第8話 あなたたち頑丈すぎない?
竜と遭遇してから、三日が経った。
チョコレートは安宿の寝台で目を覚まし、そのまま大きく伸びをした。肩が鳴る。背中も鳴る。どこも痛くない。
「よし」
顔を洗って、寝癖で跳ねた、焦げ茶色とミルク色の髪を後ろでまとめる。
一階へ降りると、宿の主人が鉄板の前にいた。
「朝、食べます。あと、スコーンもう一個ください」
「はいよ」
出てきたのは、手のひらほどの薄いパンケーキが二枚と、割ると湯気の立つスコーン、それに温めたミルクだった。パンケーキは甘さ控えめで、端がかりっと焼けている。
二口目を食べたところで、主人がこちらを見た。
「あんた、こないだぼろぼろで帰ってこなかったかい?」
「帰ってきました」
「もういいのかい」
「すっかり治りました」
主人は安心したように鉄板に戻った。
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請負人協会の扉を開く。
依頼票の壁の、東の斜面林方面の札は、まだ一枚も戻っていない。
チョコレートはカウンターへ向かった。
「おはようございます」
「チョコレートさん、おはようございます」
フィナンシェが顔を上げる。
「キャンディ、今日はまだ休みですか?」
「その予定だと聞いています。今朝はまだいらしていませんね」
「そっか。じゃあ、一人で受けられるやつ、何かありますか?」
フィナンシェは手元の束から一枚を抜いた。
「《東住宅区・屋根上の飛散物回収》。昨日の強風で飛んだ洗濯物や籠が、屋根や雨樋に引っかかっているそうです。回収して持ち主へ返し、署名をもらえば完了です」
「屋根、登っていいんですか」
「許可は取ってあります。瓦を割った場合は報酬から引かれます」
「割りません」
「お願いします」
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仕事自体は難しくなかった。
屋根に登るのはすぐだし、引っかかっている物を外すのも手間ではない。ただ、持ち主の分からない帽子一つのために戸を六軒叩くことになって、思ったより時間がかかった。
最後の署名をもらったとき、日はもう真上を過ぎていた。
昼を少し過ぎたころ、チョコレートは協会へ戻った。
扉を開けて、カウンターへ向かいかけたところで、足が止まった。
ロビーの長椅子の前に、キャンディが立っていた。
いつものロッドを背負って立っている。
隣にはプリンがいた。
「キャンディ?」
キャンディがこちらを向いた。
「あ、チョコレートさん。お疲れさまです」
「え、もういいの?」
「はい。もう治りました」
キャンディは、左腕をぐるりと回してみせた。肩の上まで、普通に上がる。
「痛くないの?」
「少し突っ張る感じはあります。跡は残ってますけど、塞がりました」
「じゃあ大丈夫そう」
「大丈夫です」
チョコレートは、自分でも分かるくらい顔が緩んだ。
横で、プリンが二人を交互に見ていた。
「……ちょっと待って」
静かな声だった。
「三日前だよね?」
「三日前ですね」
キャンディが答えた。
「肩に竜の鱗が刺さってたんだよね?」
「刺さってました」
「で、もう治ったの?」
「はい」
プリンは口を閉じた。キャンディの肩を見て、それから視線を横へずらした。
チョコレートと目が合った。
「そっちは、三日前に寝台から起き上がれなかったって聞いたけど」
「まあ」
「今日は?」
「仕事してきました。屋根の上の回収」
「……屋根」
プリンは、チョコレートを見て、キャンディを見て、もう一度チョコレートを見た。
「君たち、頑丈すぎない?」
「そうですか?」
二人の声が重なった。
プリンは、眉間を指で押さえた。
「私、先月、階段で足をひねった人の買い物代行を二週間やったんだけど」
「二週間」
「二週間。その人、まだ杖ついてる」
「大変でしたね」
「……普通はね、三日で戻ってこないの」
「でも、寝たら治りましたよ」
チョコレートが言った。
プリンは長く息を吐いた。
「……まあ、元気ならいいか」
プリンは腰の帳面を開いた。
「私もそろそろ行かないと」
「お仕事ですか?」
「うん。南市場の雨樋が三件。それから、逃げた山羊を探さないと」
「山羊?」
「そう。なんか毎週逃げるんだって」
プリンは帳面を閉じた。
「じゃ、またね。二人とも無理しないように」
「はーい」
「お気をつけて」
プリンは片手を上げて、扉の向こうへ出ていった。
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報告を済ませると、フィナンシェは署名を一つずつ確かめてから、報酬を出した。
硬貨を受け取ったチョコレートが財布をしまったところで、フィナンシェが言った。
「ちょうどお二人ともいらっしゃるので、少しお時間いいですか」
チョコレートとキャンディは顔を見合わせた。
「大丈夫です」
フィナンシェは書類を一枚カウンターへ置いた。
「先に申し上げておきます。今日は少し、余計なことまでお話しします」
「余計なこと?」
「普段なら、必要な連絡だけで済ませるところです」
フィナンシェは書類の端を揃えた。
「三日前の件について、西支部としての確認が終わりました。東支部の調査でも、斜面林の奥に竜の痕跡があったことが確かめられています。西街道の丘でお二人が見た跡とも特徴が近く、同じ個体が移動してきた可能性が高いそうです」
キャンディの背筋が、少しだけ伸びた。
「お二人の判断は、正しかったと考えています」
いつもの落ち着いた声だった。
「異変に気づいた時点で作業を止めた。討伐ではなく、作業員の方の避難を優先した。チョコレートさんが竜を引きつけている間に、キャンディさんが四名を安全な場所まで下ろして、人数を確認した。最後の一撃も、倒すためではなく離脱するためだった。そして、お二人とも戻って、その足で報告に来た」
フィナンシェは一度、言葉を切った。
「あの状況で四名を全員避難させて、お二人も帰還した。素晴らしい判断でした」
チョコレートは、瞬きをした。
「正直に申し上げると、仮登録から一週間ほどの方々に期待する水準ではありません」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……めちゃくちゃ褒められてません?」
キャンディが聞く。
「褒めています」
フィナンシェは表情を変えずに言った。
「それから、仮登録全体の記録についてですが」
フィナンシェは書類に目を落とす。
「現在のところ、問題はありません。むしろ一週間としては、かなり進んでいます。このまま続けていただければ、本登録を心配する段階ではないと思います」
「本登録すると、何が変わるんですか」
チョコレートが聞いた。
「いくつかあります」
フィナンシェは指を折った。
「まず、単独で受けられる依頼の制限がかなり緩くなります。今のように、お一人だと街中の軽作業だけ、ということはなくなります。実績を積めば、得意な分野に合わせた依頼も回せるようになります。仮登録者だから二人以上、という条件のつく案件も減ります」
そこで、フィナンシェは二人を見た。
「それと、本登録後は、お二人が組み続ける必要もありません」
チョコレートは、キャンディを見た。
キャンディも、チョコレートを見ていた。
三十日だけ。仮登録が終わるまで。最初の日に、そう言って組んだ。
フィナンシェは書類を畳んだ。
「どうされるかは、お二人で決めていただければ。余計なことは以上です」




