第四話「姉との遊び」
あれから二年。この世界に来てから、早くも三年という月日が流れた。
俺も無事に三歳を迎え、まともに言葉を話し、二足歩行で自由に歩き回れるようになった。
さて、三歳になったことだし早速『魔法の特訓』でも……と言いたいところなのだが、現実は甘くない。
現在進行形で、俺は姉さんに連れ回されている最中だ。
ここは田舎の小さな村。同世代の子供なんて一人もいない。
そんな環境で、言葉が通じるようになった三歳の弟——つまり俺は、姉さんにとって最高の「生け捕りされた遊び相手」というわけだ。
「アレス! 今日はあっちの川の方へ行きましょう!」
太陽のような眩しい笑顔で、今日も元気に引っ張られる。
「はいはい、行きましょうねー」
「ダメよふたりとも。川は危ないから、違う場所で遊びなさい」
すかさず、おふくろからストップがかかった。
流石はおふくろ、安全配慮義務を怠らない。
「えー……」
「ダメなものはダメです!」
「……はーい」
あからさまにしゅんとした返事をする姉さん。
そのまま俺の手を引いて、外へと連れ出していく。
「……それで? どこ行くの、姉さん」
「決まってるでしょ? 川よ」
「……お母さん、ダメって言ってたけど」
「あんなの聞かなくてもいいのよ! あんたと違って私は『天才』なんだから、何かあってもあんたのことくらい余裕で守ってあげられるわ!」
胸を張って言い放つ姉さん。
頼もしいお言葉だが、完全に『死亡フラグ』にしか聞こえない。
「それとも何……? 姉であるこの私に逆らうっていうの……!?」
「いえ滅相もございません。お姉様の仰せのままに……はい」
「よろしい! ついてきなさい!」
姉さんは確かに優秀だ。だが、それはあくまで『七歳にしては』という注釈がつく話であって、最近は少し天狗になりすぎているきらいがある。
(うぅ……俺だってそろそろ魔法とか剣術の稽古を始めたいのに……)
心の中で溜息をつきつつも、姉さんの気まぐれに付き合う日々。
……まあ、決して悪い気分じゃない。
前世のしがらみや難しい勉強から解放されて、何も考えずにただ全力で遊ぶ。この「童心」を取り戻すような時間は、想像以上に心地よかった。子供の遊び心ってやつは、何歳になっても忘れたくないものだ。
「見えてきたわよ、アレス!」
姉さんが指差した先。
そこには、豊かな木々に囲まれた色鮮やかな緑の奥で、光を反射してキラキラと輝く透き切った川が流れていた。
「……すごく綺麗だな」
「でっしょー!? この景色をあんたに見せたかったのよ!」
姉さんは誇らしげに鼻を鳴らすと、手際よく靴と靴下を脱いで揃え、冷たそうな水の中へ素足を踏み入れていく。
「はぁー! 冷たくて気持ちいいわ! あんたも来なさいよ!」
「うわっ!?」
言うやいなや、バシャッと勢いよく水をかけてくる。
「……冷たッ! やったなー!?」
俺も急いで靴と靴下を脱ぎ捨て、川の中へと飛び込んだ。
最近は急に蒸し暑くなってきた。どうやらこの季節は「夏」らしい。
この世界にも四季が存在するようだ。そんな暑い時期に飛び込む川の水は、驚くほど冷たくて最高に気持ちいい。
「えい! えい! この! このー!」
「容赦ねぇな!?」
三歳児相手とは思えない全力のバシャバシャ攻撃。
普通の三歳児なら足をとられて流されかねない水圧だが、なにせ中身は元高校生だ。体幹のバランス感覚でしっかり踏みとどまる。
俺は思い切り川水を蹴り上げ、姉さんに向けて盛大にウォータークラウンをぶちまけた。
バシャッ!! と大きな音を立てて、姉さんが頭からびしょ濡れになる。
……あ、言っておくが変な意味での「びしょ濡れ」じゃないぞ。健全なやつだ。
「えぇい! やったわね……!?」
「うわ、待っ——」
なんと、この天才魔法少女は魔法を捨てて『フィジカル(物理)』で襲いかかってきた。
容赦なく押し倒され、二人まとめて川の中に転がる。服も髪も完全に水浸しだ。
「……あはは! 楽しいな、これ!」
「そうでしょう!?」
身体的には俺の方が圧倒的に年下だが、精神年齢的な視点で見れば、可愛い妹か親戚の女の子と無邪気に遊んでいるような感覚だった。
そうして俺たちは、空が綺麗な茜色に染まるまで、二人で夢中になって水を掛け合い続けた。
「……そろそろ帰るわよ」
姉さんは濡れた服をギュッと絞り、湿った足のまま靴下と靴を履き直して歩き出す。
「早く帰るわよー」
「あ、待ってくれ」
俺も同じように濡れた靴に足を突っ込み、姉さんの後ろを追いかける。
「今日は楽しかったわね、アレス!」
「そうだな。また来よう」
「うん!」
……冷静に考えたら、三歳児が「そうだな、また来よう」なんて渋い返答をするのは不自然かもしれない。
だが、「うん! たのしかったー!」みたいな幼児っぽい演技をするのは、どうにも照れくさいというか……いわゆる『キツい』領域に踏み込む気がするので自重している。
ともかく、全身ビショビショの怪しい幼兄妹は、無事に我が家へと辿り着いた。
「たっだいまー!」
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい……って、ちょっと!? なんで二人ともそんなに全身びしょ濡れなの!?」
出迎えてくれたおふくろが、目を見開いて叫ぶ。
「えぇっとぉ……それはぁ……」
姉さんが助けを求めるような視線を俺に向けてきた。
おいおい、七歳が三歳児に口裏合わせの助けを求めるのはどうなんだ姉上。
俺はフル回転で脳のCPUを回し、思いつく限りの苦しい言い訳を絞り出す。
「……急な雨に、襲われまして」
『ゲリラ豪雨』という近代用語を使いたいところだったが、この世界にその概念があるか分からないので回避した。
「ええ、そうなの?……今日、空には雲ひとつなくて、雨なんて一滴も降ってないけれど?」
(ギクッ……!!)
知ってた。知ってたよ、超絶バレバレの嘘だってことは!
だが三歳の脳みそでは、これ以外の濡れた言い訳を捏造できなかったのだ……!
「……あなたたち。お母さんがダメって言ったのに、川に行ったわね?」
「……ごめんなさい! 私が悪いの……っ! 私が行こうって言って、アレスを無理やり連れて行ったから……!」
(——っ、男前すぎるだろ姉さん……!!)
速攻で弟を庇うこのイケメンっぷり。
将来モテモテ間違いなしだぞ。男はもちろん、同性からも惚れられるタイプだ。見てくれよこの歳でこの包容力!
「僕も悪いです……止めずに、ついて行っちゃったから……」
身を挺して庇ってくれた姉さんを一人で怒らせるわけにはいかない。俺も素直に頭を下げる。
するとおふくろは、呆れたような、でも温かい溜息をつきながら、俺たちの頭を優しく撫でてくれた。
「はぁ……まあいいわ。二人とも、怪我なく無事に帰ってきたんだから。……ただし! 次からお母さんが『危ないから行っちゃダメ』って言った場所には、絶対に行かないこと。わかった?」
「「はい……」」
「うん、よろしい。お風呂が沸いてるから、すぐに入りなさい。風邪ひくわよ」
「そうね! 行きましょアレス!」
お姉ちゃんに引っ張られながら、僕らは脱衣所へと向かう。
「寒かったでしょ、アレス! 先に入りなさい!」
「あ、ありがとう……って、お姉ちゃんは?」
「私は服を脱ぐのに時間がかかるから、先に入って温まってなさいって言ってるの!」
ドヤ顔で威張る姉さんだが、要するに服のボタンを外すのが下手なだけだ。七歳の「天才」も、生活能力に関しては年相応どころかちょっと不器用だったりする。
「はいはい、じゃあお先に失礼して……」
脱ぎ散らかした服を籠に放り込み、浴場へと足を踏み入れる。
木造の温もりがある浴室には、湯気が立ちこめていた。おふくろが魔法と薪で沸かしてくれたお湯は、絶妙な温度で張られている。
「はぁ〜〜……生き返る……」
ゆっくりと湯船に浸かると、川の水で冷え切っていた身体がじんわりと温まっていく。前世の日本の温泉文化を思い出す至福の瞬間だ。この世界の文明レベルには不満もあるが、この風呂の文化だけは心から感謝したい。
すると、ガラリと扉が開いて、服を脱ぎ捨てたエリカ姉さんが飛び込んできた。
「あー! アレスずるい! 私も入るー!」
バシャーン!! と勢いよく湯船に飛び込んでくる姉さん。
「うおっ!? 姉さん、暴れたらお湯が減るってば!」
「いいのよこれくらい! ふぅ〜、あったかいわねぇ……」
さっきまでの冷たい川遊びの興奮も冷め、温かいお湯に包まれてうっとりとした表情を浮かべる姉さん。まあ、なんだかんだで可愛い我が姉である。
こう何度も一緒に風呂に入ると美少女の裸というものも慣れてくる。いや、最初から家族ということもあって興奮はしていなかったのだが
「ねぇ、アレス」
「ん?」
「今日は……ごめんなさいね。お母さんに怒らせちゃって」
少しだけ申し訳なさそうに、湯船から目だけを出してボソッと呟くエリカ姉さん。
「ううん、全然。楽しかったし、最後にお母さんから庇ってくれたの、すごく格好良かったよ」
「……っ! で、でしょう!? 私はお姉ちゃんだからね! 当然よ!」
パッと顔を輝かせて、誇らしげに胸を張る。分かりやすすぎる性格だ。
「でも、次は本当にお母さんの言うこと聞こうね。今回は大丈夫だったけど、本当に危険な魔物とかが出たら危ないし」
「む……分かってるわよ。次はもっと魔法を練習して、完璧になってから行くわ」
(いや、行く前提なのかよ……)
心の中で突っ込みつつも、俺は苦笑いを浮かべる。
そうだ、と俺はふと思い立ったように口を開いた。
「そうだ、姉さん。ついでに僕にも魔法を教えて欲しいなぁ……みたいな」
ずっと機会を窺っていたのだ。
この世界で生きていくための最大の武器——「魔法」。
七歳で魔法を操る天才の姉から教わるのは、絶好のチャンスではないだろうか。
「……? いいわよ! 教えちゃげる!」
俺の言葉を聞いたエリカ姉さんは、ふふんと鼻を鳴らして得意げに胸を張る。
そして、「ただし」と少しいたずらっぽく口元を緩めた。
「私の教えは厳しいわよ! ついて来れるかしら!」
「望むところだ」
ニヤリと笑みを交わし合う。
こうして、俺とエリカの魔法の特訓が始まることとなった。




