第六話「姉との別れ」
あの一件の騒動もどうにか落ち着き、日常が戻ってきたある日のこと。
姉さんに「話があるの」と自室に呼び出された。一体なんの改まった話だろうかと思っていると、姉さんは真剣な面持ちで口を開いた。
「実は私……学校に行くことにしたの」
(が、学校……!? この世界にも学校なんて概念があるのか……!)
思わぬ言葉に驚きつつも、俺は素直な感想を口にした。
「いいね、姉さん。優秀だから、きっと首席にもなれるんじゃない?」
「……っうぅ、うわぁぁぁん!!」
なぜか突然、姉さんがボロボロと大泣きし始めた。
「え、えぇ!? どうしたんだよ急に!?」
「うぅ……アレスは絶対反対すると思ったのに……背中を押してくれるのね……なんていい子なの……っ!」
涙目になりながら、よしよしと激しく頭を撫で繰り回してくる。
「しばらく会えなくて寂しい思いをさせちゃうけれど……絶対に立派になって帰ってくるからね……!」
「お、おう……」
涙をポロポロと零し続けるエリカ姉さん。
「で、でもさ、いつから行くんだ?」
「え? 明日よ」
「……え?」
明 日 ぁ !?
急展開にも程があるだろッ!?
「アレスが寝ている間に、お父さんとお母さんには話を通しておいたの……」
「……そっか。まぁ、向こうでも楽しんでこいよ」
「あなた本当に三歳児なの!? なんてできた弟なの……っ!」
(ギ、ギクッ……)
「ちなみに、どれくらいで帰ってくるの?」
「うーん、わからないけれど……六年制だから、六年は帰れないかしらね……」
(六年……前世でいう小学校の括りみたいなものだろうか……)
こうして急遽、今晩は姉さんの門出を祝う『入学祝いの宴』が開かれることとなった。
「——ということで! エリカの学校入学祝いに……!」
「「「「カンパーイ!!」」」」
木製のテーブルに並べられたのは、目に映る限りの豪勢なご馳走!
いやぁ、実に壮観だ。親父がSランク冒険者ということもあり、我が家は相当裕福らしい。
「にしてもなぁ……あんなに小さかったエリカが、もう親元を離れるなんてなぁ……うぅ……っ」
「ちょっとお父さん、泣かないでよ」
顔をぐしゃぐしゃにして泣く親父の姿に、Sランク冒険者の威厳は微塵もない。
「そうねぇ……覚悟はしていたけれど、子供の成長は本当に早いわね」
「もう、二人ともやめてよ! 私はまだ成長しきってないわ! 学校でたくさん勉強して、もっと立派になって帰ってくるんだから!」
「うぅ……そうか……。アレス! お前は成長なんてゆっくりでいいからな! ずっとお父さんのそばにいろ〜〜っ!」
「うわっ、暑苦しい! やめてくれって……!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの親父が全力で抱きついてくる。
「ふふっ、やっぱりあなた達、親子そっくりね。」
「なにがだよ!」
「ともかく! 今日は遠慮せずにたらふく食え! 明日の移動は長旅で疲れるだろうからな!」
「えぇ、分かったわ!」
そう言うやいなや、大皿のご馳走をバクバクと勢いよく平らげていく姉さん。
結構なボリュームが用意されていたはずだが、このペースで食われたら一瞬で平らげられてしまいそうだ。
「ふふ、私たちもいただきましょうね。このお肉、食べやすく切り分けるわ」
おふくろが手際よく鳥の丸焼きを捌いていく。
(……あぁ、これが『家族』なんだな)
とても温かくて、賑やかで、楽しい。前世の自分にも家族はいたが、兄弟はいなかった。だから、こういう賑やかな食卓はどこか不思議で、そして無性に愛おしく感じられる。
(姉弟ってのも、悪くないもんだな……)
明日にはいなくなってしまう姉の横顔を見つめながら、俺はしみじみとそんなことを思うのだった。
ご馳走をたらふく食べ終え、明日は朝が早いからと早めに就寝することになった。
自室に戻った俺は、ベッドの上で軽く本を開く。
文字の読み書きができた方が今後の生活で圧倒的に便利だし、この異世界の情勢や歴史について詳しくなれるからだ。
前世では勉強が大嫌いだった俺だが、自分の知的好奇心を満たすためなら意外と苦にならないから不思議なものである。
ある程度読み進め、そろそろ寝ようかと本を閉じ、燭台のろうそくを消そうとしたその時——
トントン、と部屋のドアが軽くノックされた。
「入っていいよ」
「……よかった、まだ起きてた?」
ひょっこり顔を出したのはエリカ姉さんだった。
「うん、どうしたの?」
「それがね……私、すっかり忘れていたんだけど……学校って遠いから寮生活になるじゃない?」
「うん、そうだね」
「でね、向こうで生活するにあたって、家からいろいろ私物を持っていくじゃない? 歯ブラシとか、服とか、その……下着とか……」
「そうだね」
「そこで私、やばいことに気づいちゃったんだけど……」
「???」
「……私、まだ荷造り一切してないの。だからさ……手伝ってくれない?」
「…………は?」
おいおい、大丈夫かこの天才少女……。
一人で遠くの寮生活なんてやっていけるのだろうか……。
呆れつつも放っておけるはずもなく、俺は夜遅くまで姉さんの荷造りを手伝う羽目になった。
「ねぇアレス! これは持っていくべきかしら!?」
そう言ってテンション高めに手に取ったのは、押すと変な音が鳴る謎のおもちゃだった。
「……いや、絶対に要らないだろ」
「そうかしら……うーん」
名残惜しそうにおもちゃを脇に置く姉さん。
「ふぅ! これで完璧ね!」
「そうだね……やっと終わったぁ……」
「ごめんなさいね、夜遅くに手伝わせちゃって」
「いいって。明日は早いんだから、早く寝ようね」
「そうね! おやすみ、アレス!」
ポンポン、と優しく頭を撫でてくる。
子供扱い——まあ、見た目は完全に三歳児なのだが。
「はい、おやすみなさい」
姉さんを見送り、俺は自室へと戻る。
三歳児のくせに自室があるのは早すぎるんじゃないかとも思うが、今は都合が良い。
部屋に戻った俺は、寝床につくことなく、机に向かって「ある作業」を始めるのだった。
翌朝。
家の前に、姉さんを迎えに来た豪華な馬車が到着した。
こういう立派な送迎が来るあたり、やっぱり我が家は裕福なのだろう。
「じゃあ……行ってくるね……」
寂しそうな表情を浮かべるエリカ姉さんを、親父とおふくろが目頭を熱くさせながら見守っている。
「困ったことがあったら、いつでも手紙を書きなさい。嫌なことや辛いことがあったら、いつでも帰ってきていいのよ」
「ありがとう、お母さん……っ、うぅ……!」
必死に耐えていた姉さんの目から、ついに大きな涙が溢れ出す。
「そうだぞ! いつでも帰ってきていいからな! 向こうで友達をたくさん作って、青春を謳歌しなさい! ……だが! 彼氏を作るのは断固として許さん!! お父さんは絶対に許さんぞぉぉぉッ!!」
「つ、つくらないわよバカお父さんッ!」
家族一人ひとりと別れの言葉を交わし、最後に俺の前にやってきた。
「アレス……寂しくなるわね……」
愛おしそうに、何度も俺の頭を撫でてくる。
姉さんにとって、この触れ合いは俺への最大限の愛情表現なのだろう。
「そうだね……。あ、そうだ」
俺はポケットに忍ばせていた『それ』を取り出した。
「……これは?」
「向こうで寂しくなった時のために、お守りを作ったんだ。……はい、受け取って」
昨日の夜、俺が自室で徹夜して作っていた手作りの小さな木彫りのお守り。
エリカ姉さんは目を丸くした後、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべて、宝物のように大切にポケットへと舞い込ませた。
「ありがとう……! 大切にするね、アレス!」
感極まった姉さんが勢いよく抱きついてきて、俺の頬にちゅっと軽いキスをした。
(……うぐっ、なんか……ちょっと照れくさいな……)
「羽目を外しすぎないようにして、楽しんでこいよ」
「えぇ、そうするわ!」
しばらくの間、ぎゅっと強く抱きしめられた後、名残惜しそうに身体が離れる。
エリカ姉さんはすーっと大きく息を吸い込むと、晴れやかな笑顔を咲かせた。
「それじゃあ……行ってくるね!」
「あぁ! 行ってらっしゃい!」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「じゃあな姉さん。元気でね」
「アレスも元気でね! 行ってきます!」
パタンと馬車の扉が閉じ、車輪が静かに動き出す。
ガラガラと音を立てて遠ざかっていく馬車を、俺たちはいつまでも、姿が見えなくなるまで見送り続けるのだった。




