第三話「言葉がわかってきた」
ここが異世界だと理解してから、早いもので一年が経った。
流石に一年もこの環境で過ごしていれば、この世界の言語も少しずつ理解できるようになってくる。
どうやら、俺の名前は『アレス』と言うらしい。
苗字は『イーストレア』。
つまり、アレス・イーストレアというのが俺の新しい名前というわけだ。
ちなみに、おふくろはエリアナ、親父はロラン、そして姉さんはエリカ。
家族全員の名前が判明しただけでも、俺にとっては大いなる一歩だ。
だが、進歩はそれだけじゃない。
言葉が分かるということは、周囲の会話が理解できるということだ。
この未知に満ちた異世界を紐解く上で、これほどありがたい情報源はない。
今すぐにでも会話の輪に混ざりたいところなのだが、一歳児の身体機能はどうにも思うようにいってくれない。
単語をひとつふたつ口にするのが限界なのだ。
(あー……早く対等に会話できるようになりてぇ……)
そんな愚痴を心の中でこぼしていると、件の姉さんがトコトコと寄ってきた。
「ねぇ、聞いてアレス! 今日ね、今日ね、おつかいに行ったらね……!」
相変わらず、エリカ姉さんは俺によく話しかけてくる。
今日あった出来事や、嬉しかったこと。言葉の通じない弟相手に、一生懸命に言葉を紡ぐ。
姉さんは俺より四つ年上の五歳だ。
いやー、五歳にして一人でおつかいをこなすとは……流石は俺の姉、優秀優秀。
よし、そんな優秀なお姉様に、とっておのご褒美をあげるとしよう。
「ねーね!」
「っ〜〜〜〜!」
俺の完璧な幼少声を聞いた瞬間、エリカ姉さんの顔がパッと花が咲いたように輝いた。
「そう! 私はねーねよ! すごい、よくできましたー!」
そう言いながら、わしゃわしゃと俺の頭を撫で繰り回してくる。
くっ、美少女の姉に頭を撫でられるこの状況……控えめに言って最高だな。
「ねぇ! おかーさん! 今アレスが私のこと『ねーね』って言ったの……!」
頭を撫でるのをやめるやいなや、姉さんは自分の手柄を誇るように母親の元へ走っていった。
いやぁ……こういう「あざとい接待」も、悪くないな。
こちらからすれば完全に打算的なサービスショットなのだが、向こうが全力で喜んでくれるならWin-Winというやつだ。
こりゃあ、想像以上に楽しいぞ。
進歩したのは言語だけではない。身体機能も着実に発達してきた。
いまや「ハイハイ」くらいなら余裕でこなせる。
それも、ただのハイハイではない。陸上選手も真っ青の超絶スピーディなハイハイだ。
一歳児限定のハイハイ世界選手権があれば、間違いなく金メダルを狙えるレベルだと自負している。
この世界最速(自称)のハイハイで、我が家の中を縦横無尽に探索する。
我が家は木造二階建ての構造らしい。
一階にはリビング、キッチン、風呂場、トイレ、そして親父とおふくろの寝室。
……余談だが、毎晩ふたりで一緒に寝ているあたり、どうやらうちの両親はお盛んなようだ。実に微笑ましいことである。
え? 電気も水道もない異世界で、風呂やトイレはどうしているのかって?
風呂はおふくろが毎回沸かしている。
井戸から汲み上げた水に、魔法で薪へ着火して適温にするというストロングスタイルだ。
トイレはどうやら井戸水を使って上手く流す仕組みになっているらしい。
設計ミスで、生活用水と混ざっていないことだけを切に願うばかりだ。
それと、我が姉・エリカはどうやら『天才』の類らしい。
一年前——つまり姉さんが四歳の頃、初めて魔法を使ってみせたのだという。
四歳で魔法発動というのがどれほど凄いことなのかは分からないが、両親は「天才だ!」と大はしゃぎしていた。
まあ、親バカの目フィルターがかかっている可能性も否めないが。
ともかく、俺も早く成長して魔法というものをぶっ放してみたいものだ。
さらに、親父の職業についても判明した。
どうやら……この世界における『冒険者』というやつらしい。
いやぁ、いいねぇ! 男のロマンだ、俺も将来絶対になりたい。
親父は魔法をガンガン使うタイプではなく、剣を振るって戦う前衛スタイルのようだ。
姉さんからのタレコミによると、親父はめちゃくちゃ強くて、今では『Sランク冒険者』なんて階級に君臨しているらしい。
この世界の「Sランク」がどれほどインフレを起こしているのかは不明だが、テンプレ通りならトップクラスにすごいはずだ。
まさか『SSランク』とか『Zランク』とか、どこぞのバトル漫画みたいにランクが天井知らずに跳ね上がっている……なんてオチじゃないといいのだが。
まあ、そのあたりの世界情勢も、俺がもっと成長してまともに喋れるようになったら問い詰めるとしよう。
あぁ……この異世界でやりたいことが山積みだ。
この身体が成長するのが、心の底から待ち遠しい。
この年齢で言うのもなんだが——「若いと時間の流れが恐ろしくゆっくりに感じる」という真理を、俺は身をもって実感するのだった。




