に行っていたら恭也は僕の子を身籠っていたでしょうね)
オセの言葉が聞こえていたストラスは成瀬を見て頷いた。声に出さなかったのは、近くにハルが座っていたからかもしれない。ハルは少年のカイとの会話に夢中になっていたが、元々学校で勤務していたこともあって、彼は話題には気をつけているようだった。むしろ魔界に行って感覚の緩んだルイやストラスの方が失言しそうだと思って、二人は気を引き締めた。
「成瀬さん、昆虫食はともかく、魔界はいいところだったよ。だから安心して」
少年のルイは平然と肉料理を食べ始めたが少女姿のルイの箸の進みが遅いことにストラスは気付く。
「ルイ…もしかして…?」
尋ねると少女姿のルイはお腹を撫でながら小さく頷いた。
「なんか…食べると胃が重たい感じがするというか…これがそうなの?なんか気持ち悪い…」
「あぁ…どうやら、そうみたいだな。お腹の子が大きくなるのが早いから、悪阻が来るのも早いんだろう…食べれそうなあっさりしたもの食っとけ。無理して食べなくても大丈夫だ。こっちのルイに食ってもらって共有すればいい」
ストラスは少年姿のルイを指差す。
「サラダは食べれそう…あとはゼリーとかなら…うん…」
少女姿のルイに向かって少年のルイが言った。
「僕の方はモリモリ食べれそうだから、任せといて!」
二人のやり取りを見ていた成瀬は感心したように頷いた。
「なるほど。こういうときには分裂できた方が良さそうですね…勉強になります。僕も分裂できるくらいに魔力を上げたいですね」
成瀬は真面目な顔をしてそう言った。
***
食後にイチカとハルがお風呂に入りに行っている間に、カイがベルフェゴール大佐のところにやって来た。
「ちんまりしてて可愛いな。学校に行って悪い大人にイタズラされるなよ?」
「…そんなことを考えるのは大佐くらいですよ」
カイは大佐を見上げて言う。
「で?何か問題でもあったか?」
大佐の言葉にカイは少し困ったように頷いた。
「…ハルに…一緒の部屋で寝ようと…誘われたんですが、どうすべきですか?」
「あん?あーそう来たか。参ったな」
近くで会話を聞いていたストラスとジーンは、ハルの人との距離感が少し他人とは異なることを理解していた。振り返った大佐にストラスが言った。
「悪気なく誘うのがハルなんだよな…カイがそういうことをする訳がないと思ってる…カイのことだから、まー別に我慢はできるだろうが、問題は大佐の方だよ」
「俺?どうして俺なんだ」
「カイムに手を出さずに我慢できるのか?大人しくハルとカイが寝ようとしてるときに、カイムにいたずらしたら分裂してても多少影響は出る…」
ジーンに言われた大佐は、カイムとカイの顔を見てフッと笑った。
「まーお子さまが寝るまでは大人しく待っててやればいいってことですよね?そのくらいは待てますよ。そんなに餓えちゃいない…」
大佐はそう言ってカイの頭に触れる。
「うーん、子どもにベクトルは向かないハズなんだが…カイムだからなのかな。ちょっとアリかもしれない…」
カイは大佐の言葉に慌てて飛び退る。
「あの…一応、カイ・フォスターは十三の設定なんですから怖いことを言うのは止めて下さい!僕を壊す気ですか?」
「何言ってんの。壊さないよ。ちょっと撫でたりキスしたりするだけだ。最後までするなんて誰も言ってない」
カイは気怠い大人の色気をまとったベルフェゴール大佐を見上げてため息をついた。ちょっと撫でたりキスしたりでは済まないのが大佐だということを、アグラットの教育の際に経験してしまったせいだった。それに自慢にもならないが、魔界の学校に通っていた頃、カイムは教師にも誘われたことが何度かあった。一見すると真面目そうな教師に限ってそうだから、油断も隙もあったものではなかった。
「ふーん。なるほどね。カイ…もう少し不細工な顔にしておいても良かったかもしれないねぇ。それか体臭キツくするとか?」
大佐がカイの顔を見て思案する。
「そうしたら、ハルにも嫌われるでしょう!体臭は論外です!!」
大佐は唐突にくんくんとカイムの匂いを嗅ぐ。そしてカイの匂いも嗅いで安心したような顔をした。
「カイムの匂いはまだしないんだな。子どものときは出ないのか?カイムはいい匂いがするんだよ。少なくとも俺にはそう感じる」
どさくさに紛れて肩を抱かれたカイムは振り払うのを諦めた。自分では分からないが何かしらの匂いを出しているらしい。
「な、分かるか?」
近くを通ったアサヒに向かってベルフェゴール大佐が突然話しかける。アサヒは確かにラウムとは違う大人の香りを嗅いだと思っていた。ベレトの直感で、二種類の匂いを嗅ぎ分ける。
「…二人とも…いい匂いが…します…」
正直に答えてしまってアサヒはハッとして目を瞬いた。大佐はアサヒを上から下まで舐め回すように見て、フッと笑う。
「なかなか旨そうな魔力だな…陛下の使い魔なのか?ラウムの嫁かと思ったら今は夫なのか。ラウムに飽きたら遊びに来るといい。可愛がってやるよ?」
「大佐…ここは魔界じゃないんだ。誰でも彼でも気軽に声をかけると、アグラットの角が伸びる…何のためにカイムを同行させたと思ってる?」
ジーンの呆れた声に大佐は髪を掻き上げた。
「だって、ここにいるのは大半が悪魔じゃないか。アグラットに人間には手を出さないと約束はしたが、悪魔に手を出さないとは一言も言ってない…別に悪魔なら問題もないだろう。俺が誰だか分かっているんだから」
「あぁ…また大佐の詭弁が始まったな。やれやれ、人間には手を出さない…か」
ストラスが肩をすくめてジーンを見る。
「大佐、ここにはハルのような人間や悪魔になって日の浅い元人間もいる。魔界での大佐の振る舞いがここでも通用するかと言ったらしない場合の方が多い。今回ハルのためにカイムを貸してくれたことについては感謝している。カイに何かしたいなら私に止める権利はないが、ハルには絶対に悟られるな。あの子は目を持っている。余計なものまで見られる可能性があるから、手を出さない方が無難だ…」
「やれやれ…想像よりも縛りがありますね…ま、不自由の中で抜け穴を探して楽しむのも悪くはないですよ。カイはせいぜいハルと仲良くするといいさ。子どもとはいえ、女子にモテるなんて経験、今後はないかもしれないしな…」
「大概失礼ですね…」
カイは言ったが、確かに当たらずとも遠からず、カイムは女悪魔よりも圧倒的に男性に声をかけられる率のほうが高いのだった。それにハルは自分と同じ傷を持つカイに親近感を持っただけだから、本当の意味でモテているのとは違う気もした。とはいえ、こちらの学校に興味がない訳でもなかったので、カイムは明日を楽しみにしている気持ちも否定できなかった。ハルは雛鳥のようにカイに懐いている。ルイと三人で登校する姿を想像してカイムは微笑んだ。




