新婚旅行の場合 48
その後ストラスは夢の領域に少しずつ蔦を伸ばして徐々に奥へと入り込んでいた。いったいこの蔦はどこまで伸びるのだろうと思ったが、そもそもタブレットからも通過してくる蔦は実際の距離とは違う領域に存在するのも確かだった。もしかすると無限に伸ばせるのかもしれないとストラスは考える。けれどもどこを探してもルイの炎は見当たらなかった。
「エストリエ…もし俺が…突然眠ったように見えたり消えたりしても…その時は心配しないで待ってろよ?必ずルイを連れて戻るから…」
エストリエは小さく頷いてストラスの頬に触れる。本当は不安で仕方なかったが言わなかった。すでにエストリエにとってもルイは大切な存在でルイなしではストラスもエストリエも今まで通りに過ごせる気がしなかった。
「必ずよ?私は…あなたとルイさえ戻るならそれでいいの。あなたは今は認められないかもしれないけれど…きっといつかまた…子どもを作れる日は…来るわよ?」
「あぁ…そうだな」
ストラスはそう言って頷いた。そう言いながらもルイも子どもも諦めきれない自分がいる。ストラスは悪魔は強欲だと思った。エストリエの瞳を見つめて口を開きかけたストラスは、蔦の先に違和感を感じた。ゾワゾワとする感覚に思わず引っ込めたはずが握られてストラスは簡単に引き込まれた。
「ストラス!?」
エストリエの驚きの表情を見たのを最後にストラスの意識は奈落の底へと落ちていった。
***
(……見慣れない顔だね)
ストラスは耳元で聞こえた声にようやく目を開けた。目の前にジュディスがいる、そう思ったが何やら気配が違う。悪魔の直感的に男だと思った。青年は首を傾げてフッと笑った。
(…ジュディスとレイの種を飲んでるのに、変わった気配だね…異世界の人?)
(あぁ…知ってるかどうか…魔界の住人のストラス…悪魔だよ。俺の知り合いがこっちに意識を落っことしたみたいで、探している最中だったんだ…で?そちらは?ジュディスの兄か何か?)
(うん?ま、当たらずとも遠からず。ジュディスの双子の片割れのジェイドだよ?で、ストラス、ここはどこだか知ってるの?)
(…エテルネルの…女神の領域?)
(話が早いや。ご名答。君の探し物はここにはないけどね。もっとずっと奥に引き込まれたから。あぁ…そうか。君がお腹の子の父親なんだね?炎の精霊を精霊じゃない別の何かに変えてしまうなんて…女神は大層ご立腹だ。しかも身籠っているとなると…代償は高くつくよ)
不意に上空から何かの気配が近付いてきた。ジュディスとレイが降りてくる。ジェイドは片手を上げた。
(久し振り)
(…ジェイド…その姿は何だ?底の方に潜り過ぎだろう…)
ストラスは彼の顔に気を取られていたが改めて見ると背中には翡翠色の翼があった。どことなく天使に見えなくもないのが何やらこの薄暗い空間では皮肉にも感じる。何よりも美し過ぎるのが良くないと思った。
(…似てますね…)
ストラスが言うとジュディスは少し嫌そうな顔をした。
(…で、ルイは?やっぱり更に下なのか?)
(もうじき女神が少し浮上してくるよ。代償に何を差し出す気なのかは知らないけど…ジュディス…もしかして…?)
ジェイドは何とも言えない表情になりジュディスとレイの顔を見た。
(君たち…正気?)
(あぁ、至って正気だよ。対価を要求されたら差し出すしかないだろう。その代わり子育てするのはジェイドだぞ?)
(えぇ…勘弁してよ。嫌だよ。君とレイの子は卵の中でもうるさかったのに)
(あの…まさか…本当に?)
ストラスの言葉にジュディスは何でもないことのように頷いた。
(こっちには優秀なベビーシッターがいるからさ。それに片割れと言っても女と男の成分の比率が少しこっちの方が男が多いだけで、元々両方の記憶が混ざってるんだ。だから大差ないんだよ…)
(大差ないって…簡単に言ってくれないでよ。あぁ…女神のお出ましだよ。ストラスは余計なことは言わない方が無難だよ。いい?)
足の下、地の底の方から何かとてつもないエネルギーの塊が近付いてくるのをストラスは感じた。魔力全開のアルシエルよりも恐ろしいと悪魔の本能が警鐘を鳴らす。逃げた方が無難だ。身体が勝手に後退った。そのストラスの手をレイが握る。
(我慢して…僕だって怖いんだから…)
レイの言葉にストラスはこの恐怖が自分だけのものではなかったと知って、少し情けないことにホッとしてしまった。隣に立ったレイは以前よりも更に身長が伸びたように感じた。相変わらず美しい生き物だとストラスは思った。
(珍しい…遠方からの客人かと思えば…我が炎を取り戻しに来た蛮族か…往ね!!)
ストラスは女神の姿を見た。やがて閉じていた目が開く。茶色の瞳孔は縦長でおよそ人のそれとは異なっていた。虹彩は金。開いた口に並ぶ歯はどれも獣のように鋭く尖っている。長い爪の生えた手が腕に抱いた小さな少女に触れる。ストラスはそれが最初ルイだとは思わなかった。炎の塊に見えたそれは、やけに膨らんだお腹をしている。少女の姿とそれがアンバランスで、炎の隙間から一瞬見えた横顔にルイの面影を見たストラスは、途端に自分が酷く野蛮な行いをした獣のように感じた。
(失われた世界の貴重な太古の炎…お前はそれを歪めて醜い姿に変えてしまった…自身のしでかした行いに罪がないと言うなら申し開きをせよ…)
女神の声にストラスは顔を上げる。言いたいことは山ほどあったがストラスは結局こう言った。
(申し開きはありません…ルイを悪魔に変えて抱いたのは事実ですから…)
ストラスの言葉に女神は沈黙する。ただ髪は蔦になりうねうねと自らの存在を主張するかのように空間を蠢いていた。
(…お前の中にも炎があるのか。して?お前はこれを取り返しに来たのであろう?女神に連なる眷属を汚しておきながら、のこのことやって来るとは大した度胸じゃ。しかも我の蔦まで所有しているとは…まことに小憎らしい)
(恐れながら女神さま…蔦の種を与えたのは僕です。彼はただ僕を信じてこれを飲んだ…罰は受けます)
(そんなことは当然じゃ。我は今、こやつが一番嫌がる罰を与えようと思案しておる。やはりこの腹の中のものを掻き出すか?おぉ…嫌そうじゃの。太古の炎には程遠いが…お主の炎もあと数百年この地で温存すれば純度の高い炎になるやもしれぬな。少し気が変わった)
女神は腕の中の少女をジェイドの方に放り投げた。慌ててジェイドが受け取る。女神の蔦の髪が伸びてストラスを絡め取る。
(女神!ストラスをどうする気だ!?代償なら私が支払う!)
ジュディスが叫ぶと女神は長い舌を出してストラスの頬を舐めた。ザラザラとした猫科の動物を思わせる舌にストラスはギョッとする。
(お前の腹の子など要らぬわ。我はこやつの炎を貰い受ける…一番嫌がる方法でな…お主らはジェイドに蔦を抜かれて待て…変わった色の蔦があるだろう…)
(えぇ…!?ストラスはちゃんと返してくれるんだろうな?)
(さぁ。返すには返すが…元のストラスとは限らない。炎を喰らわれて正気を保てぬなら…その程度の輩だったということだな…)
女神は平然と恐ろしいことを言ってストラスを抱いたまま闇の奥底へと消えた。




