第14話 水車が回りません
十時前、二人は西門を出た。
チョコレートの背中の袋には、薬草の包みが三つ入っている。乾かした葉の匂いが、歩くたびに少しだけ上がってきた。
キャンディはロッドを肩に担いで、反対の手で依頼票を三枚持っていた。
「届け物、調査、採取。この順番で合ってますよね」
「合ってる。採取は帰り道で」
「はい」
キャンディは依頼票を一枚ずつ確かめてから、ポーチへしまった。
街道はなだらかに下っている。両側の畑はもう青く、ところどころに水たまりが残っていた。
チョコレートは水たまりの縁を見た。土がまだ黒い。
「昨日の夜、結構降ったね」
「かなり強かったですよね」
---
農場は、街道から脇へ入った先にあった。
柵の向こうで、年配の女性が鶏を追っていた。二人に気づくと、エプロンで手を拭きながら出てくる。
「協会の人?」
「はい。薬草のお届けです」
チョコレートが包みを渡すと、女性は一つずつ開けて匂いをかいだ。
「ああ、これこれ。助かったよ。牛が一頭お腹を壊しててね」
キャンディが受領の欄を差し出す。女性は柵の上で依頼票に名前を書いた。
「この後どっち行くの? 街に戻るの?」
「林の奥の沢です。水車小屋の調査で」
「ああ、あそこ。止まってるんだってね」
女性は林の方を指さした。
「沢沿いの道、今日はやめときな。昨日の雨でぬかるんでるから。少し上の山道から回った方が早いよ」
「山道って、林の入口から右に上がるやつですか?」
「そう。炭焼きの人が使ってる道。ちょっと登るけど、乾いてるから」
「ありがとうございます」
「水車、直りそうなら直してやってよ。うちもあそこで粉ひいてもらってるから」
チョコレートは、はい、とも、いいえ、とも言わずに笑って頭を下げた。
---
林の入口で、道が二つに分かれていた。
まっすぐ下っていく道には水が溜まり、轍の泥が光っている。右手には、斜面を上がる山道が続いていた。
「さっき農場の方が言ってた通り、右から行きましょうか」
「うん。こっちの方が歩きやすそう」
二人は山道へ入った。
山道は、登りきってしまえば平らだった。落ち葉が乾いていて、踏むと軽い音がする。左手の木々の間から、ときどき沢の白い流れが見えた。
しばらく歩くと、沢の音が二つに分かれた。
チョコレートは斜面の傾きを確かめながら傾斜が緩そうなところを選んで下りた。
---
水車小屋は、沢から少し離れた平らな場所に建っていた。
板壁の小屋に、人の背丈の倍ほどの木の水車がついている。
沢から小屋へ引いた細い水路の途中、倒木が一本斜めに横たわり水をせき止めていた。
「これ、どかせば直るんじゃない?」
キャンディは水車の方を見ていた。
「……でも、それで直るとは限らないですよね」
「なんで? 水が来てないんだから、それでしょ」
「倒木は原因かもしれません。でも、水車自体が壊れている可能性もあります」
「……それは、どかしてみないと分かんなくない?」
「それは、そうなんですけど」
キャンディは、すぐには答えなかった。依頼票を取り出して、調査の欄を指でなぞる。
「例えば、どかした途端に水が一気に流れて、水車が急に回って、どこかが割れたら、それは私たちが壊したことになります」
チョコレートは水車を見上げた。古い木だ。軸のあたりが黒ずんでいる。
「じゃあ、何もしないで『木が倒れてました』って帰るの?」
「それも、ちょっと嫌ですね」
キャンディは困ったように笑った。
二人とも、少し黙った。沢の音だけがしている。
チョコレートは倒木の幹を軽く叩いた。
「これってさ、どかしても、困ったらまた戻せるよね」
「そうですね。戻せそうです」
キャンディは水路の方へ回り込んで、倒木の先を見た。
「水の方は、一気に流さなければ大丈夫だと思います」
チョコレートは、しゃがんで水路の水に指を入れた。冷たい。
「じゃあ木。せーので上げて、水が一気に流れないようにゆっくり土手の方に回そう」
「そうしましょうか」
チョコレートが根元側、キャンディが先の方を持った。
「せーの」
持ち上がった。倒木は水を吸っていて重く、足元の泥に二人の靴が沈む。
少しずつ水路へ水が流れ始める。
「もうちょっと、右」
「はい」
倒木を土手の上へ回して、根元の向きはそのままに、水路と平行に置いた。どこに倒れていたかは、水路の縁の土に跡が残っている。
細い筋だった水が、徐々に水路いっぱいになって小屋の横へ流れていく。
二人は水車を見た。
羽根板に水が当たる。水車が、ぎし、と鳴った。
それだけだった。
水は羽根の間を抜けて、下の沢へ落ちていく。水車は少し震えたまま、止まっていた。
「……回んないじゃん」
「回りませんね」
チョコレートは水車の横へ回った。水が当たる側の羽根が、水を受けて押されている。押されているのに、動かない。
「水が足りないわけではなさそう」
「……はい、どこかで止まってる感じがします」
チョコレートは、水車の軸の根元を覆っている木箱に目をやった。
「これ外せば見えるよね」
「見えると思います」
キャンディは木箱の釘の頭を、爪で軽くつついた。
「でもこれ、抜いたら、たぶん板が割れます」
チョコレートは板の縁を見た。端が反って、釘の周りに細いひびが走っている。釘を一本抜けば、そこから裂けそうだった。
「この依頼、締切明後日だったよね」
「はい」
「急ぐ仕事じゃないなら、壊れるかもしれないとこまでは触んなくていいか」
「そう思います」
「水、止めておきますか? 回らない水車にずっと当て続けると、どこかに負担がかかりそうなので」
「うん。じゃあ、倒木戻そうか」
二人で倒木を水路へ戻す。
水はまた倒木にぶつかって土手の外へあふれ、水車へ向かう流れは細くなった。
「これなら大丈夫そうですね」
「うん」
チョコレートは、帳面を出したキャンディの横からのぞいた。
「書くこと、えーと。木が倒れて水路が塞がってた。一回どかして水を流したけど、水車は回らなかった」
「なので、水路以外にも原因があると思います」
「中を見るには覆いを外す必要がありましたが、戻せそうになかったので触ってません」
「確認が終わったあと、倒木は元の位置に戻した、と」
キャンディは書きながら、一度顔を上げた。
「一度倒木をどけて水を流したのは私たちの判断です、っていうのも書いておきますね」
---
帰りは、木の実の採取場所へ寄るため、山道へ戻らず林の縁を回った。
林の縁で依頼票にあった木の実を袋いっぱいに採取して、街へ戻った。
協会の扉を開ける。
パイは朝と同じ窓際の卓で、依頼票を何枚か眺めていた。
「おかえり。三件?」
「三件行ってきました」
チョコレートは木の実の袋を床に下ろした。
「薬草は届けた。木の実はこれ。で、水車小屋なんだけど」
キャンディが帳面を開いて、パイの前に置いた。
「倒木どけたけど、回らなかった。中で何か噛んでる可能性がある、と」
「はい」
「木箱は開けなかったんだ。なんで?」
「開けたら戻せそうになかったし、急ぎでもなかったから」
「急ぎだったら?」
「開けてたかも」
パイは帳面を最後まで読んで、閉じた。
「そっか。じゃあ、それそのまま受付に出しな。中を開けるかどうかは、持ち主が決めることだしね」
受付で三枚の依頼票を出し終えて、チョコレートは報酬の袋をポーチへしまった。
振り返ると、ロビーの壁の時計が目に入った。
針は、一時を少し回ったところだった。
チョコレートはしばらく、その針を見ていた。
窓の外は、まだ真上からの光で白い。
「……まだ昼過ぎじゃん」
隣で、キャンディも時計を見上げた。
後ろからパイの声がした。
「じゃ、とりあえずごはんにしよっか」
パイは笑った。
「午後は、もう一個だけ考えてもらおうかな」




