第十一話 首席になっても、昼飯は食いたい
レンタル会社では、ヴァンを運行区域の外へ持ち出さないように言われた。
ヒロには、出かける場所を知らせてほしいと言われた。
ルイとは、そのあとちゃんと肉を食べた。
いろいろあったが、いい日だったと思う。
ところが翌朝、教室へ入ると、昨日までとは違う静けさが待っていた。
「……おはよう」
何人かが顔を上げる。
返事はあった。
けれど、そのあとが続かなかった。昨日はあんなに質問されたのに、今日は目が合うと皆すぐに別のほうを向いた。
俺の後ろに先生でもいるのかと思って、振り返る。
誰もいない。
「ハルちゃん、おはよう」
ルイがいつもどおりに手を振っていた。
その顔を見て少し安心する。
「おはよう。何、この感じ」
「試験の結果、皆見たんだと思う」
「ああ……」
端末を開く。
順位の一番上に俺の名前が載っている。その下には、長い名前が続いていた。
五文字。六文字。
俺と同じくらい短い名前は、画面をずっと下げないと見つからなかった。
「上のほう、ほとんど文明人?」
教室のあちこちで話し声が止まった。
俺は顔を上げる。
ルイが少しだけ困ったように笑った。
「……そういうことか」
学校の試験で一番になった。
俺にとっては、そういう話だった。
ここでは、それだけでは済まないらしい。
*
午前中は何も起きなかった。
何も起きなさすぎた、と言ってもいい。
落とした道具を拾ってくれた子は、礼を言う前に席へ戻った。廊下でこちらを見ていた生徒は、俺が近づくと脇へ寄った。
サクラによれば、昨日の試験の話はほかの学年にも広まっているという。そのわりに、話しかけてくる人はいなかった。
「俺、そんなに怖そう?」
「ううん。ハルちゃん、可愛いよ」
「そこは今、関係ないかな」
昼休み、ルイと食事へ向かいながら肩を落とす。
彼女は少し考えてから、俺の隣へ並び直した。
「皆、ハルちゃんがどういう子か、まだ知らないから」
「ルイだって、一昨日会ったばかりだろ」
「うん。でも私は、知ってるところがあるもの」
そう言って笑う。
嬉しかった。嬉しかったからこそ、気になることもあった。
「……俺といると、ルイまで避けられない?」
ルイが足を止めた。
「そうなったら嫌だなって。俺は自分でやったことだけど、ルイは別に——」
「私、一緒に食べたいよ」
遮るほど強い声ではなかった。
けれど、続きを言う必要がなくなった。
「ハルちゃんは?」
「……食べたい」
「じゃあ、行こう?」
彼女が先に歩き出す。
俺はその隣へ追いついた。
昨日から、何度も助けられている。
*
今日こそ、熱いうちに食べようと思っていた。
目の前には焼いた肉を挟んだパンがある。香ばしい匂いがして、切り口から肉汁が染み出していた。
両手で持ち上げようとしたとき、卓の横へ影が落ちた。
「君が首席ちゃん?」
見上げる。
知らない男が立っていた。
その後ろにも人がいる。通路を塞ぐように並んでいて、ざっと見ただけでも十人以上いた。
「……何か用?」
「少し、付き合ってもらいたくてね」
「今、昼飯なんだけど」
「すぐ済むよ」
男が笑う。
目は笑っていなかった。
後ろの連中を見渡したとき、見覚えのある顔を見つけた。
あの男だ。
ルイを追い回して、昨日は腕相撲をした。
治療は済んだらしい。腕は普通に下ろしている。俺と目が合うと、彼は眉を寄せた。
「そっちは、もう大丈夫?」
腕を指すと、男が一瞬黙った。
「……何の話だ」
「腕」
「おい。今はこっちが話してるんだよ」
前に立つ男が卓へ手をついた。
食器が揺れる。
「二文字の一般生徒が首席だなんて、何かの間違いだと思うんだけど。皆も確かめたがってるんだ」
「試験官に聞けば?」
「君から聞きたいんだよ」
ルイが身を引いた。
男の視線がそちらへ動く。
「この子も一緒に来てもらおうか?」
「その子は関係ない」
「君の友達なんでしょ?」
伸びた手が、ルイの手首へ向かった。
触れる直前で、その手を止めた。
俺の手は卓の上にある。
男は宙に止まった自分の腕を見た。
「……へえ」
「話なら聞く。ルイには触るな」
声が低くなった。
周囲の席が静まっている。こちらを見ているのに、誰も立ち上がらなかった。
俺はルイへ顔を向けた。
「先生に知らせてくれる?」
彼女は俺の顔を見てから頷いた。
「うん」
「すぐ戻る」
「待ってる」
男の手を解放して、俺は立ち上がった。
パンの切り口から、また肉汁が落ちた。
絶対に戻って食う。
*
連れていかれたのは、校舎の間にある広場だった。
人気のない裏側ではない。
上を見れば窓が並び、向かいには渡り廊下がある。何人もの生徒が足を止めて、こちらを見下ろしていた。
「見晴らしがいいね」
「皆にも見てもらわないとね。新しい首席のお披露目だ」
男が両手を広げた。
「ゲームをしよう。昼休みが終わるまで、君が立っていられたら勝ち」
「負けたら?」
「分かるでしょ?」
「分かりたくないな」
男の笑みが深くなる。
「その代わり、君は手足を動かしちゃいけない。簡単だよね。自慢のイクスで頑張って」
周りの連中が笑った。
俺は腕を組んだ。
足元を確かめる。滑りそうなものも、躓きそうな段差もない。
「これでいい?」
「……十秒待ってあげるよ」
「もういいよ」
男の顔から笑みが消えた。
「やれ」
一人が飛び出してきた。
俺は、その背後の空間へ移動した。
腕は組んだまま。
足も、揃えたまま。
「こっち」
振り返った顔が驚きに変わる。
別の方向から光が飛んできたので、今度は広場の端へ移る。背後で石畳が割れた。
手足を動かさず移動することは、もう何度もやっている。俺にとっては、こちらのほうが慣れていた。
「逃げてばかりか!」
「立ってれば勝ちなんだろ?」
男が舌打ちした。
何人かが手を上げる。
俺は視線の先を確かめ、次の場所へ移った。
*
何度か繰り返したところで、攻撃が止まった。
向こうで何か揉めている。
「お前が、二度も負けるからだろうが!」
中心にいる男が、あいつの胸を突き飛ばした。
「こっちの面子まで潰しやがって。少しは役に立てよ!」
「……俺が負けたのは、俺の問題だ」
「あ?」
「貴方たちに、頼んだ覚えはない」
殴る音がした。
あいつがよろめき、膝をつく。
顔を上げたところへ、もう一度拳が飛んだ。
俺は、その間へ移動した。
肩に衝撃が当たる。
思っていたほど痛くなかった。
「……何の真似?」
男が俺を見る。
「俺が相手じゃなかったの?」
腕を組んだまま答えた。
足元で、あいつが顔を上げる。
「お前、なんで……」
「昨日、怪我をさせただろ。あれは悪かった」
男の拳が、今度は頬へ当たった。
顔がわずかに横へ向く。
「今、話してるんだけど」
「ふざけやがって……!」
もう一発。
その腕が、途中で止まった。
男が自分の手を見る。握った拳が、こちらへ届く手前で震えていた。
「……何だ、これ」
周りでも声が上がった。
足が動かない。
腕が上がらない。
さっきまでこちらを追い回していた連中が、それぞれ不自然な姿勢で止まっている。
俺は足元の男へ言った。
「立てる?」
「……ああ」
「じゃあ、少し離れてて」
あいつがよろめきながら立ち上がる。
俺はその背中を見送り、目の前の男へ視線を戻した。
手袋はつけたままだ。
このくらいの力でも、できることはある。
「俺のことよりさ」
空気の中で、小さな火花が弾けた。
「追い回される側の気分、少し分かった?」
男の目が頭上へ向いた。




