第7話 この竜の鱗はお守りにします
請負人協会の扉はいつもより重かった。
チョコレートは肩で押すようにしてそれを開けた。
東門から、ほとんど休まずに歩いてきた。立てるようになって、それからはずっと急いできた。
カウンターの向こうで、フィナンシェが顔を上げた。
いつものように「お疲れさまです」と言う口が、途中で止まった。
フィナンシェは、カウンターの端を回って出てきた。足音が速い。
「どうしました」
キャンディが、チョコレートの隣で口を開いた。
一度、息を吸い直してから。
「……竜が、出ました」
小さな声だった。
フィナンシェの目が、キャンディの左肩で止まった。裂けた服の間から、土色の硬いものが突き出ている。まわりの布は、赤黒く固まっていた。
それから、チョコレートを見た。裂けた裾と、土で汚れた頬と、扉の枠から離せないでいる手を。
「場所は」
「東の斜面林です。野いちごの」
「分かりました」
フィナンシェは振り返った。
「メレンゲさん」
奥の棚の前で書類を束ねていた小柄な職員が、顔を上げた。
「東の斜面林方面の依頼票を、すべて下げてください。出ている分の控えも出して、私の机へ。終わったら、そのまま東支部へ。東の斜面林で竜が出たと伝えてください」
「はい」
メレンゲは束を置いて、依頼票の壁へ向かった。
フィナンシェは、二人へ向き直った。
「話は奥で聞きます。歩けますか」
「歩けます」
キャンディが答えた。チョコレートは、頷くだけにした。
「こちらへ」
フィナンシェに促されて、二人はロビー奥の休憩室へ入った。
いくつかある椅子の一つに、大柄な男性が座っていた。
「モンブランさん。すみません、使わせてください」
「ああ」
モンブランは二人を見た。キャンディの肩を見て、チョコレートの足元を見た。
それから、椅子を引いて立ち上がり、寝台の上に畳んであった毛布を広げた。
「横になれ」
チョコレートは、何か言おうとした。
言う前に、膝が先に寝台の縁へ落ちていた。
そのまま、横になった。天井が見えた。
キャンディは長椅子の端に座った。
「背を壁に預けて、肩を下にしないほうがいい」
モンブランが言った。
「……はい」
キャンディは、言われた通りに壁へ寄りかかった。長く、息を吐いた。
フィナンシェが救護箱を卓に置き、流しのそばから水差しを取った。水を二杯注いで、一杯をキャンディの手に、もう一杯を寝台の脇に置いた。
「飲めるときに飲んでください。治療をしながらお話を伺います」
チョコレートは、腕を伸ばして杯を取った。
一息に飲まず、何度かに分けて水を飲んだ。
フィナンシェが、キャンディの上着の留め具を外し、傷の周りを露出させながら聞いた。
「作業員の方は、何人でしたか」
「四人です」
「全員、避難できましたか」
「できました。畑まで下ろして、数えました。帰りは東門まで一緒でした」
「負傷した方は」
「一人、転んで膝を擦りむいています。ほかは、いません」
フィナンシェの手は止まらなかった。布を除けて、傷のまわりを湿らせた布で拭っていく。
「竜は、どちらから」
「斜面の上です。林の奥から、木を倒して出てきました」
「最初に気づいたのは」
「チョコレートさんです」
「鳥が、いなくなって」
チョコレートは言った。
「……そのあと、竜の匂いがしました」
「分かりました」
フィナンシェは、それだけで次へ進んだ。
「それから、お二人はどう動きましたか」
「私が作業員の方を下へ逃がしました。その間、チョコレートさんが竜を引きつけていました」
窓際で、モンブランがわずかに顔を向けた。
「ちょっといいか? 竜の大きさと色を教えてくれ」
低い声だった。チョコレートは、少し考えた。
「頭だけで、私くらい。色は土の色でした」
「翼はあったか?」
「翼はなかったです」
モンブランは短く頷いた。
「どれくらいの間竜を引き付けていたんだ?」
チョコレートは答えられなかった。
代わりに、キャンディが答えた。
「四人を畑まで下ろして、人数を数えて、戻るまでです。おそらく、二十分くらいです。戻った時も、チョコレートさんはまだ避けていました」
モンブランは、何も言わなかった。
フィナンシェが、手元の紙に短く書きつけた。
「それで、どう離脱しましたか」
キャンディは少し黙った。言葉を選んでいるのが、チョコレートにも分かった。
「私が横から竜の頭を叩いて、竜がチョコレートさんの方へ頭を下げました。そこでチョコレートさんが、眼を杭で刺しました」
モンブランが、キャンディを見た。
キャンディは少し間をおいて続けた。
「そのあと、チョコレートさんが動けなくなったので、私が背負って逃げました。竜は少しこちらを見て、林の奥へ戻っていきました」
「追ってはこなかったんだな」
モンブランが聞いた。
「こなかったです。首を低くして、しばらく見て、それからまた奥へ去っていきました」
フィナンシェが、書きつけた紙を読み返した。
「最後に、竜の眼を刺して、その隙に離脱した、と」
キャンディが、壁にもたれたまま頷いた。
「はい」
モンブランは卓の上の冷めた茶に目を落として、しばらく黙っていた。
チョコレートは、天井を見たまま言った。
「こっちも早く逃げたかったんですけどね。全然、隙くれなくて」
「四人逃がして、二人とも帰った。それでいい」
モンブランが言った。
チョコレートは、何も返さなかった。
「抜きます。痛みますよ」
フィナンシェが言った。
「はい」
フィナンシェが布を当て、そのまま欠片を引き抜いた。
キャンディが息を止めた。声は出さなかった。長椅子の縁を掴んだ指が、白くなっていた。
血が、少し遅れて溢れた。フィナンシェの手が、素早く布を重ねて押さえる。
フィナンシェは抜いた欠片をモンブランへ渡した。
指の長さほどの、薄く硬い板だった。縁が割れて尖っている。表面に、細い筋が何本も走っていた。
「竜の鱗だ」
チョコレートは、首だけ動かしてそれを見た。
「竜の尾にぶつかった時に刺さりました」
キャンディが説明する。
モンブランは、鱗を卓の上の布に置いた。
「素材にするにも一枚じゃなにも作れないな」
「持って帰ります」
キャンディが言った。
「お守りにします」
「ああ、そうするといい」
モンブランは微笑んだ。
フィナンシェが、包帯を巻いていく。手際がよかった。
「傷は深くありません。数日は、肩を上げる作業は避けてください」
「はい」
「チョコレートさんは」
「……疲れてる、だけです」
フィナンシェは、寝台の方を少しの間見ていた。それから、紙に何か書き足した。
「依頼は未完了ですが、今回は中止として処理します。依頼元への説明は、協会からします。作業員の方が全員無事だったことも、合わせて伝えます」
キャンディが、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
「こちらの仕事です」
フィナンシェが、救護箱を閉じた。
「しばらく、ここで休んでいってください。起き上がれるようになってからで構いません」
チョコレートは、目を閉じかけていた。
隣で、キャンディの呼吸が聞こえる。浅くて、少し速い。でも、ちゃんと続いている。
それだけ確かめて、チョコレートはまた天井を見た。
モンブランが、椅子を戻した。扉の方へ向かいかけて、足を止めた。
振り返って、二人を見た。
包帯を巻かれた肩。毛布から出た土のついた手。
「よく帰った」
低い声だった。
モンブランは扉を開けて、出ていった。
扉が閉まる音は、小さかった。
チョコレートは、しばらくその扉を見ていた。
それから、目を閉じた。
長椅子の方で、キャンディが、ゆっくりと息を吐いた。




