新婚旅行の場合 55
その後、リツとアルシエルは夢の中で静かに抱き合っていた。夢の中でリツの姿は妊娠前の姿に変わる。半ば無意識にそうしていたがアルシエルは慎重だった。
(ここでも…多少は現実にも影響が出るから…あまり過剰な触れ合いはしないよ…)
アルシエルは丁寧にリツを愛した。それでも時折アルシエルの欲望を感じて、リツもまた自分がアルシエルを求めていることを身体で理解した。こうして一つになっていると安心する。アルシエルは唇を重ねながらリツを愛撫した。リツもアルシエルの身体に触れて心地良い場所を探る。アルシエルが目を細めた。
(向こうに戻ったら…もっと魔力が足りなくなる?)
(かもしれないが…私は三分の二だから、夢の中の触れ合いでも恐らく魔力は増幅できると見ている)
(私も…大丈夫だから…その…もっと…アルシエルの好きにしても…平気…だから…)
次第に小声になるリツにアルシエルは抑圧していた思いを少し解放してしまった。腕の中でリツの身体が仰け反る。己の与える快楽に身を委ねて溺れるリツを見るのがアルシエルは好きだった。気付けば見下ろすリツはいつの間にかフィランジェルの姿になっていた。
(相変わらず煽るような言葉を平気で口にするな…リツは…)
フィランジェルは微笑みながら目の前のアルシエルの角に触れた。するすると撫でながらフィランジェルはアルシエルの頭を引き寄せて唇を重ねた。リツよりもフィランジェルの方が積極的で、どこか触れ合い方も男性的だった。それが女性でもあり男性でもある天使だからなのか、フィランジェルだからなのかは分からないが、アルシエルにとってはどちらでも良かった。遠慮がちなリツと、以前よりも欲望に忠実になった天使のどちらも、アルシエルは好ましいと思っていた。口付けを交わしながら互いの心の中で会話を続ける。悪魔と天使ゆえの独特な交わり方だと言えばそうかもしれなかった。リツには特殊な性癖はないと言ったが、それはアルシエルが特にこれを変わっているとも思ってはいなかったからだ。ギリギリまで思考を手放さずにどこまで耐えられるかを試すような心持ちで二人はお互いに魔力を流し合う。かつて交えていた剣が互いの身体に変わっただけのことだ。
(私は…神への嫌がらせに悪魔を生む気だったのにな…混ざった子と、天使そのものとは…天使の遺伝子の方が悪魔よりも優勢なのか?それともアルシエルが古の神に近しい存在だから…なのか?)
(必ずしも…天使が優勢ということもないのだろうな。過去に悪魔に無理矢理犯された天使が生み落とした命は、魔力は強いが尽く正視に耐えられぬ怪物になった…)
アルシエルはフィランジェルを抱きしめながら、過去のおぞましい戦争に思いを馳せる。ルシフェルの父の時代だ。悪魔ゆえの残忍さで生け捕りにした天使にそういった仕打ちを行う者は残念ながら一定数存在した。
(…ってことは…やっぱりアルシエルが神に近い存在ってことなんじゃないのか?)
フィランジェルの言葉をまるで否定するかのように、上から見下ろす悪魔の魔力が一気に跳ね上がり、痺れるような魔力となって腹の中に注がれる。一瞬思わず思考が途絶えて、フィランジェルは吐息を漏らした。
(神…って呼ばれるのは…嫌?)
乱れた呼吸を必死に整えながらフィランジェルはアルシエルに問いかける。絡まった指先からも魔力が流れ込んで、フィランジェルは身体の力が抜けてしまった。
(…そういう訳ではないが…そうだとしたら…むしろ古の神の妻になった気分はどうなんだ?)
(うん…最高に…いいよ…)
再び緩急をつけずに強い魔力を流し込まれる。フィランジェルはアルシエルの与える刺激に飲まれて心の中での会話がとうとう続けられなくなった。
(アルシエル…!!)
(なんだ…?好きなのか?ここか?)
フィランジェルの魔力の増幅する場所を探り当ててアルシエルは微笑む。舌の先で口内を探ると上顎の辺りでフィランジェルが震えて魔力が迸るのが分かった。溢れる魔力を飲み込んでアルシエルは天使の身体を抱きしめる。不意にフィランジェルの指先がアルシエルの背中のゾクゾクする部分をくすぐるのが分かった。フィランジェルも負けじとアルシエルの魔力が増幅する場所を探り当ててそこに魔力を流してくる。増えた魔力を再びフィランジェルに流すと、今はそこにはあまり感じられない子どもたちが魔力を受け取る気配がした。
(このくらいで…じゃないと…リツの身体に影響…する…)
(あぁ…そうだな…)
二人は互いを探り合うのを止めて、ゆっくりと高揚したお互いの魔力をなだめてゆく。それが終わる頃には二人ともかなり呼吸が乱れていた。
(わりと…感覚は…掴めたかな…)
フィランジェルが言うと、アルシエルはその銀の髪を撫でながら抱きしめた。
(少なくとも…互いの刺激で魔力の増幅させやすいポイントは幾つか見つけられたな…)
(今頃…カイムも…教育されてるのかな…?でも…アグラットが一緒に来ないなんて…ちょっと意外)
(そうか?少し素っ気ないくらいで、たまに気紛れに優しいくらいの距離感の方がベルフェゴールとは長く続くんだよ…アグラットの方が上手だな)
(そうなのか…じゃあ私のようなのは…合わないな…)
(うん?どういうことだ?)
(みなまで言わせるな…素っ気ない態度を取るなんて…私には無理だってことだよ…)
フィランジェルは少し拗ねたように頬を膨らます。アルシエルはそんなフィランジェルを見つめて微笑んだ。
(そうだな、私たちには、そのような駆け引きは不要だ…)
フィランジェルにもリツにも甘い悪魔は優しく耳元で囁いてくる。フィランジェルは目を閉じて意識を少し奥に向けて、眠っていたリツと交替した。
「あ…」
リツは目を開けていつの間にか夢の中から現実に戻ったことに気付いた。時折フィランジェルの方が前に出てアルシエルと話すことがあったが、リツはさほどそのことに違和感を感じている訳ではなかった。お腹の中で再び泡の弾けるような不思議な感覚がする。子どもたちだろうか。リツがお腹に触れようとすると、先にアルシエルの手が触れた。そうしてリツの瞳を覗き込んだアルシエルの目が一瞬驚いたように見開かれた。
「…どうしたの?」
「あ…いや…うん。なるほど。こういうことか。すまない…少し調子に乗って魔力を注ぎ過ぎたらしい…」
アルシエルが指先を動かすと少し遠くでカタリと音がして手鏡がこちらに向かって飛んできた。鏡で自分の顔を見たリツは思わず変な声を出してしまった。
「な…なんで?目の色が…青くなってるの!?」
「だから…夢の中で互いに魔力を注ぎ合っただろう。その影響だな…」
「髪は黒いのに…目だけ青いって…すごい違和感…これって元に戻る?」
「恐らくは…」
「恐らくはって…戻らなかったら困るよ。カラコンつけて出社する変な人だと思われたくない!!」
「まぁ、戻らなかったら魔力でどうにかするから、そう心配するな…それに青い瞳のリツも、これはこれで新鮮だから私はいいと思うぞ?」
アルシエルは笑ってリツの頬を撫でる。リツはなんだか誤魔化された気がしたが、結局その手の温もりにほだされて笑ってしまった。相変わらずお腹の中ではポコポコと泡の弾けるような感覚が続いていて、リツは子どもたちまでが笑っているような気がした。




