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第四話 南朝の武士

山々が若葉に染まり始める頃



谷を渡る風はまだ少し冷たく


それでも桜だけは、変わらぬ春を告げていた




戦乱の世。




国と国が争い、昨日の味方が今日には敵となる


人の命は、花びらよりも軽い時代だった。




一人の若い武士が、山道を歩いていた


腰には刀


背には槍


明日には戦へ向かう身である




吉野山如意輪寺に向かう途中、小さな社のそばに一本の桜があった



その木の下で、一人の少女が待っていた


武士の娘だった


「父上」



少女は駆け寄る




武士は優しく抱き上げた


「待たせたな」


少女は小さな手を広げる


「見て」


掌には、桜の花びらが一枚



「今年も咲いたよ」



武士は微笑んだ



「ああ、美しいな」


娘は真っ直ぐ父を見つめる



「また来年も、一緒に見ようね」



武士の笑顔が、ほんの少し曇る



それでも力強く頷いた


「約束だ」



娘は嬉しそうに笑った


「約束!」



その笑顔を、武士は胸に刻み込んだ


翌朝



出陣の時が来た。


妻が鎧の紐を結ぶ


何も言わない


武士も何も言わない


長く連れ添った夫婦には、言葉はいらなかった



妻は最後に、小さなお守りを差し出した


「どうか……」


武士は静かに受け取る



「必ず帰る」


短い言葉だった



だが、その一言には命より重い誓いが込められていた






戦は激しかった


怒号


鬨の声


鉄と鉄がぶつかる音


仲間が倒れていく


敵もまた、誰かの父であり、誰かの夫だった




武士は血に染まりながらも剣を振るった


ふと、桜が脳裏に浮かぶ



娘の笑顔 




「また来年」


その言葉だけが、身体を動かしていた




だが、その願いは叶わなかった






戦の終わり


武士は深い傷を負い、山あいの小道へ倒れていた


空を見上げる。



風に乗って、一枚の桜の花びらが舞ってくる


まだ山の桜は咲いているのだ



武士は震える手を伸ばし、その花びらを掌に受けた。



「すまぬ……。」



娘との約束を守れなかった


その悔しさだけが胸に残る



静かに目を閉じようとした、その時





足音がした


 


一人の老人が立っていた


古びた笠をかぶり、杖をついている。




老人は何も言わず、武士の隣へ腰を下ろした


武士はかすれた声で尋ねる。


「……あなたは、誰だ…」



老人は桜を見上げたまま答えた


「春を見ておる者じゃ」


それだけだった。




武士は苦しく笑う


「約束を……守れなんだ…」



老人は静かに首を振る


「約束は、果たすことだけがすべてではない」



武士は目を閉じる



老人は続けた


「約束は人を生かす」


「お前は最後まで帰ろうとしたその想いは、娘の春になる」



武士の頬を一筋の涙が伝った



その涙は、血よりも温かかった


「そう……か」




それが最後の言葉だった。






風が吹く


桜が静かに舞う


老人は武士の胸元に、一枚の花びらをそっと置いた


「よく、生きた」


その声は風に溶け、山へ消えていった。





翌年


娘は母に手を引かれ、あの桜の木の下へ来ていた


父はいない


それでも少女は空を見上げ 微笑んだ



「父上、今年も咲いたよ」


その声に応えるように、花びらがふわりと肩へ舞い降りる




少女は嬉しそうに、それを大切に両手で包んだ




少し離れた場所で、老人は静かに頷く



そして誰にも気付かれることなく



春の山へ姿を消した



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