新婚旅行の場合 46
「ルイ…?」
腕の中で突然動かなくなったルイにストラスは心臓が凍り付きそうになった。
「ルイ…?おい、どうした?」
(息をしていない…!)
ストラスは慌てた。動揺のあまり血の気が引くのが分かった。慌てて心臓マッサージを始める。
「ルイ!戻ってこい!ルイ!!」
そのとき突然アルシエルが瞬間移動で現れた。
「交代しろストラス!!」
アルシエルは心肺蘇生を試みる。ストラスは震える手で魔界の救急隊を呼んだ。すぐに救急隊の悪魔が現れた。担架に乗せられたルイが病院に移送されストラスも同行する。少し遅れて現れたリツはアルシエルにルイが心肺停止になったと聞いてへなへなとその場に崩れ落ちた。
「ルイ…どうして…?」
リツの震える肩をアルシエルが抱く。
「ルイの身体には…まだストラスの魔力は負荷が大きかったんだ…」
アルシエルが低い声でつぶやいた。
***
ルイはその後運ばれた病院で昏睡状態にあった。救急隊はアルシエルの対応が早かったと言っていた。けれども呼吸と心拍は戻ったものの、ルイは目覚めなかった。ストラスは何度も夢の領域に降りたがルイの姿はどこにも発見できなかった。リツとアルシエルが到着したときストラスはルイのベッドの隣で顔を覆っていた。ルイの身体は見たこともない医療器具で繋がれていた。辛うじてリツが分かるのは点滴の輸液バッグくらいだった。ルイの腕に刺さった針を見ながらリツはルイの身体がやけに小さく感じられた。ベッドが悪魔サイズだからだろうか。
「ストラス…」
アルシエルが呼んでもストラスはすぐには反応できないほど落ち込んでいた。
「ストラス、しっかりしろ」
アルシエルが肩を揺さぶるとストラスはようやく顔を上げた。リツはこんなにも頼りない表情を晒したストラスを見るのは初めてだった。アルシエルはストラスを抱きしめると魔力を流し込んだ。
「…っ!」
刺激に顔をしかめたストラスはようやくハッとしたように目の前の相手の顔を見る。
「嫌なことを言うが、最悪の場合は時間を巻き戻す。やり直しだ」
「……無理です…」
ストラスはかすれた声を出した。
「俺は…怖くて…この姿では…ルイを抱けない…ルイの望みを叶えてやることが…できない…それに…巻き戻したら…このお腹にある俺とルイの受精卵は…どうなるんです?いなくなってしまう?…なかったことには…出来ません…」
ストラスの言葉にアルシエルはハッとなる。すでにルイの中ではもう一つの新たな命が懸命に宿ろうとしているのだった。アルシエルはルイの額に触れた。ストラスはルイのお腹に手を当てていた。
「…ルイと悪魔本来の魔力を解放したストラスが交わったことで…ストラスの魔力が突然跳ね上がってしまったことが今回の原因なのだろうと医者は言っていた…ルイと魔力の相性が良かったからこそ…起きてしまったことだ。何か予兆はなかったのか?」
「予兆…?」
ストラスは考えた。
「ルイは…一度気絶しましたが…夢の領域から共に戻りました…気絶ならケビンも何度もしていたから…それほど気にも留めなかったんです…もしかして…あれが…予兆だった…?」
「…可能性としてはあり得るな。それにケビンは悪魔ではない。雑多な魔力の持ち主のダンピールだ。その悪魔ではない合わない部分が…ダンタリオンの魔力を跳ね上げずに済んだのかもしれない…」
「私はここでルイを目覚めさせる手立てを探す。ストラスは一度エストリエのところに戻れ。この状態のままここで呆けていたら、お前はエストリエの心まで失うぞ?エストリエは我慢することに慣れている。だからって平気な訳じゃないんだ。これは…友としての忠告だ」
「…アルシエル…」
ストラスは滅多に呼ばない彼の名を呼んだ。
「ありがとうございます…一度エストリエのところに戻ります…」
ストラスは頭を下げる。
「ストラス!」
リツの姿が揺らいで一瞬の間にフィランジェルになった。
「そんな顔しないで。エストリエが心配するよ。ルイのことは任せて」
フィランジェルはストラスの頭を撫でると、両頬を包みこんで唇を重ねた。天使の力を注ぎ込まれてストラスの腹の底で燃えていた炎が少しずつ静まる。
「ストラスはリツを何度も救ってくれているから、たまにはお返ししないとね…荒れ狂う悪魔の魔力を少しなだめてあげる…」
フィランジェルはなおも口付けを繰り返し、ストラスを抱きしめた。ストラスの片目から一筋の涙が流れる。フィランジェルはその涙を拭った。
「あ…れ、おかしいな…」
ストラスは慌てたように頬を拭う。驚いた顔で指先についた涙を見つめた。
「…それは…おかしな反応じゃない…私も天使の力に触れたら、そうなった…フィランジェル…それ以上されると、私まで魔力が不安定になりそうだ…」
フィランジェルはストラスからパッと離れる。ストラスはその姿を見て少しだけ笑った。
「アルシエルにはあとでリツがするから、そんなに嫉妬しないでよ」
フィランジェルはそう言うとスッと姿を消した。リツは目をしばたいて押し黙り赤くなった。
「ス、ストラス…大丈夫?」
「あぁ…大丈夫ですよ。ありがとうございます。エストリエのところに行ってきます」
ストラスはリツの頭を撫でるとアルシエルに頭を下げて病室から姿を消した。
***
アルシエルはタブレットを取り出すと、美しい魔法陣の画面を開く。しばらく応答はなかったが、やがて画面に王子が現れた。
「あ、おはよう…じゃないのか。あれ?魔界にいるんだね。どうしたの?蔦は無事に芽吹いたみたいだね…」
画面の向こうで王子が微笑む。画面に翡翠の髪の若い女性も映り込んだ。ジュディスだ。
「あ、リツ…おめでとう」
ジュディスはリツを見ると微笑む。
「あ、ありがとう…」
すでに何かを感じているのだろうかと思う。
「ストラスの第二夫人のルイが…ストラスと交わったことで昏睡状態になってしまったんだ…」
「第二夫人?見せて」
アルシエルは画面にルイを映す。画面からするすると蔦が伸びてルイの額に触れた。
「あんまり精神領域に深く介入するのは良くないから…少しだけね…」
蔦の先端がルイのおでこに吸い込まれる。しばらく沈黙が続いた。
「うん…なんとなく…分かったかも。まず先に謝らなくちゃ。この子って…もしかして元は精霊だった?」
「あぁ…炎の精霊だと…でもそれ以外の記憶はあまり思い出したりはしていないんだ」
アルシエルが答える。リツは言われてみればルイは悪魔になってもあまり以前の記憶を思い出さないことに今更ながら気付いた。ルイは力を使いこなすことは早かったが記憶に関しては曖昧なままだ。
「ごめん…多分、ストラスに与えた蔦の種も影響しているんだと思う。蔦の種は夢の領域を拡大するんだ。その気になれば僕たちとアルシエルは同じ夢の中に集まることができる…この蔦は精霊にも影響を及ぼすから…多分ルイは無意識のうちに引っ張られたんだと思う」
「ルイも…夢を操るのに長けているが…まさか…」
「うん、恐らく…ルイの意識は蔦の夢の領域の奥深くまで潜ってしまった可能性が高い…奥の領域はあまり簡単に出入りできないんだ。ジュディスの片割れに聞いてみないと。もしも女神の領域にでも落ちていたら…代償を払わないと取り戻せない…」
「女神…?」
アルシエルの言葉に隣で黙って聞いていたジュディスは言った。
「便宜上女神と呼んでいるけれど…そんなに優しいものじゃないよ。悪魔よりも本能に忠実で機嫌を損ねると容赦ない…始原の命に近い存在…蔦を飲んだアルシエルとストラスは私とレイに繋がっているけれど、私とレイは女神に繋がれている。契約は絶対だ。断ち切れない。生きる限りは続く…」
「今回はストラスの蔦が及ぼした影響だから、アルシエルは正直なところ干渉は難しいと思う。私とレイはとりあえず前庭…女神の領域の手前にある夢の領域を今見ながら話しているけれど、残念ながらそこにはルイはいない。しかもルイは…そのうち妊娠するんじゃないのか?」
「あぁ、ルイが…ストラスの子が欲しいと望んで…この姿になった…受精卵が着床しようと進んでいるところだ…」
アルシエルが答える。
「…妊婦か…いよいよ女神の近くにいる可能性が高くなってきたな…取り返すにはストラスが代償を支払うしかない。私やレイが肩代わりできる内容ならいいけど…女神が悪魔に何を望むかなんて…見当もつかないな」
珍しく憂い顔でジュディスが言った。




