第八話 目立たない特技を選んだつもり
「ルイ、おはよう」
教室の入口で声をかけると、ルイが笑顔で振り向いた。
「おはよう、ハルちゃん。昨日は——」
そこで口が止まった。
俺の顔を見て、もう一度口元を見る。
「……今、すごく普通に話さなかった?」
「話せた」
「昨日まで、あんなに練習してたのに?」
練習はした。
最後に機械の力を借りたけど。
「家の人が、話すのを助ける道具を作ってくれたんだ」
「そうなんだ。よかったね」
ルイが嬉しそうに笑った。
それを見て、昨日から用意していた言葉が急に照れくさくなった。
「あと、昨日はありがとう。注文とか、教室から出るときとか。助かった」
「ううん。私こそ」
会話が続く。
言いたいことを言えば、相手から言葉が返ってくる。
それだけのことが、こんなに楽しい。
「今日は俺が何か手伝えるといいんだけど」
「じゃあ……試験が終わるまで、一緒にいてくれる?」
「試験?」
嬉しかった気持ちが、違う方向へ傾いた。
聞いていない。
*
「年に三回あるの。イクスとか、体の力とかを測る判定試験」
歩きながら、ルイが教えてくれた。
端末には昨日から案内が届いていたらしい。
俺の手首にも、ちゃんと新着の印が出ている。
読めることと、読んでいることも別だった。
「筆記じゃなくてよかった……」
昨日の授業の復習だけでは、まず勝てない。
『ハル様の力をお披露目する機会ですね』
(披露しない。なるべく普通にやる)
昨夜、ヒロのところで物を持つ練習をした。
カップを掴む。置く。柔らかいものを潰さずに持つ。
それだけでも、気をつけることはいくつもあった。
今日は、勝つことより加減を覚える日だ。
そう考えて隣を見ると、ルイが自分の指を握っていた。開いて、また握る。その動きを繰り返している。
「ルイ?」
「……私、本番が苦手なんだ」
彼女は少し笑ったが、指先は止まらなかった。
「中等部の二年生からは、総合評価がEに届かないと退学になるの。去年は大丈夫だったんだけど……」
「Eに届けば、続けられるんだな?」
「うん」
大丈夫だよ。
言いかけて、やめた。
俺はまだ、ルイが普段どれくらいの力を使えるのかさえ知らない。
「じゃあ、一緒に回ろう。分からないこと、俺にも教えて」
ルイがこちらを見た。
「俺も今日初めてだからさ。頼りにしてる」
「……うん」
彼女の手が少しだけ緩んだ。
*
試験会場のドームは、近づくほど大きくなった。
中にはいくつもの区画があり、生徒たちが番号順に受付をしている。高い場所にはガラス張りの部屋が並んでいた。
「あそこから、学校の偉い人たちが見てるの」
ルイが小声で言った。
俺は見上げた。
確かに人影がある。あまりじろじろ眺めるのも失礼かと思って、すぐに視線を戻した。
場内に説明が流れる。
念動力。
身体能力。
特技。
最大出力。
四つの結果から総合評価を出すらしい。
「どこから行く?」
「順番どおりで、いいかな」
ルイの声が、いつもより硬かった。
*
最初の区画には、大きな塊が置かれていた。
持ち上げる高さと、保っていられる時間を測るのだという。
俺は床から少し浮かせ、指定された位置で止めた。
続いて小さな粒を移す。
最後は細い糸を、小さな穴へ通す。
力を大きくするより、狙ったところで止めるほうが難しかった。頭の中で余計なことを考えると糸が揺れるので、穴の向こうへ先端が出るところだけを思い浮かべた。
『その調子です。出力は安定しています』
(これくらいでいいんだな)
無事に終わって振り向く。
ルイの持ち上げた塊が、床へ落ちた。
鈍い音がした。
「すみません、もう一度……」
ルイが言ったが、試験官は端末へ結果を入れた。
彼女は唇を結び、手を下ろした。
次の課題でも、粒を移す途中で取りこぼした。糸は穴の手前で揺れ続け、時間切れになった。
「練習では、できてたんだけどな」
戻ってきたルイが言う。
慰めの言葉を探していると、彼女のほうから笑いかけてきた。
「次、行こう?」
俺は頷いた。
*
身体能力の試験では、小さな球体を捕まえることになった。
掌に収まるくらいの機械が、透明な囲いの中に浮いている。
「身体強化以外のイクスは使わないように」
試験官が説明した。
前の生徒が中へ入る。
合図と同時に球体が動いた。生徒の肩をかすめ、背後へ回り、伸ばした手からするりと逃げていく。
なるほど。追いかけっこか。
「五十一番、ハル」
「はい」
囲いの中へ入る。
機械が目の前で止まった。
合図を待つ。
「始め」
球体が動いた。
横を通り抜けるところへ、反射的に手が出た。
掴んだ。
「……あ」
俺の手の中で、球体が小さな音を立てていた。
握り込まないように指を緩める。
表面にひびはない。動いている。
よかった。
そう思って試験官を見ると、向こうは口を開けたまま止まっていた。
「あの。返していいですか?」
「……もう一度、確認を」
機械を受け取った試験官が、何度か端末を触る。
周りから声が上がった。
「今の見えた?」
「始まってた?」
「手、そこに出してただけじゃない?」
俺は自分の手を見た。
壊さずに済んだことには、ほっとしている。
ただ、思っていたより目立ってしまった。
*
身体能力の区画を出ると、別の列へ案内された。
特技の判定は、それぞれ空いている場所で受けるらしい。
「ルイ、終わったらあっちで——」
振り向いたが、人の波に隠れて姿が見えない。
少し離れたところから彼女が手を振った。
俺も手を上げ、特技の列へ並ぶ。
(サクラ、何をやればいいかな)
返事がなかった。
(雷はやめたほうがいいよな。ここ、屋根あるし)
やっぱり、返事がない。
いつもなら何かしら言ってくれる。
手元へ意識を向けても、画面は開かなかった。
(……サクラ?)
「五十一番。次だよ」
呼ばれて前へ出る。
試験官は穏やかそうな女性だった。
「得意なことを一つ見せてください。危険を伴うものなら、先に説明してね」
危なくないもの。
雷は駄目だ。力加減を知らないまま何かを壊すのは、もう嫌だった。
だったら、移動はどうだろう。
最初の山の騒ぎが収まったあとも、テレポートそのもので周りを傷つけたことはない。ヒロのいる部屋にも、問題なく戻れた。
ここから、すぐそこの白い線まで。
「少し離れた場所へ移動します。あの辺り、使っていいですか?」
「ええ。どうぞ」
行き先は試験官の横。何も置かれていない白い床だ。
そこに立つ自分を思い浮かべた。
景色が変わる。
「——こちらで、大丈夫ですか?」
試験官が飛びのいた。
周囲の声が止まる。
俺は慌てて一歩下がった。
「すみません。近すぎました?」
「今、何を……?」
「テレポートですけど」
答えると、試験官は俺のいた場所を見た。
それから、足元の床を。
「もう一度、できる?」
「はい」
元の場所へ戻った。
今度は、もっと多くの人が黙った。
その静けさが、さっきのざわめきより気になった。
「空間移動ってこと?」
「そんなの、授業で……」
「本物なの?」
声は聞こえるのに、誰へ答えればいいのか分からない。
顔も、手も、立っている場所まで見られている。
安全にできるものを選んだつもりだった。
でも、危なくないことと、珍しくないことは違ったらしい。
(……サクラ)
返事はない。
ガラス張りの部屋を見上げた。
人影が動いている。
目に意識を向けると、一人ひとりの顔が見えた。その中に学長がいたが、こちらへ来てくれるわけではなかった。
「少し待っていてね」
試験官が端末へ話しかける。
俺は頷いた。
床の白い線を見ていた。
昨日の教室でも、皆に見られた。
でも、あのときは自己紹介があった。拍手があって、座る席があった。
今は何を言っていいのか分からない。
言葉なら、もう話せるはずなのに。
じいちゃんとばあちゃんの顔が浮かんだ。
今、何時だろう。
俺が帰ってこないことを、もう誰かに相談しただろうか。
電話の向こうから名前を呼ばれるところを思い浮かべて、また、そこだけが思い出せなかった。
「ハルちゃん」
顔を上げた。
ルイがすぐそばにいた。
「ちょっと休もう?」
差し出された手を見て、俺はようやく、自分が指を握りしめていたことに気づいた。




