新婚旅行の場合 54
やがて夕闇に空が染まる頃にはアルシエルが戻ってきて、ストラスが無事に資格取得プログラムを終えたことを告げてきた。ルイとエストリエはストラスの元へと向かう。程なくしてベルフェゴール大佐も現れて第四夫人と正式に離婚が成立したことを告げてからアグラットを誘った。
「今宵は離さないよ。全ての俺が君と過ごす最後の夜だからな…」
「もう、そんな最後の夜だなんて大げさね。でもそうねぇ、カイムも一緒にいいかしら。どうせならあなたの魔力が上がりやすい触れ方を教えておいた方がいいでしょ?」
アグラットの言葉にリツは驚いたがアルシエルは平然として聞いていた。むしろ、カイムの方がギョッとした様子になり動揺のあまり手にした書類を床にばら撒いてしまった。
「あらあら…落ち着いて?」
アグラットは魔力であっという間に書類をまとめると、カイムに渡し、その頬にさらりと触れる。
「もう、さっさと腹を括った方が楽よ?むこうに行ったら嫌でもカイムが魔力の枯骨を防ぐ役割を果たさなきゃならないんだから…それに初めてっていう訳でもないんでしょ?魔力の相性が良かったのと顔が好みだったから選ばれた…案外、合理主義なところもあるのよね?あなた?」
アグラットは傍らのベルフェゴール大佐を見上げる。大佐はアグラットを見下ろして気怠い笑みを浮かべた。カイムは二人の様子を見ながら青ざめたまま言った。
「ご、誤解を招く言い方をしないで下さい!そもそもあれは…私が死にかけていて緊急事態だったのを助けていただいた、それだけですから!!」
「まー実際のところはそうだけどさ。ほんとに危なかったよ?引きずり出された腸で手足ぐるぐるに巻かれてたじゃないか。どこにでも妬んでとんでもないことをする奴らはいるけどなぁ。でも、そのお陰でお互いの魔力の相性が良いってことは分かった訳だ…なぁ、知ってるか?カイム…魔力の相性が良いってことは子どもが出来やすいってことだ。俺とアグラットもそうだったし、陛下なんて言わずもがな…秒で着床ですよね?」
カイムのお腹を撫で回しながら、フッとベルフェゴール大佐は笑う。この笑い方と触り方はずるい。これだけでその気になってしまう女悪魔がいるに違いないとカイムは思って、慌てて自身の中に沸き起こったざわつく気持ちに蓋をした。自分は確かにあの日大佐の魔力に救われた。でもそれだけのことだ。ただそれ以来、何かと事あるごとに彼が自分の視界に入り込んでくるようになっただけで自分の日常は特に大きくは変わらないものだと思っていた。視界の端には真っ赤な顔になった王妃が見える。大佐の発言のせいだろうと思った。さすがに秒はないだろうが、魔界に連れてきてその日のうちに仕込んだとなっては、大佐の言葉があながち誇張表現とも言い切れなかった。カイムはやや膨らんだ王妃のお腹を見る。このお腹の中にいる子のうちの一人が天使だと知って議会がざわついていたと、ベルフェゴール大佐がのんびり昼食を食べながら言っていた。そんな重要な話を気軽に自分に話してしまって大丈夫なのかと思う。
「まーそんな訳だから、アグラットに手取り足取りカイムも色々教育してもらって仲良くしようか。魔界最後の夜くらい、少しは羽目を外したっていい。だいたいカイムはいつも真面目過ぎるんだよ…」
ベルフェゴール大佐がカイムの肩を抱いた。
「へ、陛下!助けて下さい!」
カイムはアルシエルを見て声を上げたが、すでに両脇からベルフェゴール大佐とアグラットに巧妙に捕獲された後だった。
「助けろと言われても、第一夫人が教育すると言ったら、今後第二夫人以下の夫人として契約する可能性のある悪魔にその申し出を断る権利はないだろう。ちょうど第四夫人の座が空いたことだし、試してみたらいいんじゃないか?」
「そんな!陛下ぁぁぁ!!王妃ぃぃぃ!!」
「ほら、行くぞ。お二人も良い夜を」
ベルフェゴール大佐が言って嬉々としてカイムを引き立ててゆく。リツは半ば呆気に取られてそれを見送ってから、思わずアルシエルの顔を物言いたげに見上げてしまった。
「どうした?」
「…第一夫人には教育の義務があるの?」
「いや、第一夫人に必ずしもその義務がある訳ではないし、必要がないと思ったら行わなくていいんだよ。だが、第一夫人が必要性を感じて命じた場合、第二夫人以下はそれを断れない。そうだな、例えば中に特殊な性癖の悪魔がいたとしよう…第二夫人以下にその知識がない場合、夫の希望には応えられない…そういった事態を避ける意味合いもあるな。要するに意味を履き違えた過激なプレイによる夫の事故死を防ぐ為など…ま、事情はそれぞれにあるが…どうした?」
リツは微妙な表情で沈黙してしまった。心なしか顔が赤い。何を想像したのかと思ってアルシエルがリツの顔を面白そうに覗き込むと、リツはかすれた声で囁いた。
「あの…私…アルシエルの…好みを…ちゃんと知らないから…その…」
あまりに予想外の言葉にアルシエルはリツを見下ろして目を丸くした。思わず屈んで抱きしめる。
「私に特殊な性癖はないから安心しろ…強いて言うなら…リツ以外には何の欲望も感じない…それよりも…もっとリツの好みを教えて欲しいと言ったら困るか?」
アルシエルは少しいたずらな瞳でリツを見つめる。この距離でこの顔をするときのアルシエルが次にすることは、さすがにリツでも、もう分かっていた。頬に手が触れる。目を閉じるのとほぼ同時に優しく唇が重なった。
***
その後、王宮の夜景の美しい一室で二人は静かに食事をした。魔界のコース料理を堪能した後で、二人はゆっくりと温泉に浸かり寝室に戻ってきた。アルシエルに手招かれてリツはそのまま膝の上に座る。この状態でアルシエルはしばらくリツに魔力を注いだ。
「大佐は…どうしてあんなにカイムに拘るの?」
リツの言葉にアルシエルは魔力を注ぎ込みながらお腹に手を当てて撫で始めた。
「それはもちろん…カイムを孕ませたいからに決まっている…リツのように…たくさんこの中に注いで愛し尽くしたい…私は今満たされているからな…君とこうすることができて…幸せだ…」
アルシエルは唇を重ねる。そこからも魔力が流れ込んできてリツのお腹の中で、小さな泡の弾けるような不思議な感覚がした。お腹の子も喜んでいるのかもしれない。お互いの舌を絡ませてしばらく深い口付けを交わした後でアルシエルは微笑んだ。
「どこかはぐらかされた気がしているな?」
「えっ…?それは…でも、大佐の本当の気持ちなんて…知りようがないから…」
リツのわずかな動揺を見透かしてアルシエルは微笑む。
「少し納得のゆく答えを教えようか。もちろん根底には相手に対する愛情がある。だが愛のみで全てが回るほどこの世界は甘くはないのだよ。残念ながら。だから時としてそれなりに地位と富のある悪魔は頭を使う…カイムには後ろ盾がなく下手に優秀だったが故に上からは下らない仕事を押し付けられて同僚には妬まれ、本来の能力を発揮できずにいた…過去には相手に半殺しにされて危うい目にも遭っている。大佐にはそういう若者を放っておけないところがあって…自分が後ろ盾となると面と向かっては告げずに今回のような強硬手段に出た…そういう訳だ。離婚した第四夫人も昔はもう少し謙虚なところがあったんだよ。だがいつからか調子に乗ってしまった…与えられた以上の物を求めて欲を出すとこうなる」
「えっ…?それはつまり、大佐の妻の座を与えることで…大佐はカイムを…守ろうとしている…?」
「そうだな。何の見返りもなしに援助すると言ってもかえって気味悪がられるだけだ。それならば契約でお互いを縛った方が周りにも分かりやすいし、カイムが下っ端のおかしな連中に狙われることもなくなる…大佐はただのおかしな趣味でカイムを口説いていた訳じゃない…この国に有益な部下を庇護してついでに優秀な子を残す。どうだ?安心したか?」
安心したかと聞かれてリツは返答に窮する。けれども自分もうっかり契約書にサインをしてしまったし、今はその悪魔の腕の中にいるのだから、大佐の手法を笑うことはできなかった。自分もまた契約に縛られている。そしてその契約によって生かされているのも確かだ、リツはそう思った。




