第17話 私が図鑑の著者ですわ
三日後。
朝、協会へ入ると、チョコレートはロビーの奥の本棚から、分厚いモンスター図鑑を一冊抜いた。
窓際の卓へ持っていき、表紙をめくる。
最初に、短い前書きがあった。
――本書は、アマンド大陸で確認されたモンスターについて、各地の調査記録と請負人からの報告をもとにまとめたものである。大陸外の生物については、本書では扱わない。
その下に、編者の菓名が小さく載っていた。
チョコレートはそのままページをめくった。
――ゼリースライム。大陸各地で広く確認される小型モンスター。湿った場所を好み、刺激を受けると身体を縮める。
図鑑の絵を指でなぞる。実物の方がもう少し潰れている気がする。
次のページには、飴色の霧をまとった細長い生き物が描かれていた。
――キャンディミスト。飴色の霧をまとって移動する小型モンスター。霧の濃い地域で確認される。
「……こんなのいるんだ」
協会の扉が開いた。
「おはようございます。お待たせしました」
キャンディだった。
「私も今来たところだよ」
チョコレートは図鑑を本棚に戻す。
二階で、扉の開く音がした。
チョコレートが階段の方を見ると、支部長室からプラリネが出てきた。
扉を閉めて、階段を下りてくる。
「……また来てる」
「おはようございます。お二人とも、ちょうどよかった」
プラリネは階段を降りると卓の方へやってきた。書類鞄から地図を一枚出して、卓に広げる。
王都の東側だった。東門から畑が続き、その先に斜面林が描かれている。
「お二人が竜に会ったのは、この辺りですよね」
「はい」
「あれから、東の斜面林の依頼はほとんど止まったままです。林の中だけならまだいいんですが、その周りでも、少しずつ困る人が出てきているようでして」
プラリネは地図の上で、指をゆっくり一周させた。
「それで、少し調べてみてほしいんです」
キャンディが、膝の上で手を握った。
「竜を、ですか」
「今回は、その周りをです。何が分かっていて、東で何が起きているのか」
「何を調べるかは?」
「そこから決めてもらいます。報酬は日当で。フィナンシェさんにはもう話を通してありますので」
受付の方で、フィナンシェが小さく息をついた。
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請負人協会の東支部は、中央水路から東へしばらく歩いたところにあった。住宅区へ入る少し手前だ。
西支部より建物が大きく、さらに裏手が広く、荷車が何台も停まっていた。
中に入ると、受付には若い女性がいた。
「こんにちはー。今日はどうされました?」
声がやわらかい。
「西支部のチョコレートです」
「キャンディです」
「ワッフルです。よろしくお願いしますね」
ワッフルはにこっと笑った。
チョコレートは受付に少し身を寄せた。
「東の斜面林について、調べたいことがあるんですが。こっちで調べた時の記録って見られますか?」
「ああ、竜の件ですね」
ワッフルは少し考えるように首を傾けた。
「残ってますよ。ちょっと待っててくださいね」
受付の奥へ引っ込み、しばらくして何冊かの綴じた書類を抱えて戻ってきた。
「たぶん、この辺です。現地へ行った人に聞きたいなら、お昼くらいの方が会いやすいと思いますよ」
礼を言うと、ワッフルが持ってきてくれた記録を卓へ運んだ。
「私、現地へ行った人に話を聞いてきますね」
「じゃあ私、こっち見る」
「お昼くらいに戻ります」
「うん。なんか食べよ」
キャンディを見送って、チョコレートは記録を開いた。
調査は細かかった。
足跡の大きさと向き。爪痕の高さ。倒木。拾われた鱗。糞らしきもの。見つけた場所まで、地図に印がついている。
地図帳を開き、位置を追う。地理図鑑で斜面や水場を確かめ、生態図鑑も横に置いた。
東支部にも、朝読んだのと同じ図鑑があった。
卓の上に四冊を広げて、記録と地図を行ったり来たりする。
最初は、西街道近くの丘。
四日後、東の斜面林で自分たちが遭遇した。
その三日後、東支部の調査でも痕跡が見つかっている。
そこから先も、記録は続いていた。
東支部は何度か斜面林へ入り、足跡や食痕を追っている。
数日前にも、新しい痕跡が見つかっていた。
場所は、最初に遭遇したところより少し東。
さらに奥へ入った、林と丘の境目あたり。
竜そのものを遠くから確認した記録もある。
チョコレートは地図を見る。
「……まだいるんだ」
西で痕跡を見つけてから、一か月近い。
それなのに、この竜はまだ王都の東側にいる。
チョコレートは生態図鑑へ目を移した。
「……こういうの、これ書いた人ならもっと分かるかな」
最初のページへ戻る。
《スアマ》
シフォン王国 王立研究院 生態研究部。
「……研究院じゃん」
チョコレートは記録を抱えて受付へ戻った。
「ワッフルさん。これ、ちょっと借りてもいいですか?」
「外に持っていきます?」
「研究院。知ってる人に見せたいです」
ワッフルは記録を見て、少し首を傾けた。
「その資料であれば、見せても大丈夫ですよお。今日中に戻せます?」
「はい」
「じゃあ大丈夫ですよ。なくさないでくださいねえ」
「ありがとうございます。あと、キャンディが戻ってきたら、研究院に行ったって伝えてもらっていいですか?」
「はい。伝えておきますね」
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王立研究院の受付で、ジャムに会えるか尋ねた。
しばらく待つと、廊下の奥からジャムが出てきた。
「チョコレートさん。今日はお一人ですか?」
「はい。忙しいところ急にすみません」
「いえ。どうしました?」
チョコレートは生態図鑑を開いた。
「《スアマ》さんって、ご存じですか?」
「ああ。知ってますよ」
「竜のことで聞きたいことがあって」
チョコレートはジャムに東支部の記録を見せる。
「これ、スアマさんに聞いた方がいいですね」
「会えますか?」
「今日はいますよ。たしか今、生態研究部に」
ジャムが廊下の奥を見る。
「案内します」
「いいんですか?」
「ふふ。行っちゃいましょう」
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ジャムについて廊下を歩き、別棟へ渡った。
「スアマさん、いますか?」
ジャムが開いた部屋の奥で、白髪の女性が顔を上げた。
小柄だった。
髪はきれいにまとめられている。背筋も伸びていて、着ているものも上品だ。
ただし、肌はよく日に焼けていた。
机の脇には泥のついた長靴が置かれている。
「まあ、ジャムさん。どうされましたの?」
「お客さんです。東の竜のことで」
スアマの視線が、すぐにチョコレートへ移った。
「斜面林の個体ですわね」
「知ってるんですか?」
「噂くらいは」
チョコレートは抱えていた記録を机に置いた。
「東支部で借りてきました」
「あら、現地の記録ですの?」
スアマの目が少し見開かれた。
「それは見たいですわ」
さっきより声が弾んだ。
スアマは最初の数枚を速くめくる。
「……なるほど」
指が、東側に並んだ印を辿る。
「やっぱり、まだいますのね」
「そうみたいです」
「わたくし、てっきりもう抜けたと思っていましたわ」
チョコレートが顔を上げる。
「この種類は、広い範囲を移動しながら暮らしますの。一か所にこれほど長く留まることは珍しいですわ」
スアマは記録をもう一枚めくった。
「西から東へ来たこと自体は、特におかしくありません。でも、そのあとが変ですの」
スアマは楽しそうに笑った。
「噂だけ聞いて、東支部が場所を見失ったのかしらと思っていましたの」
ジャムが横で小さく笑う。
「東支部の方、かなり細かく記録を取ってますね」
「ええ。とても良い資料ですわ」
スアマの指が、あるページで止まった。
「片眼を失ったのは、ここですわね?」
「はい、私が潰しました」
「それから移動範囲が狭くなった、と」
「そう見えますか?」
「見えますわ。でも、まだ理由までは分かりませんの」
スアマは地図を見た。
「眼が原因なのか。それとも、別の理由でここに留まっているのか」
ジャムが記録を覗き込む。
「古い記録でも、負傷した竜の行動変化ってあまり残ってないですよね」
「ほとんどありませんわね」
スアマが答えた。
「倒した記録は多いのに、生きたままその後を追った記録は少ないんですの」
スアマはしばらく地図を眺めていた。
「足跡だけでも、歩き方が変わっているかもしれませんわ。食べた跡を見れば、狩り方にも何か出ているかもしれません」
「この記録じゃ分からない?」
「ここまで残っているだけでも十分興味深いですわ。でも、わたくしが見たいものとは少し違いますの」
「じゃあ、現地ですか?」
「ええ。できれば」
スアマの顔が明るくなった。
ジャムが笑う。
「嬉しそうですね」
「竜を見られるかもしれませんのよ?」
スアマは当然のように言った。
「今夜、眠れなくなったらどうしましょう」




