ラウム&アサヒの場合 6
夕方近くになってアサヒが帰宅した。アサヒに同行していた様子のラウムが影から半分だけ姿を現す。心なしかラウムの様子に違和感を覚えてリツは目をこする。隣のルイが声をかけた。
「おかえりーラウムさん…もしかして分裂してる?」
「あぁ、バレてしまいましたか。半分は念のためにサタンさまに同行していますので」
「あーお疲れさま」
もう一人のルイが言う。こちらのルイは髪の長い少女姿でお腹が膨らんでいた。帰宅したアサヒは少年と少女のルイが二人いることに気付いて微妙な表情をした。
「あれ?アサヒは妊娠…してないのか?ん?あれ?おかしいなぁ…」
おおよそブレザー姿の男子中学生に対して言うセリフではないが、そんなことをつぶやきながらストラスが現れる。二人のルイが立ち上がってストラスの両脇に立った。少年と少女と。まるで双子のようだ。
「あれ?てっきりアサヒもだと思ってたけど…楓は無自覚で昼に気付いたところだよ」
「ええっ!?花咲さんが?」
洗面所に向かうアサヒの叫び声が聞こえる。ぱっと見アサヒの様子は変わらない。ストラスはハッとして振り返ってラウムをしげしげと見つめた。
「…妊婦はラウムの方だったのか。大丈夫なのか?」
「はい、今のところは。それに皆さまも戻ってきましたから…」
影からラウムが姿を現す。違和感の正体はこれだったのかとリツは納得した。完全に女性の姿な訳ではないが、どことなく気配が丸く穏やかなのだ。中性的になったと言うのが一番しっくりくる。洗面所から戻ってきたアサヒは言った。
「最初は僕が女の子になるつもりだったんだけど、ちょっと作戦変更にならざるを得ない事態になっちゃってさ。どうせ家を出るなら、僕が家庭教師の先生を妊娠させて責任を取るっていう流れの方がうまくいきそうだってことで…うん…僕はその…突き詰めて考えたら二人の間に子どもが欲しいんだって気付いたからどっちが産んでも良くて…とりあえず今はこうなったよ…」
アサヒは照れ臭そうに頭を掻いた。
「大変なときに留守にしてて悪かったな。で?なんか家の周りをコソコソ張ってるのはどこのどいつだ?お陰で俺らは外に出られないんだけど。魔法陣で室内に帰ってきたからな」
ストラスが肩をすくめる。
「あれは多分父の雇った探偵です。義理の兄が事件を起こしたのは知ってますよね?今は養子縁組を取り消そうとしてて揉めてるところで…別に僕はもうどうだっていいけど…ただそれで僕のことを放っておいてくれない可能性が出てきちゃって面倒になってきてるのはちょっと気がかりかな…それで、今は一方的に僕が家出したみたいな状況になっているから、探りを入れてきてるってところなんです。でもラウムには雨宮涼って名義があって住所もここになっているから…助かってるんだけど…あの…対外的にはここがセラヴィ株式会社のシェルターと一部社員寮も兼ねてる、みたいな登録に…社長さんが変えてくれて…ラウムも最近社員扱いになってます…」
アサヒは次第に小声になる。それもそのはず、いつもは余裕のあるリツの夫が珍しく悪魔じみた顔付きでキーボードを叩いているせいだった。
「あーうん、それで今まさに主がイラッとしてますけど、まぁ問題ない…かな。ですよね?」
パソコンに凄まじいスピードで何かを入力していたジーンはストラスの言葉に頷いた。
「別にここが何の登録になろうと、整合性さえ取れていれば問題はない。が、社長の手続きが一部おかしなことになっているから修整している最中だ。家庭教師になる以前にすでに会社に在籍していないとおかしなことになるだろう。日付が一致していない…採用される前にこの住所を使うのは無理がある。相変わらず詰めが甘いな…ったく」
「申し訳ありません…」
アサヒが頭を下げる。一瞬元の赤い目に戻っていたアルシエルはジーンの姿に統一するとエンターキーを押した。
「別にアサヒのせいではない。社長の落ち度だ。こちらで調整可能なのはこのくらいだな。後は時空管理管に頑張ってもらうしかない。胎教に悪くてすまないな、エストリエ」
画面の向こうでエストリエが笑う。アサヒのためだから仕方ないです、と文章で返事が戻ってきた。
***
夕飯の時間が近付いた頃にきさらぎきりと、ことサタンが猫の姿のアイム、それに姿を消したもう半分のラウムと共に帰宅した。こちらのラウムは以前と同じ男性だった。どうやらサタンは自宅とこちらとを半々に使って行き来している様子だった。
「ただいま戻りました。いやーやはりみなさんが揃っていると家の中の魔力が違いますね…おや?」
サタンはリツの顔を見て、それから不思議そうに天井を見上げて首をひねる。ジーンが笑った。
「慣れない力を感じたかな?あぁ…この世界では魔力と一括りに表してしまうが、実は我々の世界では悪魔の持つ力を魔力、天使の力は神聖力と呼ばれることが多いんだよ。リツのお腹には悪魔と天使のハーフ、それに天使の子がいるから、恐らく神聖力の方を拾って妙な感じがしたのだと思う。それに三階には…あぁ、ようやく降りてきたな…」
派手なティーシャツにハーフパンツの男性と上にオーバーサイズのシャツを羽織った足の長い美少女が現れる。二人とも金髪碧眼なので見た目にもまぶしかった。
「どうもどうも、皆さまお揃いで。今回、訳あって異世界で子作りしに来た天使のミカエルです。ん?君は?面白いなぁ。アルシエルとは何だか違うね。悪魔なのに戦う気ゼロなんだ…拍子抜けするなぁ。あ、で、まだ魔力に酔ってへばってるこっちが部下のイオフィエル。こんなんで妊娠させて大丈夫なのかちょっと心配になっちゃうよね?」
サタンは底抜けに明るいミカエルに握手を求められてどう反応すべきか分からないままに手を握り返していた。挨拶の内容もかなりおかしい。子作りと言わなかっただろうか。言葉の綾に違いないとサタンは自身を納得させたが、やはり妊娠と言ったので間違いではないのかもしれないと思って妙な気分になる。後ろの美少女は少し疲れた様子で頭を下げただけだった。その隣にリツが近寄ってハグをした。
「イオフィエル、私の近くにいた方が楽かもしれない。私は魔力にも慣れてるから…」
イオフィエルはフィランジェルに抱きしめられた途端にグラグラする嫌な感じが身体から消えたことに驚いた。悪魔なのに気配は天使に近い。
「この家自体が魔力の強い仕様になっているから…あまりにも具合が悪くなるようなら、ガブリエルのところに行った方がいいかもしれないね…」
「ガブリエルさまのところに…!?そんなこと、畏れ多くてできません!」
リツの言葉にイオフィエルは首を横に振る。
「君、ガブリエルのことを神聖視し過ぎだよ…フィランジェルも言ってあげて。全然そんなんじゃないからさ」
ミカエルの言葉にリツは苦笑するしかない。しかもこの場合はミカエルの方が正しい。
「あー…うん、ガブリエルはこっちだとかなり胡散臭い格好してるから、天使に見えないかもしれない…私の姉といつの間にか結婚してて妊娠させてたし…あ、逆か。妊娠させちゃったから結婚したのか。ろくでもないでしょ?」
「…ガブリエルさまが…け、結婚!?しかも奥様が妊娠!?」
イオフィエルは額に手を当ててフラついた。リツが慌てて支えているところに素早くミカエルがやってきて抱きとめる。
「ちょっと、しっかりして!!」
「あーまったく、困ったもんだね。憧れの上官が結婚して相手が妊娠してるって聞いただけでこの始末…」
「憧れ…?ガブリエルの下で働いたことがないから…知らないんですね…」
リツが言うとミカエルは困ったように眉を下げた。
「天界にいた頃は悪魔より鬼でしたよ?冷酷な鬼上司。ヘマしようものなら、体罰も当然でしたし…殴られるのとキスされるのとどっちか選べとか最低なことを言って、殴って下さいと言ったら嫌がらせにキスされてた天使もいましたし…」
「なんだって?」
ジーンが怖い顔をしたのでリツは慌てて言った。
「私はヘマしてないから、ただそれを見せられただけ!別に見たくもなかったけど!」
(それに、前に申告したじゃないか。本当に一度だけだよ!一度だけ!)
頭の中に突然フィランジェルの声が響いた。キスどころでは済まないものも見たとは言わないでおく。あの頃はヘマをするのはドジな奴だと思っていた。優秀な部下だったフィランジェルの記憶が過る。かと思えばガブリエルは変に優しくて気味が悪いこともあった。神聖視しているならばイオフィエルはそんなガブリエルの別の顔は知らなくていいと思う。
(そっか…大変だったんだね。知らなかったよ、ごめん。ちょうど良い程度に薄めて話してくれてありがとう。それを知ったらイオフィエルは再起不能になりそうだからさ。荒れてたんだねぇ…ガブリエルも…)
急にミカエルの声が脳内に響いてリツは少し記憶を見られたのだと気付いた。小さく頷く。
「…見せられた内容にもよるが、何やら不愉快だな」
ジーンに言われてリツはアルシエルは勘が鋭いのを思い出した。思わず目を逸らす。
「ま、今となっては昔の話だよ」
ミカエルが言った。上司としてならミカエルの方が誰に対してもフラットで対応は楽だったとリツは思う。ミカエルがにこやかに口を開いた。
「魔界と天界はこの度手を取り合って、天使の絶滅を防ぐために協力し合う運びとなったから、天使を絶滅の危機から救うと思って悪魔の皆さんにも是非とも知恵をお借りしたいよ。イオフィエルが恥ずかしがって、なかなかキスより先の触れ合いには抵抗があるようなんだ…どうしたらいいかな?」
「それは…日常的に触れ合いに慣らすしかないだろう。リツだって最初はいちいち顔を赤くしていたが、今ならストラスとだってキスくらいはできる…」
ジーンが平然と言ったのでリツは動揺した。
「ちょっ…それは、お腹の子を魔力に慣れさせるためでしょう?」
リツは慌てて言い返す。アサヒの視線が痛い。
「そうですよ?こちらでもしますからね?ただでさえこの世界は魔力の吸収効率が低いんですから、最低でもキスはたくさんしないとダメですね…」
「え…!?」
抵抗する間もなくリツは横から腰を抱かれストラスに唇を奪われていた。驚いたのかアサヒが猫耳になる。ストラスはしばらくしてからニヤッと笑って唇を離した。リツは赤くなる。何もこんなに大勢の前でしなくても、と思った。けれどもストラスの魔力には慣れたから、注がれると心地良かったのも否定できなかった。ジーンが微笑む。
「ま、そういうことだ。キスくらいでは堕天しないから、居並ぶ悪魔に日替わりでキスでもしてもらえば慣れるだろう。あぁ…神聖力を持っているのはリツだな。リツ、どうだ?」
「どうだって…そんなこと、言われても…日替わり定食じゃないんですから、簡単に言わないで下さいよ!」
「元仲間の天使が困っているのに?」
リツがイオフィエルの顔を見るとイオフィエルは慌てて口を手で覆って首を振った。
「さ、さっき悪魔とキスしたじゃないですか!しかも結婚相手じゃない悪魔と!!不潔です!!良くないですよ!」
「まるで俺が…ばい菌みたいな扱いだなぁ。悪魔は健康な子を育てるのに、色んな悪魔の魔力に触れさせるんだ。って訳だからルイにキスしたい奴はしても構わないよ?むしろウェルカムだ」
「ちょっとストラス!勝手に募集しないで!」
ルイが抗議する。リツは考えた。確かにお腹の子たちはこうして受け取った魔力を取り込んで自分の使いやすい神聖力に変えているようだった。へその緒を通じてその力が体内を巡り始めるのが分かる。
「イオフィエル、いいかい?君は他人との触れ合いと悪魔の魔力に慣れる必要がある。そうだな、私の目の前で最低でも一日のうちに一人の悪魔とハグしてキスをすることにしようか。これは上官としての命令だよ?異論は認めない。私は寛大だから先ほどのリツとのハグはカウントしてあげよう」
「ミカエルさま!なんてことを!!」
リツは上司ならミカエルの方がマシだと一瞬でも思った自分に後悔した。これではガブリエルと大差ない。イオフィエルの絶望的な顔を見て楽しんでいるミカエルにリツは大きなため息をついた。




