第五話「初めての魔法」
次の日の朝、眩しい朝日が差し込むと同時に、俺たちは村の外れにある広場へと向かった。
いよいよ、人生初の魔法実技の練習だ。
「いい? アレス! よく見なさい!」
エリカ姉さんはビシッと人差し指を前に突き出し、全身に力を込める姿勢をとった。
「こうやって両手を前に出して、全身を駆け巡っている特別な『力』を、手のひらの先の一点だけにぐぐぐっと集中させるの! そして、心を込めてこう唱えるのよ!」
姉さんは大きく深呼吸をすると、まるで舞台女優のように大袈裟な身振りで詠唱を開始した。
「暗きを燃やし尽くす熱よ、我が指先に集まれ——『ファイヤーボール』っ!」
その朗々とした声が響き渡った瞬間。
姉さんの手のひらの前に、鮮やかな赤色の魔法陣が浮かび上がり、その中心から「ボッ!」と勢いよく拳大の炎の玉が吐き出された。
ふふん、と満足そうに鼻を鳴らしたエリカ姉さんが腕を振ると、炎の玉は空気を切り裂いて一直線に飛んでいく。
ボォォォォッ!!
激しい熱風を巻き起こしながら俺の目の前を通り過ぎ、数十メートル先にある大きな立ち木へと着弾。
木は瞬く間に激しい炎に包まれ、黒い煙を巻き上げた。
「どう!? わかった?」
「あぁ……これは、マジで凄いな……」
フィクションでしか見たことがなかった憧れの魔法。
それが目の前で展開された現実に、俺はまるで夢でも見ているかのように呆然と呟いた。
「でっしょ〜〜〜っ!!」
褒められたのが相当嬉しかったのか、エリカ姉さんはピョンピョンと跳ね回りながら鼻高々だ。
「さぁ、アレスもやってみなさい! 私の弟ならできるわよ!」
「お、おう……やってみる」
俺は深呼吸を一つ挟み、前世のイメージトレーニングを脳内で再生しながら、両手をまっすぐ前に掲げた。
目を閉じ、体内の奥深くに眠る熱い奔流を探す。
足の先、指先、血流のすべてを意識し、その中心にあるエネルギーを手のひらへと収束させていく。
感覚が研ぎ澄まされていく。手のひらの皮膚が、ピリピリとした高揚感で熱を帯び始めた。
「暗きを燃やし尽くす熱よ……我が指先に集まれ——」
身体の中の『何か』が、爆発的な勢いで手元に吸い寄せられていく感覚。
瞼を開けると、俺の手の前に複雑な幾何学模様を描く魔法陣が構築されつつあった。
「——『ファイヤーボール』っ!!」
叫ぶと同時に、魔法陣の渦から炎が溢れ出した。
……だが、おかしい。
姉さんの放った拳大の火の玉とは、あまりにも規模が違いすぎる。
俺の手元から生み出されたのは、エリカ姉さんのそれよりも一回りも二回りも、いや、数十倍はあろうかという巨大な「炎の質量塊」だった。
「……は?」
間近でそれを見ていたエリカ姉さんの顔から、余裕の笑みが消え去る。
ここまでは完璧だった。ここまでは良かったのだ。
しかし、俺には決定的な知識が欠けていた。
『放たれた魔法をどう操作すればいいのか』という制御方法を、何一つ教わっていなかったのである。
俺の手元にある巨大な火球は、俺の体内から果てなしに魔力を吸い上げ続け、どんどん肥大化を続けている。
「こ、ここからどうすればいいの姉さんッ!?」
「え、えっと……! 前に打つ……いや待ちなさい! この規模を解き放ったら村が吹き飛ぶわ! け、消しなさいアレス! 今すぐ消すのよ!」
「どうやって消すのか教えてくれよ指示が大雑把すぎるだろ!!」
混乱して喚き散らしている間にも、火球は限界を超えて膨らみ続け、もはや俺の顔面の目と鼻の先まで迫っていた。
あつっ、めちゃくちゃ熱い!? 眉毛が焦げる!!
その時、極限まで膨張した炎の塊がピタリと動きを止めた。
次の瞬間、急速に収縮を始めると同時に、赤かった炎が青白い高熱の光へと色を変えていく。
「ちょ、何それ!? 炎の色が変わってるじゃない! そんな魔法見たことないわよ!?」
「いいから止め方を教えてくれ死ぬ! 俺が死ぬ!!」
「え、ええぇぇっ!? そ、そうね、じゃあこう……バッと! 手をバッとやる感じで!!」
あぁダメだ……感覚派指導者だこの姉……!
何の参考にもならないが、背に腹は代えられない。俺は言われた通り、全身の力を手元に込めて『バッ!』と空間を押し出すように手を振った。
——次の瞬間。
青白く凝縮された火球が一瞬だけ視界から姿を消した。
直後、鼓膜を裂くような殺人的な爆音が空気を揺らす。
ドバァァァァァァァァンッ!!
光の帯となった魔法は、超音速の矢となって前方へ射出された。
軌道上にあった樹木、岩石、あらゆる障害物を一瞬で蒸発させながら、果てしない速度で突進していく。
そして数百メートル先にある小高い山に激突した瞬間——。
ズドォォォォォォォォンッ!!!!
天を穿つほどの巨大な火柱が立ち昇り、強烈な衝撃波が俺たちの髪と服を激しく吹き荒らした。
爆風が収まった後、視界に広がっていたのは——山の一部が無惨に削り取られ、煙を上げる荒野の光景だった。
「……ええぇ…………」
「ちょっとおぉぉぉッ!? 誰がブッ放せって言ったのよぉぉぉッ!?」
言葉を失う俺と、頭を抱えて叫ぶエリカ姉さん。
とんでもないことをやってしまった。目の前の地形が完全に変わってしまっている。
「そんなことより、どうやってやったのよ今の!? どんな理屈なのよ!?」
「え……いや……わか……ん……」
詰め寄ってくる姉さんの声が、急に遠く聞こえ始めた。
視界がぐにゃりと歪む。
鼻の下に温かい液体が垂れてくる感触。手で拭うと、指先が真っ赤に染まっていた。
ダラダラと止まらない鼻血。それだけじゃない。視界全体が赤く染まっていく——目からも血が溢れ出ているのだ。
「ちょ、ちょっとアレス!? 大丈夫!? 穴という穴から血が溢れて……」
エリカ姉さんの声を遠くに聞きながら、俺の意識は深い闇へと落ちていった。
「……うぐっ……は! はぁ……はぁっ……!」
次に目を開けた時、視界に入ってきたのは見慣れた我が家の木造の天井だった。
全身が鉛のように重く、指一本動かすのすら億劫なほどの脱力感。
「あ! 起きた!? ねぇお母さん、アレスが起きたわよ!」
ベッドの脇で待機していたエリカ姉さんが跳び上がり、奥からおふくろが青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「アレス! 大丈夫!? あなた、丸五日間も寝たきりだったのよ!?」
「え……? ご、五日……?」
身体を起こそうとするが、激痛が走ってあえなく断念する。そんなに長い間、意識を失っていたというのか。
「死んじゃったかと思って……本当に心配したんだから!」
エリカ姉さんがポロポロと涙をこぼしながら俺の手を握りしめてくる。
「アレス……あなたは自分の許容量を超えた魔力を使ったの。足りない魔力を補うために、無意識に『自分の生命力』まで魔力に変換して魔法を発動させたのよ」
「生命力……を……?」
「だから、あんな恐ろしい規模の魔法が出せたのね……」
おふくろは安堵の溜息をつきながら、優しく俺の額の手ぬぐいを替えてくれた。
「それにしても異様だったわよ! あんなの、大人の上級魔術師でも出せるか分からないわ!」
「とにかく無事で良かった……。本来なら、幼い子供の体は魔力を使い果たす前に立ち眩みが起きたり、意識を失ったりして自動的に魔法が止まる仕組みになっているの。でも、あなたの身体にはその『安全装置』が働かなかったのね……本当に危なかったのよ」
「そう……だったんだ……」
前世の意識があるせいで、身体の自己防衛本能(限界値)を頭で無理やり押し通してしまったのだろう。
一歩間違えれば、本当に脳の血管が破裂して死んでいたところだったのだ。冷や汗が背中を伝う
「無事でよかった……無事でよかったぁ……!」
エリカ姉さんは俺の胸元に抱きつき、何度も何度も俺の頭を撫でてくれた。
「姉さん……くすぐったいよ……」
「ふふっ、心配させないでよ……」
涙を拭いながら、エリカ姉さんが愛おしそうに微笑む。
「とにかく、アレス。身体がしっかりと成長して魔力の扱いを覚えるまでは、もう絶対に魔法を使っちゃダメよ。普通の子は、十歳を超えてから本格的な訓練を始めるものなんだから」
「……はーい」
おふくろの厳粛な言いつけに、俺は素直に頷いた。
(危うく、二度目の人生も数年でスピード終了させるところだった……)
命拾いした安堵感と、自分の愚かさへの反省。
俺は、この世界の「魔法」というシステムの解明と安全な制御法が確立するまでは、安易に魔法に手を出すのはやめようと、心から固く誓うのだった。




