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自由に楽しむ異世界転生ライフ  作者: なる頬
第一章 『故郷』
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プロローグ

学校のチャイムが、どこか倦怠感を孕んだ音で昼休みの訪れを告げる。


その音を合図に、俺らは吸い寄せられるように机を寄せる。

木製の天板が擦れるカサついた音。それぞれが持ち寄った弁当箱の蓋が開いた瞬間、教室の片隅には立ち上る湯気と共に、ひどく庶民的でくだらない「男の論理」が展開されることとなった。


「やっぱさぁ、女は『顔』なんだよ。これだけは譲れん」


今日のテーマは、実に安直で、そして誰もが一度は通る不毛な二者択一だった。

口火を切ったのは輝だ。

特進クラスを目指すとか言っているくせに、考える頭の中身は中学生と大して変わりやしない。


「いやいや、甘いな輝。絶対に『性格』だろ。どんだけ顔が整ってようがさ、性格が破綻してたら速攻で浮気されてNTRるのが関の山だぞ?」


対する涼太は、さも人生の深淵を見てきたかのような顔で首を振る。

完全に「顔派」と「性格派」の平行線だ。輝は納得がいかないといった様子で、身を乗り出すように熱弁を振るう。


「でも想像してみろって! 朝起きてさ、『おはようダーリン』とか言われて目を開けた瞬間、ブスが視界いっぱいに広がってたらどうする? テンション暴落だろこんなの!」


あまりに直球すぎる暴論に、涼太は一瞬気圧されたものの、すぐさま俺の方へと視線を滑らせてきた。助けを求める目だ。仲間を増やして、この不毛な議論に終止符を打ちたいのだろう。


「おい翔、お前はどうなんだよ? それとも何か、『俺はスタイル派だから』とか言って三つ巴の泥沼に持ち込む気か?」


振られたさいの目は、俺の手元で止まる。

ここで「性格」と言えば涼太の勝ち。「顔」と言えば輝の勝ち。だが、僕はそんな安易な二項対立に付き合うほど青くはない。

やれやれと肩をすくめ、ごく当然の心理を口にする。


「んなもん、顔も性格もスタイルも、全部揃ってるに決まってんだろ。性格が良い美人と、性格が良いブス。前者を選ぶに決まってんだろ。愚問だな」


「……それを言ったらおしまいだろ」


輝が心底呆れたというように溜息をつく。

涼太に至っては「はぁー」と深く天を仰ぎ、教室の無機質な天井を見つめたまま呟いた。


「男子校だからこんな最低な会話ができるんだよなぁ……あーあ、彼女欲しい」


「それな。共学でこんな話したら一瞬でSNSに晒されて大炎上だわ」


「でもさ」


輝がニヤつきながら続ける。


「女側に『高収入のイケメン』か『高収入のブス』かでアンケート取ったら、絶対100対0になると思わないか?」


「いや、世の中には奇篤なブス専ってのが存在するかもしれない。標本集団が全員そっち系だったら結果はひっくり返るぞ」


「あるわけねぇだろ、そんな奇跡!」


バカみたいな会話。何の足しにもならない、無価値な時間。

だけど——いま振り返れば、あのくだらない空気感こそが、俺らにとっての「日常」という宝物だったのだと思う。


気怠い午後のチャイムが鳴り、僕らはそれぞれの現実へと戻る。

特進クラスを目指す輝だけがノートを開き、涼太は開始三分で完全な睡眠モードへと突入した。

窓際のアリーナ席。差し込むポカポカとした午後の陽光と、食後の満腹感。なるほど、これはどんな優秀な人間であっても抗えない悪魔の誘惑だ。

高一の授業なんて、まあこんなものだろう。


退屈な時間を浪費し、放課後。

窓の外は、すでにどこか寂しげな茜色に染まっていた。


「帰ろーぜー」


机に伏していた涼太が、あくびを噛み殺しながら言った。

補習とは無縁の僕と涼太、そして本来なら成績上位者であるはずの輝。自由で有意義な放課後が約束されているはずだったが——。


「すまん! 今日、特進向けの補習があるんだった。先に帰ってくれ!」


輝は申し訳なさそうに両手を合わせ、頭を下げた。


「マジかよ……じゃあ翔、二人で行くか」


「おう、そうだな」


カバンを担ぎ、立ち上がる。


「じゃあな輝、補習頑張れよ」


「明日は絶対一緒に帰るぞ」


俺らの言葉に、輝は白い歯を見せてニッと笑った。


「もちろんだ。絶対帰ろうぜ」


それが、三人で交わした最後の「約束」になるとも知らずに。


校舎を出て、駅へと向かう夕暮れの道。

視界の端には、他校の制服を着た男女が仲睦まじく歩く姿が映る。


「……あー、イラつくな。腹減ってきた」


「現金な奴だな。……まぁ、今日は時間も小遣いもあるし、ラーメンでも食っていくか?」


「あり! 駅前にめちゃくちゃ美味そうなパフェ屋があるんだよ!」


「……は?」


ラーメンの口になっていた俺の脳内に、甘ったるいパフェの画像が無理やり割り込んでくる。

脈絡のなさに眩暈がしたが、涼太のこの手の気まぐれは今に始まったことじゃない。仕方ない、付き合ってやるか。


「はいはい、パフェね。行きますか」


店に入り、二人で厳めしく男二人のパフェを注文する。

運ばれてきたそれは、旬のフルーツとたっぷりの生クリームで彩られた、世界を狙えそうな逸品だった。

写真を何枚か撮り、男二人で無言で突っつく。


「うっま……疲れ吹っ飛ぶわ」


「な? 明日、輝も連れて来ようぜ。放課後、三人でさ」


「名案だな。乗った」


「よし、あいつにライン入れとく!」


甘味で脳を溶かしながら、俺らは明日の予定を立てた。

カフェを出て改札をくぐり、電車を待つホームへ上がる。


「輝の奴……本当に特進とか行っちゃうのかな」


ふと、胸の奥につかえていたものが言葉になって漏れた。


「まぁ……あいつなら行けるだろ。学年トップクラスだしな」


「そうだけどさ……遠くに行っちゃうみたいで、ちょっと寂しいよな」


涼太も寂しさを隠そうとせず、小さく頷いた。


「俺は理系だけど、涼太は文系だしさ。せっかく仲良くなったのに、みんないい感じにバラバラになるじゃん」


「だな。文理選択なんてクソくらえだわ。……でもまあ、クラスが変わっても三人で遊べばいいさ」


電車を待つ風が、少しだけ冷たく頬を撫でる。


こんな当たり前の、明日も続くはずだった日常。それが少しずつ形を変えていくことすら、当時の僕にはどこか耐えがたい寂しさに思えていた。


「日常ってさ……変わっちまうもんなんだな」


柄にもなく深いことを呟いてみる。

だが、隣の涼太からの返答はない。


「おい、十年に一度レベルの深いい話をしたのに無視かよ」


振り向くと、涼太は目を見開き、ホームの端——線路の底を凝視していた。


「……翔。これ持ってろ」


押し付けられるように涼太のカバンを渡される。


「は? おい、どこ行くんだよ……ッ!?」


彼の視線の先。

ホームから転落したと思われる、七十代後半ほどの老人が横たわっていた。足を挫いたのか、立ち上がることができずもがいている。

そして悪夢のように、遠くから近づいてくる列車のヘッドライト。

しかも、ここは「通過駅」だ。

快速電車が減速もせずに突っ込んでくる。


(助ける義理なんてない。俺一人なら、間違いなく見捨てる——死にたくないから)


けれど、目の前のバカは違った。

涼太は一秒の躊躇もなく、線路へと飛び降りたのだ。

老人の体を抱え上げようとする涼太。だが、老人の足が線路の隙間に挟まり、びくともしない。

迫る踏切の警報音。線路を伝う狂暴な振動。


(行く必要はない。見知らぬジジイのために命を張るな。……でも!)


「あぁもう! くそっ!!」


思考より先に、身体が動いていた。

背負っていたカバンを投げ捨て、俺もまた線路へと跳び下りていた。

親友を、見殺しになんてできるわけがない。


「翔! こいつの靴が挟まって抜けねぇ!」


「脱がせろバカ! 足じゃなくて靴だろ!!」


「——あ! その手があったか!」


焦りすぎた涼太の手から靴を脱がせ、老人の体をホームの上へ押し上げる。

居合わせた乗客たちが、悲鳴を上げながら老人を引き揚げてくれた。


「やべぇ! 電車来てるぞ!!」


巨大な鉄の塊が、殺意を孕んだ速度で迫ってくる。

駅の構造上、下からの足場(押し上げ)なしで二人が同時にホームへ這い上がる時間はない。

どちらかが犠牲になり、どちらかを押し上げるしかない。

本音を言えば、僕が先に上がりたい。死にたくない。

けれど——俺は、カッコをつけることにした。


「お、お先……どうぞ……ッ!」


「よし、行くぞ!」


土壇場の判断。涼太は迷わず僕の肩を足場にして跳んだ。

上の乗客の手を借り、一瞬でホームへと引き上げられる涼太。

成功だ。


……だけど。


(あ、これ……間に合わないわ)


視界の全てが、電車の眩いライトで白く染まる。

風圧が肌を裂く。死の恐怖が、一秒遅れて脳味噌を焼き切るように襲いかかる。


——ああ、最後におふくろに「ありがとう」って言っておけばよかったな。


——最後に、あのバカ三人でパフェ、食いたかったな。


諦めが全身を支配したその瞬間。


「翔っっっっっ!!!!」


上から、血を吐くような叫びと共に、手が伸びてきた。

涼太だ。半ば身を乗り出し、必死に手を伸ばしている。


(……そうだ、まだ終わってねぇ!)


諦めを蹴り飛ばし、僕は全筋力を込めて跳躍した。空中でその手を掴む。


「涼太ぁぁぁっ!!」


引き上げられる感覚。身体が浮く。行ける、助かる——!


「涼——」


——ガゴンッッ!!


世界が、へしゃげた。

鈍く、重く、骨が砕け、肉が爆ぜる不快な衝撃。

思考を挟む余地すらない。

間に合わなかったのだ。最初から、間に合うはずなんてなかったのだ。


「しょ……う……?」


遠くなる親友の声。

「俺、死ぬのかな」なんてドラマチックな感想を抱く暇すらない。

俺の意識は、冷たく、深い闇の底へと脱落していった。

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