ベルフェゴール&イオフィエルの場合
「やれやれ、何を大騒ぎしてるんだ?キスがどうのこうのと聞こえてきたが…」
あくびをしながら二階から降りてきたベルフェゴール大佐にミカエルがかいつまんで経緯を説明すると、大佐はフッと笑ってイオフィエルの顔を見た。後ろからカイムも姿を現す。相変わらずカイムはきっちりしているとリツは思った。
「俺は少女はそこまで好きな訳でもないが…年齢的にはクリアか…で?その格好はミカエルの趣味なのか?もう少し身体がデカい方が出産は楽だぞ?今のままだと開いた骨盤を元に戻すのも大変そうだ。知ってるか?悪魔は交わりながら相手の身体を変えるんだ。快楽の追求のみじゃなく種族によってはそうしないと骨格が違い過ぎて難産で相手が死んでしまうからな。そうやって念入りに準備してから種付けを行う。まー俺が天使のお前に初めてキスする悪魔になってやりたいところだが、俺の魔力じゃ半分でもちょっとキツいかもな。最初は軽くいこうか」
大佐に距離を詰められたイオフィエルは慌てて周囲を見回したが、天使の上官は笑っていて助けてくれそうにもなく、他は皆悪魔なのだった。イオフィエルはじりじりと後退る。
「あ、あの…ちょっと…待って下さい…!」
「待たないよ。さっさと終わらせた方が早い。俺はそろそろ腹が減ってるんだ。早く何か食いたい」
大佐は壁に手をついてイオフィエルの退路を断った。
「リアルで壁ドンって初めて見た…カッコいい…!」
アサヒが小声でつぶやく。なんだかんだ言いながらも中三男子は興味津々だった。隣でラウムが咳払いをする。アサヒは真面目なくせにこういうところがある。
「ほんとに…ちょっとだけ…ですよ?」
「分かってるから、そんなに怖がるなって…」
そう言うと大佐は屈んでイオフィエルのおでこに口付けをした。イオフィエルは唇にされると思っていたので拍子抜けした顔になる。けれどもおでこから流れ込んできた魔力にイオフィエルは腰が抜けそうになった。へたり込みかけたイオフィエルを抱き寄せて大佐はズルい顔をした。
「キスはキスでも…明確にどこに、という指示はなかったからな。今日のところはこの辺で勘弁しておいてやるよ。俺が本気を出したら気絶どころじゃ済まなくなるだろうし…まだ半分お子さまみたいな天使に唇は早い…」
イオフィエルを軽々と抱き上げた大佐は、ミカエルにイオフィエルを渡した。
「指示は細部に至るまで明確に。曖昧さを回避しておかないと、悪魔はどこにでも口付けするからな…イオフィエルがもっと嫌がりそうな場所にもね…案としては悪くないが、嫌がる相手にするのも気が引ける。この様子じゃ、しばらくはハグ程度が妥当だな。悪魔とのハグに慣れたらキスだ。ハードルを急に上げすぎなんだよ。ミカエルは夫としての役割を一から勉強し直した方がいいんじゃないか?子作りはいいが、夫婦になるなら子どもさえ出来ればいいって訳でもないんだよ。育て方を間違えると後が怖いぞ?」
「…肝に銘じるよ。まさか悪魔の君に諭される日が来るとはねぇ…夫の役割か…正直に言うと…あまり考えてなかったな」
ミカエルは笑って受け取ったイオフィエルの頭を片手で撫でる。イオフィエルはミカエルの肩に顔を埋めていた。大佐の顔がまともに見れない。ただおでこに口付けされただけなのに、ミカエルが唇にキスしたときのような、しびれる感じが全身を突き抜けて身体の力が入らなくなったのだった。これで唇にされたら自分は頭がおかしくなるかもしれない、イオフィエルは本気でそう思った。悪魔は皆そうなのだろうか。恐ろしい。
「俺は部下には優しい上司なんだよ…面倒くさがりだけどな。優しくしてやれば、部下も喜んで働いてくれる。俺がダラダラしていても口うるさく文句も言われない…あ、どこにでも例外はいるけどな…」
大佐は後ろを振り返り、そこでその例外である呆れ顔のカイムと目が合った。
「…ついでに私を落とす気でいるのに、何を言っているのやら。本当に優しい上司ならば、嫌がる部下をこんなところにまで出張させないと思いますが。第一夫人直々にあなたの夜のお世話まで仰せつかった部下の気持ちを本当に理解しているんですか?私は仕事の延長上にあなたの第何番目かの夫人としての役割まで込みで契約させられたも同然なんですから、あまり軽々しく天使にちょっかいを出さないで下さい。第一夫人に叱られるのは私なんですから」
黙って見ていた青年の方のカイムがそう言ってイオフィエルをどこか気の毒そうに見た。ちなみに少年のカイとハルは登校の準備のために仲良く二人で持ち物を揃えているところだった。もちろん別室にいる。ハルにこんな会話は聞かせられない、とカイムは思った。
「あなたも私も立場としては似たようなものだったのですね。心中、お察し致します」
カイムがイオフィエルに向かって言うと、今まで目も合わせなかった天使が初めてこちらを見た。
「あなたも…なの?」
「はい、私は主に大佐の魔力切れを補うために同行しました。第一夫人に頼まれましたから、お目付け役も兼ねています。第一夫人はキスくらいではうるさくは言いませんが…まぁ、言ってしまえば私は大佐と魔力の相性が良かったから選ばれただけです。ところで天使の神聖力も魔力同様に相性があるんでしょうか?その辺りは悪魔としては興味があります」
「…カイム、そのくらいにしといてやれよ。もうじき社長たちも帰ってくるから、そろそろ夕飯の時間だ」
ストラスが割って入りそこで話は終了となる。イオフィエルはすでに疲労しきった様子で椅子に座っていた。どこからともなく黒木とシャイタンが現れてテーブルに次々と料理が運ばれてきた。大佐は腹が減ったと言っていただけあって料理を見るなり嬉しそうな顔をした。家のどこかのドアの開く音がして、ただいまと言いながら複数の悪魔の気配が近付いてきた。
「あ、ただいま戻りました…お久しぶりです」
変わらない様子の瀬尾が言って隣の成瀬がペコリと一礼をする。けれども瀬尾も成瀬もほぼ同時に天使に気付いてギョッとした表情をした。
「なっ…なんでこんな悪魔だらけのところに天使がいるんですか!?」
成瀬の言葉にミカエルは爆笑した。
「面白い子だねぇ…君も悪魔にしてもらったの?私はミカエル。ガブリエルの知り合いだよ、よろしくね。しばらく滞在する予定だからさ。久々の異世界も面白そうだ」
椅子でぐったりしているイオフィエルの手を握ってリツは少し魔力を流す要領で神聖力らしき力を送ってみた。イオフィエルはピクリと反応すると、少し赤い顔でリツを見た。リツは声に出さずにイオフィエルの目を見つめた。
(子どものことはとりあえず置いておくとして…本当に近々ミカエルに抱いてもらわないと、イオフィエルの身体が持たないかもしれないよ?私は悪魔の魔力を貰っても、今はお腹の子がほとんど神聖力に変えちゃうみたい。だからこうやって分けてあげられるけど)
そこにジーンの顔が割り込んでリツに突然口付けを始める。イオフィエルに力を与えたのがバレていた。
「リツ、大盤振る舞いしてお仕置きをされたのを忘れたのか?神聖力を生み出せるからと油断しない方が身のためだ。後はミカエルにさせるんだ。ミカエルも学ばねばならないことはたくさんある。ミカエルとイオフィエルが向き合うべき課題もね。会ったばかりの頃の私たちと同じなんだよ…その辛さと乾きも…多分、乗り越えるのには必要な経験の一つなんだ」
ジーンに言われてリツはそっとイオフィエルから手を離した。ジーンはリツの頭を撫でる。反対側からミカエルの手が伸びてイオフィエルの肩に優しく触れるのが見えた。なんだかんだ言いながらもイオフィエルのことは気にかけているようで、少しホッとする。
「…ジーンはどうして私の神聖力を浴びても平気なの?」
リツは不意に沸き起こった疑問を口にした。彼は微笑んでリツの頬を撫でた。
「まぁ…私は良くも悪くもこの世界で魔力も神聖力も分けずに使う生き方を学んだからかな。市販の魔力回復薬には両方の成分が含まれていたし、試しに色々使ってみたがその中で神聖力も相性はさほど悪くないと感じたんだよ。だから私は自分の身体の中でリツの神聖力を取り込んだら魔力に変えて使えるのではないかと…ここ最近試しているところだ。力の根本はそう変わらないはずなんだ。闇と光に分かれる前の混沌とした力…ケビンの身体を想像すると分かりやすいかもしれない。要するに雑多な魔力を溜め込んでも動じない身体に自分を変えてしまえばいいだけの話なんだ…」
ジーンは簡単なことのように言ったが、とんでもないことを聞かされたとリツは思った。ところが近くにいたストラスも同意したように頷いた。
「口付けした感じは…確かに以前の魔力とは変わった印象はありましたが、マズくなった訳じゃないんですよね。あれが神聖力だとするなら、むしろ爽やかで飲みやすいというか…」
そこでジロリとジーンに一瞥されてストラスは苦笑する。
「正直な感想を分かりやすく表現したただけじゃないですか。リツさんは相性の悪い魔力の味を知らないかもしれませんが、酷いものだと生ゴミのゴミ箱に頭を突っ込んだみたいに吐き気がします。あんまり詳しい話は食事前の話題には相応しくないので止めますが、リツさんの魔力は神聖力が多くても美味しかったですよ?だから俺の魔力とも相性がいいってことです」
ストラスは笑った。両側に座ったルイがリツを見て頬を膨らます。ストラスは左右のルイの頭を撫でた。
「ルイ、そう拗ねるなよ。後からたっぷり可愛がってやるからさ」
そうしてストラスとジーンはそこでベルフェゴール大佐の前で社長が微妙な表情で固まっていることに気付いて同時に振り返った。宮森も社長の感情に引きずられたのか、眉を寄せている。
「大変お久しぶりです、元魔王ルシフェル」
次の瞬間、ベルフェゴール大佐が美声を響かせて、わざとらしく一礼をするのが見えた。




