カイムとハルの場合 1
アルシエルの返事にドアを開けて顔を覗かせたのはカイムだった。魔界の魔法陣は天使を消耗させたが、ベルフェゴール大佐やカイムはいつも通り変わらずに動いていた。
「あの…大佐がどの程度の格好に調整すればいいのかと言っているんですが…分からなくて…あぁ、そのくらいでしたか。参考にさせていただきます」
リツもルイも、ジーン姿のアルシエルと、誰も呼びはしないがシトラスの姿のストラスに慣れていたので、特に何も考えてはいなかったが、悪魔姿のままのベルフェゴール大佐はドアから部屋の中に入るにはいちいち大きく屈まないと移動もできないのだった。カイムはラフなポロシャツにデニム姿のストラスに合わせて同じように姿を変える。
「この世界の人間は随分と小さいんですねぇ…で、陛下、やっぱり隠し事をしてましたね?聞こえましたよ?先王ルシフェルも見つかっているみたいだし…それに…」
ようやくガタイのよい外国人サイズに調整したベルフェゴール大佐は大股に部屋に入ってくるとイチカと目が合って首を傾げた。
「リリスは…ルシフェルに愛想を尽かして消えたんじゃなかったんですね。しかし…これはまた随分とちんちくりんだなぁ…」
ベルフェゴール大佐はリリスを見ると面白そうに笑った。一方でイチカは相手を見上げてムッとした顔になる。
「は…?ベルフェゴール…?なに、大佐になってんの?マジで?年中ダラダラしてたくせにビミョーに昇進しててムカつくな。隣にいるのは…誰だ?悪い…思い出せないな…」
イチカは必死にカイムを思い出そうとしている様子だったが、カイムはリリスが消えた後に王宮に登用された悪魔だったから知る由もないのだった。
「あーこいつは、カイム。こっちにいる間に俺が落とすつもりで連れてきた部下だ。お前は知らなくて当然だよ。失踪した後に王宮に入ったからな。リリス…いやーなんだよ、お前、もしかして妊娠してんの?しかもルシフェルの子かよ。複数の恋人を切らさなかったあのリリスがねぇ…」
リツはイチカとベルフェゴール大佐とを見比べて微妙な顔をした。やけに気安い、と思ったらベルフェゴール大佐はとんでもないことを言った。
「お前がルシフェルお抱えの家庭教師になったときも何を血迷ったのかと思ったし、これまでの関係を全部清算して、俺の求愛まで断った挙句にルシフェルと結婚したときには、やっぱりイカれてると思ったが…今が幸せならそれでいいよ。で、ちょっとはマシになったのか?あのワガママで風変わりなお坊ちゃんは」
むしろその言葉に動揺したのはカイムの方だったが、彼はそれを顔に出さないだけの矜持はあった。それに大佐は昔から誰彼となく声をかけるのだ。今更いちいちそんなことに神経をすり減らしていては身が持たない。それはまさかの第一夫人のアグラットからも言われた。長く続けるコツは独占欲を出さないことだと。だからこそ魔力を補い合うような深い関係にはなりたくなかったとも思った。カイムは不意に視線を感じて、痩せた少女がストラスの後ろからカイムをじっと見ているのにようやく気付いて、あわてて膝を折った。まるで幼い頃の自分を見るようでカイムは妙に落ち着かない気持ちになる。
「こんにちは」
カイムは少女に声をかける。少女からは魔力で傷を癒やされた痕跡を感じた。
「…そこの悪魔はロリコンなのか?」
名前だけは知っているリリスに言われてカイムは慌てて首を横に振った。
「な、ただ挨拶をしただけですよ!なんてことを言うんですか!」
「こ、こんにちは…カイムさん。私…は、ハル」
ハルはストラスの陰からおずおずと出てきて、膝を折ったカイムの前に立った。カイムの差し出した手を握って握手をする。痛い記憶を感じた。生々しく見えないように今はやんわりと蓋をされている。蓋をしたのは誰だ。悪魔ではない力を感じて少し心がざわつく。それにこの子はなぜリリスに顔立ちが似ているのだろう、とカイムは思った。
「…お兄さんは…もう痛くない?大丈夫?」
ハルに言われてカイムはハッとした。相手を見るつもりが逆に見られていたことに気付く。侮れない。悪魔でもないのに変わった目をした子だと思った。妙に気になる魂の色だ。悪魔の欲を刺激する。
「ありがとう。大丈夫だよ。この大きな悪魔が治してくれたから」
「そう、なら…良かった。ちょっと怖そうだけど…陛下が連れてきたなら…いい悪魔…なの?」
「あ、あぁ…うん」
少女の言う、いい悪魔の意味が少し分からなかったがカイムは頷いた。大佐がいなければ自分はすでに死んでいる。大佐はカイムの方を見てニヤリと笑う。
「ハル、俺よりもこいつはかなり誠実でいい悪魔だよ?うん?ハルは…ひょっとして…学校に行くのが怖いのか?なるほど…友だちがいれば平気なのか…」
大佐はろくでもないことを考えるときの顔付きでカイムを見た。さらりとカイムの頭を撫でる。
「カイム、分裂してハルと一緒に学校に通ってやったらいいじゃないか。残りはまぁ…ルイの守りに使うとして…どうでしょうかね、陛下」
アルシエルは思わず笑ってしまった。
「ハルは友だちとして登校するなら女子の方がいいのかな…ハルは女の子と男の子のカイム、どちらがいい?」
「えっ…?それは…カイムさんにお任せします…あの、一緒に行ってくれるって…ほんとに?」
「カイム、どうする?」
カイムはすでに男女の性別しか自分には選択肢がないことに気付く。学校に行かない選択肢はないらしい。
「できれば男性の方が…あの…でも私はそこまで戦闘能力は高くないのですが…大丈夫でしょうか」
「カイム、男の子になるなら僕か俺って言わないと…十三歳から私って言う子はあまりいないと思う…それにこっちだと戦うことはそんなにないと思うから…」
ルイが笑う。ルイは笑いながら自分の身体を見下ろした。
「僕もそろそろ元に戻らなきゃなぁ。ストラス、今日のうちに女の子と男の子のルイに分かれたいから、少し手伝ってもらえるかな?」
「女の子のルイも可愛いね…」
ハルは照れたように言った。ルイは微笑んでハルの頭を撫でる。そういえば忘れていたが、自分は今は暮林ルイなのだ。そしてハルは妹。弟がいたときは変に緊張していたのにハルは平気だ。
「ハル、学校に行くのなら暮林夫妻のどちらかに手続きをしてもらわないといけないから、ストラス、ハルを連れて転入の手続きを頼む。前の学校に在籍したままで保留になっているんだ。ハルは暮林ルイの義理の妹になるんだよ?それは理解できているかな?」
ハルは頷いた。エストリエが説明してくれたから覚えていた。今は女の子の姿をしているけれどルイはお兄さんだ。
「エストリエがいないのはちょっとさみしいけど…赤ちゃんを産むためだって聞いたから我慢する…ストラスがお父さんになってくれるの?」
「あぁ。こっちの姿じゃない。真面目な親になるから安心しとけ」
「では私がカイムの父親として少し顔を出すとしよう。大佐に任せるのは危ないからこちらの世界を学んでもらわなくては な。カイムはジーン・フォスターの養子にでもするか。名前はカイ…なくはない、だろう。カイ、分裂して十三歳になってみてくれ」
カイムは言われた通りに分裂する。その間にストラスはカイムの身分の差し込みの準備をしていた。情報をエストリエに流すとタブレットの画面に、本当に十三歳で間違いないのかという確認の返信が届いた。ハルと一緒に登校させる、と返す。カイムは十三歳の少年と、青年のカイムとに分裂していた。
「その姿も悪くないな…確か、結婚した頃のルシフェルもこんな風だったか…」
ベルフェゴール大佐が言って、イチカが睨む。十三歳のルシフェルと結婚式を挙げたのは間違いないが、そう何度もこの世界でその話題を繰り返されると犯罪者のような気分になるからだった。ましてや目の前の少年は紛れもない美少年だ。少し紫がかった水色の瞳に黒髪は余計にたちが悪い。どうしても紫の瞳のルシフェルを思い出す。
「あ!まずい、私の目…今は何色?」
突然リツが叫んだのでイチカは何事かと思って驚いてリツの顔を見返した。
「大丈夫だ。元通りになっている。魔法陣を通り抜ける間に戻ったようだな」
ジーンの言葉にホッとしながら怪訝な顔をするイチカにリツは説明した。
「向こうで目の色が青くなっちゃって…戻ってなかったら困るなって思っただけなんだけど…」
「ふーん、そっか。あーなるほどね…」
イチカがニヤッと笑ったのでリツは何があったのかバレたかもしれないと思った。イチカは言った。
「…ルシフェルに魔力を注がれると、俺もたまに最近姿が少し変わるんだよ…昔のリリスの姿にさ。リツのもそれだろ?違った?」
イチカは日常会話のように平然と言ったが、リツは言い当てられたことで、すっかり赤くなってしまった。




