↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チョコレートはお菓子な世界の仕様を知りたい ~一万年前の文明が残したのは、便利なインフラと厄介な災害でした~  作者: 木陰よもぎ
新人請負人編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/27

第5話 野いちご採り

翌朝。


請負人協会の壁の前で、キャンディが一枚の依頼票を指さした。


「これにしましょう」


《東の斜面林・野いちご採取補助》


チョコレートは票を覗き込んだ。


依頼元は王都の菓子屋。作業員は向こうで出す。請負人は斜面側の採取と、モンスターが出た場合の追い払い。報酬は、昨日の四分の一もない。


「安っ。昨日の四分の一もないじゃん」

「今日は軽めのお仕事がいいって言ってましたよね」

「そうだけど、もうちょっといいのない?」

「採取のお手伝いだけですし、ちょうどいいと思いますよ」

「……まあ、昨日は結構疲れたしね。これにしよっか」


受付でフィナンシェが印を押した。


「採取補助ですね。作業員の方の指示に従ってください。あくまで補助ですから」


---


斜面林は、東門から畑の間を抜けた先にあった。


若い木が多い。陽が下まで届いて、足元の草が明るい。斜面の下の方に、籠を背負った人たちが四人、もう集まっていた。


一番年上らしい女性が、腰を伸ばしてこちらへ手を振った。


「請負人さん? 助かるよ。上の方がね、いい実が残ってるんだけど、足場が悪くて」

「上、行ってきます」


チョコレートは籠を受け取った。思ったより軽い。


「熟れてるのだけ。青いのは残して。潰したら売り物にならないからね」

「潰さないようにします」


キャンディが先に答えた。


斜面の上側は、確かに足場が悪かった。根が浮いていて、土が柔らかい。チョコレートは木の根に片足を掛けて、枝の奥の赤い粒へ手を伸ばした。


ヘタの少し上をつまみ、そっと引く。


赤い実が形を崩さずに取れた。チョコレートは籠の底へ、そっと置いた。


「よし」

「この前の採取が役に立ってますね」

「でしょ? あの葉っぱ、難しかったもん」

「最初は溶かしてましたね」

「最初だけでしょ」


チョコレートは次の実へ手を伸ばした。


ところが、枝から引くときに指が滑り、一粒潰してしまった。


「……あ」


チョコレートは潰れた実を掌に載せ、斜面の下へ声をかけた。


「これ、潰しちゃった。どうすればいいですかー?」

「潰れたのは売れないからね、食べちゃっていいよ」


女性が笑って手を振った。


チョコレートは実を口に入れた。


「……酸っぱ!」

「熟れてても酸っぱいんですね」


下から、作業員たちの話し声が聞こえる。四人とも、楽しそうに採取を続けていた。


昼前には、籠が半分ほど埋まった。


「これなら採取も悪くないね」

「昨日は面倒だって言ってましたよね」

「たまにならいいんだって」


チョコレートは次の枝へ手を伸ばした。


指先が止まった。


静かだった。


さっきまで頭の上で鳴いていた鳥の声がない。枝の間を走っていた小さな影もいない。


斜面の下で、作業員たちの話し声だけが続いている。それが妙に大きく聞こえた。


奥の藪が揺れた。


兎が三匹、チョコレートの足元を抜けて斜面を駆け下りていく。人を避けもしない。その後ろから鳥が一斉に飛び立った。全部、同じ方向へ。


風が逆から吹いた。


草といちごの甘い匂い。


その下に、湿った土と、鉄に近い匂い。


チョコレートは籠を置いた。


「キャンディ」

「はい」


声が低かったからか、キャンディはすぐに顔を上げた。


「竜」


キャンディの手から、いちごが一粒落ちた。


「どこですか」

「上。近い」


林の奥で、木が鳴った。


幹が、ゆっくり押し曲げられる音が少しずつこちらへ寄ってくる。


「下の人たち、逃がして。東門の方。畑のとこまで」

「チョコレートさんは?」

「私が囮(おとり)になる」


キャンディが、チョコレートの顔を見た。


「倒さないから。見させとくだけ」


一拍。


「……分かりました。すぐ戻ります」


キャンディは籠を置いたまま、斜面を滑るように下りていった。


「皆さん、籠を置いてください! 下へ、畑の方へ走ってください!」


普段より、ずっと大きな声だった。


木が、倒れた。


斜面の上、二十歩ほど先。若い木が三本まとめて横へ寝て、その間から頭が出てきた。


大きい。


頭だけで、チョコレートの背丈くらいある。土と同じ色の鱗が、首から肩へびっしり重なっている。前脚が倒れた幹を踏むと、幹が沈んで割れた。


眼が、チョコレートを見た。


チョコレートは右手に黒い剣を出した。


斜面を横へ走る。作業員たちがいる方と逆へ。


「こっち!」


剣の腹で、倒れた木の幹を叩いた。乾いた音がする。


竜の首が、ついてきた。


来ると思った時には、もう前脚が振られていた。


チョコレートは跳んだ。大きく、横へ。爪がさっきまでいた場所の地面を抉った。土と根がまとめて宙に舞う。


着地で足が滑った。膝をつく。手をついて、転がって起きる。


頭の上を尾が通った。


遅れて風が来て、髪がばさっと顔にかかる。後ろの木が、幹の途中から折れていた。


「……っ、はや」


身体が勝手に下がる。下がりすぎた。背中に木が当たる。


爪。


横へ跳ぶ。今度は転ばなかった。でも余裕はない。次の爪がすぐに来る。また跳ぶ。


大きく避けている。避けすぎている。分かっているけど、近くを通るのが怖くて、身体が離れたがる。


四度目の爪を避けた時、竜の肩が先に動くのが見えた。


右肩が沈む。そのあとで、右の前脚が来る。


五度目。右肩が沈んだ。


チョコレートは、左へ跳んだ。さっきより少し早く。爪はさっきより少し遠くを通った。


竜が頭を低くした。後ろ脚に体重が乗る。


チョコレートは斜め前へ出た。竜の頭が、チョコレートがいた場所を突き抜けて、後ろの木に当たる。木が根ごと傾いた。


尾の前には、腰がわずかに逆へ捻れる。


チョコレートはしゃがんだ。


尾が、頭の上を通った。さっきより低く。でも当たらない。


斜面の下で、キャンディの声が響く。


「そっちじゃないです、左へ! 木のない方へ!」


折れた枝が一本、斜面を転がり落ちていく。赤い縞の壁が一瞬だけ立って、それを弾いた。


「籠はいいです! 置いてください!」


誰かが転んだ音がした。


「大丈夫、立てますか。私の腕に掴まって――はい、そのまま」


チョコレートにもその声が聞こえた。


右肩。


半歩、左。


爪が、服の裾をかすめた。


踏み込みの前に、竜は必ず一度、首を引く。引いた。斜め前へ一歩。牙が背中の後ろで噛み合う音がした。


尾。腰が捻れる。しゃがむ。今度は膝を曲げるだけでいい。


さっきまで、あんなに跳んでいたのが嘘みたいだった。


跳ばなくていい。


爪が通る場所は、爪一本分だけ空けておけばいい。


竜が、低く唸った。


喉の奥から、地面が震えるような音が出る。前脚が二度続けて振られた。右、左。一度目を半歩で抜けて、二度目を上体だけで抜ける。


土の匂い。鉄の匂い。自分の息の音。


竜の眼が、さっきより近い。


苛立っている、と思った。当たらないことに。


当たらないまま、竜はまた前脚を振る。さっきより速い。でも、肩は先に沈む。


チョコレートは、もうそれしか見ていなかった。


---


斜面の下、畑の縁。


「一、二、三……四人。全員います」


作業員たちは、畑の畦(あぜ)に座り込んでいた。息が荒い。少年が膝を擦りむいている。年上の女性が、少年の肩を抱いていた。


「ここから動かないでください。もっと離れたくなったら、東門の方へ。絶対に林へは戻らないでください」

「あ、あんた、上のもう一人は……」

「迎えに行きます」


キャンディはロッドを握り直して、斜面を駆け上がった。


---


林の上の方が、ひどいことになっていた。


木が何本も倒れている。地面が爪の形に抉れて、根がむき出しになっている。


その真ん中に、チョコレートがいた。


竜の前脚が振られる。チョコレートの身体が、ほんの少しだけずれる。爪がその横を通る。


また振られる。また、少しだけずれる。


キャンディは、ロッドを握ったまま声を張った。


「チョコレートさん! 全員、逃げました!」


返事はなかった。


チョコレートは、竜だけを見ていた。


竜もまた、キャンディの方を見なかった。


チョコレートしか、見ていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。