第一話「転生」
俺は、夢を見ているようだった。
包み込まれるような温もり。どこまでも深く、絶対的な安心感。
耳奥をくすぐる優しく穏やかな旋律は、まるで子守唄のようだった。
(ああ……まだ、寝ていたい……)
心地よい微熱の中で微睡んでいたい——そんなささやかな願いは、理不尽な力によってあっけなく打ち砕かれる。
急激に外へと引きずり出される感覚。
次の瞬間、刺すような眩い光が視界を塗りつぶした。
(眩しっ……なんだよ、人が気持ちよく寝てたのに……)
鬱陶しさに眉をひそめながら、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
白で塗りつぶされていた視界が、時間の経過と共に少しずつ輪郭を取り戻していく。
(ええと、ここは——)
状況を把握しようと、重い頭を動かそうとした瞬間。
忘れていた「最後の記憶」が、脳裏を奔流となって駆け抜けた。
(——ッ!?)
そうだ。俺は——電車に跳ねられたはずだ。
へしゃげた世界。骨が砕けるあの不快な衝撃。間違いなく死んだと思った。
なら、ここはどこだ? 病院か? あの狂気じみた事故から、奇跡的に生還したとでもいうのか?
ぼやけていた視界が嘘のようにクリアになり、目から怒涛の情報が飛び込んでくる。
(……女に、抱きかかえられてる……?)
誰だ、この人は。
サラサラと肩に流れる綺麗な金髪。思わず手を伸ばして撫で回したくなるような質の良さだ。
顔立ちも恐ろしく整っている。「可愛い」というよりは、「美しい」とか「綺麗」という言葉がしっくりくる極上の美女。
見覚えなんて当然ない。
ないはずなのに、なぜか妙な安心感があった。まるでおふくろの腕の中に抱かれているような、原始的な安らぎ。
(いや、まさかな……)
妙な違和感を拭いきれず、ゆっくりと視線を巡らせる。
ここは——病院の集中治療室なんかじゃない。
それどころか、全体がぬくもりのある木造で出来ている。
現代の日本に、こんなレトロを通り越して中世風の病院があるだろうか。
西洋医学ではなく東洋医学の診療所か? いや、知識がないから適当なことを言っているが、そうだとしてもあまりに雰囲気が違いすぎる。
(とにかく……日本の病院じゃないことだけは確かだ)
周囲にいる人物たちも、医者や看護師の風貌とは程遠い。
ふと、上空から視線を感じた。
ひとりの男が、こちらを見下ろして微笑んでいる。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
引き締まった筋肉、整った顔立ち。いかにもバカっぽそうな茶髪のアホ毛が立ち上がっているが、浮かべている笑みにはどこか温かみがある。正直、悔しいが普通にかっこいい。
(美女と、イケメン……美男美女の夫婦ってやつか)
男と目が合った。
すると突然、その男は顔を極限まで近づけ、盛大に変顔をしてきた。
(なっ……急に何してんだこの男……ッ!?)
意図が分からず困惑したものの、その顔の崩れ具合があまりにも突拍子もなく、妙にツボに入ってしまう。自分でも驚くほど笑いのツボが浅くなっているらしい。
「ふふっ」
心の底から爆笑した——つもりだった。
だが、喉から漏れ出たのは、情けない空気の抜けるような音だけだった。
俺が反応を示したのを見て、美女と男が顔を見合わせる。
「————————————」
「——————————————」
「————————————?」
二人が言葉を交わし、再びこちらへ温かい眼差しを向けてくる。
(……何言ってんだ、全くわからん)
何語だ? これまでの人生で一度も聞いたことがない言語だ。
英語でも、中国語でも、韓国語でもない。まったく未知の音節。
仕方なく、俺は唯一知っている国際語で問いかけてみることにした。
『ここはどこですか?』と。
「あー……あー、うー」
……声が出ない。
いや、声自体は出ているのだが、まるで『言葉の喋り方』そのものを忘れてしまったかのように、意味のある単語にならないのだ。
(くそっ……! 電車に轢かれた後遺症か……!?)
体が麻痺しているのかもしれない。言語障害が出ているなら、運動機能も死んでいる可能性がある。
俺は焦りから、全力で全身に力を込めた。
動く。手足の感覚はある。五体満足だ。
だが——脳からの伝達命令と、実際の身体の動きが決定的に噛み合わない。感覚が、恐ろしいほどに狂っている。
(やっぱりか……本格的なリハビリが必要になるな、これは……)
現実を受け止めようと溜息をつき、自分の体を確認するためにぐっと顎を引いた。
視界に入ってきたのは——
驚くほど、ちっぽけな自分の手足だった。
小さくなった、なんてレベルじゃない。
しわしわで、柔らかく、まるまるとしていて——まるで、生まれたての赤ん坊のそれだった。
(あ…………)
すべてのパズルが、音を立てて噛み合っていく。
俺は、あの駅のホームで死んだのだ。
そして、目の前の美女の胎内を経て、この世界に産み落とされた。
宗教なんて信仰していなかった。
人が死んだら、天国に行くか、地獄に落ちるか、あるいは意識が永遠の闇に消えるだけだと思っていた。
だけど、違った。
正解は——生まれ変わり。
いや、これはきっと……あのライトノベルのような『異世界転生』というヤツだったのだ。




