第10話 折り紙修行とかいう漫画みたいな修行法
請負人協会の扉を開けると、フィナンシェがカウンターの向こうで小さく手を上げた。
「お二人、今日の依頼の前に、少しだけお時間ありますか?」
チョコレートとキャンディは顔を見合わせた。
フィナンシェは奥の卓を手で示した。
窓際の席に、女性が一人座っていた。髪を無造作にまとめて、湯気の立つ茶を片手に、依頼票の控えらしき紙をめくっている。使い込まれた上着を着ていた。
「《パイ》さんです。西支部を拠点にしている、ベテランの請負人です」
「どうも。パイです」
パイは紙を置いて、軽く笑った。
「座って座って。そんなにかしこまらなくていいから」
二人はパイの向かいの席に座った。
「記録はだいたい読んだよ。二人とも強いね」
「ありがとうございます」
キャンディが答える。
「でも、君たちみたいな戦いが好きな子は、こういう基礎やっとかないとすぐ死んじゃうからねえ」
「……こういう?」
パイは上着の内側から、四つ折りの紙を一枚引っ張り出した。
「二人とも、折り紙ってやったことある?」
「なにそれ」
「私はありますよ」
「これ、もう要らない依頼票なんだけど。キャンディ、何か折ってみて」
キャンディは紙を受け取ると、端を折って余りを裂き、手早く正方形にした。
それから手のひらの上で、三角に折り、開き、また折る。
指の動きに迷いがない。
チョコレートが横から覗き込んでいるうちに、紙はどんどん細く、尖っていった。
最後にキャンディが左右の翼をそっと開くと、小さな鳥ができあがった。
「あら、鶴じゃない。上手ね」
「子どものころ、家でよく折ってたので」
「へえ。紙一枚で鳥になるんだ」
チョコレートは鶴をつまんで、ひっくり返した。どこにも糊がついていない。
「……で、これ、何をするんですか?」
「最終的には、これを能力でやってもらうから」
パイが右手の指で机の少し上の空間を指す。
空中に、薄い生地が一枚現れた。
机が透けて見えそうなくらい薄い。四辺はまっすぐで、四隅はきっちり直角で、どこを見ても厚さが同じだった。
その生地が、浮いたまま半分に折れた。
端と端がぴたりと重なる。一度開き、向きを変えてもう一度。今度は斜めに折れ、開くと、反対の斜めにも折り目が走った。
ついた折り目に沿って四隅が寄り、生地が小さなひし形に畳まれる。
そこからさらに細く折られていく。重なった何枚もの層のうち、一枚だけが持ち上がり、内側へ折り込まれた。
チョコレートの目は、途中から追いつかなくなった。
最後に、細い首の先が折れ、左右の翼がゆっくりと開いた。
空中に、生地の鶴が浮いていた。
「何それ!?」
チョコレートは驚く。
キャンディは口を開けたまま、自分の手の中の紙の鶴と、空中の鶴を見比べていた。
「……意味が分からないです」
「最終的にはこれね」
パイは本当に何でもないことのように言って、鶴をほどくように消した。
「まあ、いきなり鶴は無理だから。まず紙を作るところから。じゃあ、正方形作って」
「……四角?」
「薄いやつ。四辺と四隅を揃えて、厚さも全部同じにして。手のひらくらいの大きさでいいよ」
チョコレートは両手を胸の前に出した。
目の前に、黒い板が浮かんだ。
「……あれ」
一辺だけ長かった。長方形というほどではないが、正方形と言い張るには無理がある。
短い方を伸ばす。伸ばしたところだけ、妙に薄くなった。厚みを戻すと、今度は角が丸くなる。角を立てようとすると、反対側の辺が内側へ曲がった。
「ねえ、これ、なんで逃げるの」
「逃げてないよ。チョコレートが押してるだけ」
押しているつもりはない。直したいところを直しているだけだ。
もう一度、最初から作る。
今度は四辺がだいたい揃った。ただ、全体が斜めに潰れて、菱形になっていた。
「……菱形も四角じゃない?」
「四角だね。正方形じゃないけど」
チョコレートは菱形を睨んだ。菱形は黙って浮いていた。
「……剣より難しいんだけど」
「だからやってるんだよ」
パイは楽しそうだった。
隣では、キャンディが自分の板と向き合っていた。
淡い飴色の板は、チョコレートのよりずっと四角に近い。厚さも揃っている。
「おお」
チョコレートが声を上げたところで、キャンディの板の右の辺が、ゆっくり弧を描き始めた。
「あ」
キャンディが眉を寄せて辺を戻す。戻したと思ったら、今度は下の縁がとろりと垂れた。
「……持たせておくのが、難しいですね」
「作るのと保つのは別だからね」
パイは二枚の板を見比べた。
「キャンディの方が少し綺麗だね」
「少し、ですか」
「少し」
キャンディは何か言いたそうな顔をして、結局言わなかった。
「師匠から壁の角度の練習はずいぶんさせられたんですけど」
「それが出てるよ。厚さはちゃんと揃ってる。ただ、ここまで薄くて、ここまで細かく揃えるのはやったことないでしょ」
「……ないです」
「じゃあ二人とも初心者だ」
チョコレートは自分の菱形と、さっき鶴が浮いていたあたりの空中を見比べた。
「これ、何の役に立つの?」
「大きいものを作れるのと、思った通りの形を作れるのは別だからね」
パイはチョコレートの板を指さした。
「細かく動かせるようになると、速くなるよ」
「速く?」
「今みたいに、作って、違ったら直して、ってやってる分がなくなるからね。最初から欲しい形を出せれば早いし、余計なものも作らないから疲れにくい。その分長く戦えるようになる」
「……四角作るだけで?」
「四角一枚まともに作れないのに、戦ってる最中だけ完璧にできると思う?」
チョコレートは菱形を見た。さっき直すたびに、どこか別のところが崩れた。
「それは無理そう」
「でしょ」
パイは笑った。
「あと、疲れてても同じのが作れるか。疲れたらできなくなる技術は、仕事じゃ当てにできないからね」
キャンディが、垂れた板の縁を見ていた。
「……疲れて、形が崩れて、それでも相手が強かったら」
「そういうこと。そこで、宿題」
パイは指を一本立てた。
「薄い正方形を作って、そのまま保つ。最初は十数える間でいいよ。朝に一枚。仕事が終わったらもう一枚」
「毎日?」
「毎日」
「めんどくさ……」
パイは怒るどころか、面白そうに目を細めた。
「そういうの嫌いそうだね」
「嫌い」
チョコレートは自分の板を見た。一辺だけ、まだ長い。
「……でも、できるようにはなりたい」
「うん。それで十分」
パイはチョコレートの手元に目をやった。
「あ、そうだ。チョコレート、白い方でもやってみて」
「ホワイトチョコ? あっちは柔らかいよ」
「だからだよ。硬さが違うなら、両方練習しとかないと」
「あー、そっか」
「じゃあ朝は黒、仕事のあとは白。キャンディは飴で、朝と夕方ね」
「えっ、両方?」
「もちろん」
パイは空になった茶杯を持って立つ。
「本登録まで、あと二十日くらいだっけ。どこまでいけるか見せてよ」
そう言って休憩室の方へ入っていった。
「……話しやすい人だったね」
「はい。でも細かいところまで見てましたね」
チョコレートはもう一度、黒い板を出した。今度は角が一つだけ丸い。
横目で見ると、キャンディの板は、また少しだけ綺麗だった。
「……明日は勝つ」
「負けませんよ」
キャンディは小さく笑って、垂れかけた自分の板の縁を、そっと持ち上げた。




