第16話 プラリネさんって嫌われてます?
「噂?」
チョコレートは眉を寄せた。
「何の噂?」
「竜に出くわして、二人とも帰ってきた新人がいる、と耳にしまして」
プラリネは、天気の話でもするような調子で言った。
「無事でよかったですね」
「……まあ、うん」
それ以上は聞いてこなかった。プラリネはもう二人から目を離して、壁の方を見ていた。
「フィナンシェさん。あれ、人気なさそうですね」
プラリネが指したのは、端の方の一枚の依頼票だった。
フィナンシェは答えず、ペンを置いた。
チョコレートは壁に近づいて、その依頼票を読んだ。
南街道で荷車が横転し、積荷の回収と運搬を頼みたいらしい。
現場までは、徒歩半日近く。積荷は木箱で二十個あまりあり、横転した荷車が道幅の大半を塞いでいるという。
報酬の欄で、目が止まった。
「これ、安くない?」
「安いですね」
プラリネはあっさり言う。
プラリネは依頼票を壁から外して、受付の前に立った。
「フィナンシェさん、少しだけ。積荷は何です?」
「……乾物と、香辛料の袋だそうです」
「行き先は」
「南の宿場の食料品の商会へ納品の予定だったと聞いています」
「なるほど。ありがとうございます」
プラリネは依頼票を丁寧に折って、書類鞄へしまった。
「ちょっとお借りしますね」
「プラリネ」
パイが低い声で呼んだが、プラリネはもう扉の方へ歩いていた。
「休ませてもらうって言ってなかった?」
チョコレートが言うと、プラリネは振り返って笑った。
「十分休みました。では、お疲れさまです」
扉が閉まった。
パイは長いため息をついて、茶杯の残りを飲み干した。フィナンシェは何も言わず、台帳に何か書き足していた。
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翌朝、二人が西支部へ入ると、窓際の卓にパイの姿はなかった。
「パイさんは?」
チョコレートが聞くと、フィナンシェは書類から顔を上げた。
「昨日の洞窟の件、依頼人さん同士で条件がまとまりまして。今日はパイさんとモンブランさんが、開通作業に出ています」
「あ、決まったんだ」
「はい。昨日の帳面も、役に立ちました」
それだけ言って、フィナンシェは書類に戻った。
「おはようございます」
声は、窓際の卓からだった。
プラリネがそこに座っていた。湯気の立つ茶杯と、書類鞄。昨日と同じ外套だ。
「……いつからいるの」
「少し前からです。どうぞ、座ってください」
二人が向かいに座ると、プラリネは折り目のついた依頼票を卓に広げた。
昨日の一枚だった。ただし、裏に紙が三枚、糊で継ぎ足されている。
チョコレートは報酬の欄を見た。
数字が書き直されていた。
「……は?」
もう一度見る。桁は変わっていない。でも頭の数字が違う。
「五倍くらいになってない?」
「だいたい五倍ですね」
キャンディが継ぎ足された紙を読み上げた。
「積荷の回収。街道を塞いでいる荷車を、道の脇まで移動。荷車の車輪と車軸は、使えるものなら回収して車屋さんへ。積荷のうち香辛料は、宿場の商会へ先に届ける。作業中、現場の安全確保」
「やること増えてるじゃん」
「増えてますね」
「でも五倍?」
チョコレートは紙をめくった。最後の一枚には、菓車の手配、とあった。
「菓車まで手配してあるの?」
「車屋さんが空いてる一台を出してくれます。御者さんと、力仕事の人も二人。横転した方を起こすのは、その人たちに任せてください」
「じゃあ私たちは」
「周りの見張りと、散らばった荷物の回収と、手が足りないところを」
チョコレートは依頼票を見下ろした。
プラリネは茶杯に口をつけた。
チョコレートは横のキャンディを見た。キャンディは紙の継ぎ目を指でなぞりながら、小さく首をかしげていた。
「依頼人さん、増えてますね。行商さんと、車屋さんと、商会さんと……宿場の方も」
「皆さん、困ってましたから」
プラリネはそれ以上言わなかった。
チョコレートは、プラリネの顔をじっと見た。
「ねえ、昨日から気になってたんだけど」
「はい」
「プラリネさんって嫌われてます?」
キャンディが小さく「チョコレートさん」と言ったが、プラリネは楽しそうに笑っただけだった。
「どうしてです?」
「パイさんもフィナンシェさんも、すごい嫌そうだったし」
「嫌われてはいませんよ。面倒な仕事を持ってくると、なぜか皆さんああいう顔をするだけです」
「それ嫌がられてるんじゃない?」
「そうとも言いますね」
受付の方で、フィナンシェのペンが一瞬止まった気がした。
「で、受けます?」
チョコレートとキャンディは顔を見合わせた。
「受ける」
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菓車は、協会の前にもう着いていた。
車輪は琥珀色の飴で、荷台には太い丸太が二本と、縄の束が積んであった。御者は日に焼けた中年の男で、若い男が二人、荷台の端に座っていた。
「私、菓車乗るの初めて」
「私もです。走っているのは何度も見ましたけど」
二人は荷台に上がった。
御者が前方の操作部に手を置いた。一瞬、何かを探るように指先が止まる。それから菓車は、低い音を立てて滑らかに動き出した。
チョコレートは、その手元を見ていた。能力を使うときと、ちょっと似ている。
朝のうちに王都を出て、昼前には現場へ着いた。道の先に、横倒しの荷車が見えた。
聞いていたより、道を塞いでいた。荷台が斜めに道を横切り、木箱が路肩の草むらまで散らばっている。手前では、宿場の方から来たらしい荷馬車が一台、立ち往生していた。
「すみません、今どかしますから!」
チョコレートが手を振ると、荷馬車の男はほっとした顔で帽子を上げた。
御者たちが丸太と縄で荷車を起こしにかかる。その間に、二人は散らばった箱を集めた。
キャンディが草むらの奥で立ち止まった。
「チョコレートさん。これ」
木箱が一つ割れていて、乾物の袋が引き裂かれていた。周りの草に、小さな足跡がいくつもある。
「何かに食べられてる?」
「たぶん、ビスケットラットです。まだ近くにいると思います」
チョコレートは草むらの先の、低い藪を見た。かさ、と音がした。
「香辛料の箱は?」
「無事です。あっちの三つ」
「じゃあそれ先に荷台に。私、こっち見とく」
藪から、丸く平たい背中が四つ、五つ、ちらちらとのぞいた。ビスケットラットは臆病だが、食べ物があるとしつこい。
チョコレートは右手に細い杭を作り、藪の手前の地面へ撃ち込んだ。ぱん、と土が跳ねる。
ラットたちは一斉に固まった。
もう一本。今度は少し奥へ。
藪の中の気配が、ばらばらと遠ざかっていった。
「追いますか?」
「荷物狙いでしょ。いなくなればいいよ。追ってる間に別のが来たら嫌だし」
キャンディはうなずいた。
その間に、横転していた荷車が起き上がった。片側の車輪が割れて、車軸も曲がっている。
「車輪は駄目だな。軸は、まあ直せる」
御者が言い、若い男二人が荷車を道の脇まで押していく。荷馬車の男が礼を言って、空いた道を通り抜けていった。
チョコレートは、割れた車輪を見下ろした。
「回収、軸だけでいいのかな」
「使えるものなら、って書いてありましたね」
「じゃあ、こっちの無事な方の車輪も外して持ってこ。車屋さん、多分欲しいでしょ」
御者が顔を上げて、にやっと笑った。
「気が利くねえ。やりますねえ」
箱を全部積み終えたのは、日が少し傾き始めたころだった。帰りに宿場へ寄り、香辛料の箱三つを商会へ降ろす。店の主人は箱を開けて中を確かめ、大きく息をついた。
「明日の分に間に合った。助かったよ」
やることは増えた。なのに、迷うことは減っていた。
受け取りの印をもらいながら、チョコレートは思った。
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西支部へ戻ったのは、夕方だった。
フィナンシェに完了の報告をして、継ぎ足された依頼票と受け取りの印を渡す。フィナンシェは一枚ずつ確かめて、受注の印の横に完了の印を押した。
「お疲れさまでした」
チョコレートは報酬を受け取って、振り返った。
窓際の卓にも、受付の脇にも、プラリネはいなかった。
「少し前に出られましたよ」
フィナンシェは、台帳から目を上げずに言った。
「どこ行ったの」
「さあ。何もおっしゃいませんでしたので」
「……変な人」
隣で、キャンディが小さく笑った。




