↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/11

第十話 空の上では、少し近い


「……これ、乗れるの?」


 店先に並んだ乗り物を見て、俺は足を止めた。


 形はバイクに似ている。けれどタイヤがない。細い車体の下に影があり、触れてもいないのに少しだけ揺れていた。


「ヴァンっていうの。観光用だから、行き先を決めると連れていってくれるんだよ」


 ルイが隣へ来た。


「競技用もあるんだけど、そっちは自分で運転するの。学校にも同好会があるくらい人気なんだ」


「空飛ぶバイクか……」


 前の世界でもバイクには乗っていた。ただし、地面の上を走るものだった。急に道がなくなる心配をしたことはない。


 車体の横へしゃがみ、下を覗く。


『何もついていませんよ』


「確かめるくらいいいだろ」


 サクラに返しながら顔を上げると、ルイが笑っていた。


「ハルちゃん、乗ってみたい?」


「すごく」


「じゃあ、お店までこれで行こう?」


 今日のお祝いは、目的地に着く前から楽しそうだった。


     *


 手続きを済ませ、俺が前に座る。


 ルイが後ろへ乗ると、車体がわずかに沈んだ。狭い座席の上で腰をずらしているうちに、背中へ柔らかな重みが寄り添った。


「こうしてつかまれば、大丈夫かな」


 腕が腹の前へ回る。


 俺は自分の手元を見た。その下に、ルイの手がある。


「……恋人みたいだな、これ」


 返事が少し遅れた。


「そう、だね」


 振り向くと、ルイが俯いていた。髪に隠れた頬が、ほんのり赤い。


「狭かった?」


「ううん。このままでいい」


 だったら、いいか。


 保護用のゴーグルをつけ、目的地を設定する。表示された経路を確認すると、車体が静かに浮き上がった。


「おお……!」


 足元の通りが離れていく。


 屋根の高さを越えると、建物の間に隠れていた景色が一度に開けた。窓の中から見ていた街の、その中を走っている。


 風が頬に当たった。


 速い。


 けれど、知っているバイクの振動もエンジンの音もない。聞こえるのは風と、背中のほうから漏れたルイの笑い声だけだった。


「気持ちいいな!」


「うん!」


 腹の前で彼女の手が重なる。俺は前を向いたまま笑った。


 さっきまでドームの中で立ち尽くしていた自分が、随分遠くに思えた。


     *


 大通りに沿って走る途中、画面の端に切り替えの表示が出た。


「これ、自分でも動かせるの?」


『手動運転に対応した車種です。操作方法をご案内しましょうか』


「頼む」


 アクセルとブレーキ。傾きを調整する握り方。


 基本は知っているものに近かった。地面に接していないぶん、体を傾けたときの動きが少し違うらしい。


 許可された経路の中なら、自分で運転してもいいという。


「ルイ、俺が運転してみてもいい?」


「うん。乗ったことあるの?」


「似たやつなら」


「じゃあ、お願い」


 迷いのない返事だった。


 俺は一度速度を落とし、操作を切り替えた。


 握りをゆっくり回す。


 ヴァンが前へ出た。


 風が強くなる。左右の建物が流れ、少し傾けると、車体も気持ちよく弧を描いた。


「……いいな、これ」


 アクセルを戻しても、しばらく頬が緩んだままだった。


「ハルちゃん、楽しそう」


「分かる?」


「背中を見てても分かるよ」


 そんなところにまで出るのか。


 俺は少し照れながら前方の経路を確かめた。


 街の向こうに山が見えた。


 いくつもの峰が重なり、裾のほうには緑が続いている。建物に隠れる直前、川らしき光がちらりと見えた。


「なあ、ルイ。ご飯の前に、ちょっと寄り道しない?」


「どこへ?」


「あそこ」


 指さすと、彼女が肩越しに覗いた。


「山?」


『そちらは観光用の運行区域外です』


 サクラが教えてくれる。


「ヴァンじゃ行けないのか」


『この車両では、そのまま進むことはできません』


 俺は川の光を探した。


 遠くを見るときの要領で目を合わせる。岩場と浅い流れが見えた。広い河原があり、周りに人はいない。


 この景色の中へ降りたら、どんな音がするんだろう。


 試験で、さんざん騒がれた力だ。それでも今は、ルイと一緒に行ってみたい場所があった。


「別の行き方なら、できると思う。さっきのテレポートで」


 ルイの腕に少し力が入る。


「私も一緒に?」


「うん。サクラ、二人とヴァンごと移動できる?」


『対象と移動先を確認します。……可能です』


「行ってみる?」


 ルイは山を見ていた。


 それから、俺の背中へ頬を寄せた。


「うん。ハルちゃんとなら」


     *


 風の音が止まった。


 目の前にあった街が消え、代わりに緑が広がる。


 浅い川がすぐそばを流れていた。


 ヴァンを河原へ降ろしてから、俺は後ろを振り向いた。


「着いた」


 ルイはしばらく何も言わなかった。


 水面を見る。木々を見上げる。それから遠くの空を見た。


「……本当に、一瞬なんだね」


「びっくりした?」


「うん。だって、さっきまで街にいたのに」


 彼女がそっと降りる。


 靴の下で小石が鳴った。その音を確かめるように、もう一歩進んだ。


 俺も隣へ降りた。


「学校で皆があんなに驚いてたの、何となく分かったよ」


「やっぱり、普通じゃないんだな」


 口にしてから、少し気になった。


 自分と同じ制服を着た相手が、こんなことをしている。ルイはどう思うんだろう。


「……変だよな、俺」


 ルイが顔を向けた。


「変?」


「いろいろ。昨日まで言葉も話せなくて、今日はいきなり首席とか言われて。俺自身、よく分かってないし」


 川の流れを見る。石に当たった水が白くなり、すぐに元の色へ戻っていく。


「ルイにまで、変なやつだって思われたら嫌だなって」


 言ってしまうと、思っていたより子供っぽかった。


 ルイはしばらく俺を見ていた。


「私、さっきハルちゃんが運転してるとき、かっこいいなって思ってたよ」


「俺が?」


「うん。楽しそうで、見てる私まで嬉しくなった」


 彼女の手が俺の手に触れた。


「今も嬉しい。こんなところ、一人じゃ来られなかったから」


 指先が重なる。


「それだけじゃ、駄目かな?」


「……駄目じゃない」


「じゃあ、いいよ」


 ルイが笑った。


 試験会場でも、こうして手を差し出してくれた。何ができるのかを尋ねる前に、今の俺を見てくれる。そのことが、胸の奥へゆっくり染みていった。


『ハル様。私もおります』


「分かってるよ」


『今、とても大切な場面でしたので』


 ルイが声を出して笑った。


「サクラちゃんも一緒だね」


『当然です』


 小さな画面が俺たちの間に浮かぶ。


 川のそばで女の子二人と画面一つ。


 妙な取り合わせだが、誰も気にする人はいなかった。


     *


 川辺の石に座り、取り留めもなく話をした。


 学校の店で何が美味しいとか、ヴァンの競技にはどんな種類があるとか。ルイが話してくれるたび、見たいものが増えていった。


 気づけば川面の光が薄くなっていた。


 もう少しだけ、と立ち上がってはまた話し込み、結局ヴァンへ戻るころには、空に星が見え始めていた。


「……寄り道って時間じゃなくなったな」


「ふふっ。ご飯、まだ食べてなかったね」


 少しだけ上昇し、山の端を越えない高さでヴァンを止める。暗くなっていく森と、最後の光が残る峰が見渡せた。


「私、こういう景色、映像でしか見たことなかった」


 ルイが呟いた。


「ほかの地区にも、行ったことないし」


「家族旅行とかも?」


「うん。私の家は二文字だから」


 その返事は自然だった。


 名前の長さで、行ける場所まで違うらしい。サクラの説明を聞きながら、俺は山々を眺めた。


 道も壁も見えない。


 それでもルイは、普段ここへ来られないのだ。


「……また、見に来よう」


 今はそれだけ言った。


 ルイの返事の代わりに、背中へ回った腕が少し強くなった。


 そこで、端末が鳴った。


《今、どこにいるの?》


 ヒロだった。


「ちょっと景色のいいところ」


《どの辺り? 学校の外?》


「山」


《山!?》


 声が大きくなった。


《昨日のこともあるんだから、行き先くらい——》


「分かった、帰ったら話す。今、友達と一緒だから」


 後ろでルイが小さく笑った。


『ハル様。レンタル会社からも通知が来ています』


「え」


『車両の位置が運行区域から外れているそうです』


 ……そうだった。


 行けることと、借り物を持っていっていいことも別だった。


「すぐ戻りますって伝えて」


『承知しました』


 俺は大きく息を吐いた。


 ルイが背中越しに言う。


「戻ったら、ご飯にしようね」


「……うん。腹減った」


 美味い肉のためにも、まずは返却だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。