第5話 精霊の森へ
昼を少し過ぎた頃。
旅人の灯火宿の扉が開いた。
「こんにちは。こちらの宿は、空いていますか?」
入ってきたのは、一人の女性だった。
年齢は二十代半ばほど。
肩まで伸びた淡い緑色の髪に、穏やかな印象の顔立ち。
瞳は少し大きく、柔らかな緑色をしている。
身につけているのは、旅をするための動きやすい服装。
その上から、薬草を扱う者らしい薄茶色のローブを羽織っている。
ローブの腰にはいくつもの小さな袋が吊るされており、中には乾燥させた薬草や調合に使う道具が入っているようだった。
腰には小さな革製のポーチもあり、薬草をすり潰すための器具や、何種類かの小瓶が覗いている。
そして背中には、大きな荷物を背負っていた。
薬草を採るための道具や調合器具が入っているのか、普通の旅人よりもかなり重そうだ。
「はい。空いておりますよ」
ロイはカウンターから立ち上がった。
「一泊でよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「では、こちらにお名前をお願いします」
「ルイです」
ルイは受付を済ませると、大きな荷物を床へ下ろした。
「……重そうですね」
「はい。必要なものを色々持ってきたら、こんなことになってしまって」
「旅は荷物が増えますからね」
「そうなんです」
ルイは苦笑した。
そのとき、奥から冬が歩いてきた。
「にゃあ」
「猫……!」
ルイの表情が明るくなる。
「かわいい……」
ルイがしゃがみ込み、冬の頭をそっと撫でる。
「にゃあ」
冬は逃げることもなく、その場で目を細めた。
「人懐っこいですね」
「そうですね。宿のお客さんにもよく撫でてもらっています」
「こんなに可愛い猫がいる宿なら、ゆっくり休めそうです」
「ありがとうございます」
ロイが微笑む。
すると、ルイが何かを思い出したように口を開いた。
「あの、ロイさん」
「はい」
「少しお聞きしたいことがあるのですが……」
「何でしょうか?」
「この近くに、精霊の森がありますよね?」
「はい。ありますよ」
「そこにしか生えていない薬草を採りに行きたいんです」
「薬草ですか?」
「はい。ポーションを作るために必要なんです」
ルイは少し困ったような顔をした。
「ただ……一人で行くのが少し不安でして」
「森が危険だからですか?」
「それもあります」
「それも?」
「私、かなりの方向音痴なんです」
「……かなり、ですか?」
「はい」
ルイは真剣な顔で頷いた。
「以前、森に入ったら、帰り道が分からなくなってしまって……」
「それは大変ですね」
「なので、できれば誰かに案内していただきたいのですが……」
ロイは少し考えた。
精霊の森は宿からそう遠くない。
ロイの記憶では、これまでにも何度か訪れたことのある場所だった。
「それでしたら、私がご案内しましょうか?」
「本当ですか?」
「はい。私も森には慣れていますので」
「ありがとうございます!」
ルイがほっとしたように笑った。
「明日の朝からでも大丈夫でしょうか?」
「はい。問題ありません」
「助かります」
その横で、冬がルイの足元へ近づく。
「冬も一緒に行きますか?」
「にゃあ」
「どうやら行くみたいですね」
ロイが笑う。
⸻
翌朝。
三人は精霊の森へ向かっていた。
「ロイさん、この道で合ってますか?」
「はい。合っていますよ」
「よかった……」
「まだ森に入ってすらいませんけどね」
「……」
ルイが少し恥ずかしそうに俯いた。
「すみません」
「いえ。お気になさらず」
ロイは苦笑する。
森へ入ると、辺りは一気に静かになった。
木々の間から差し込む光。
遠くから聞こえる鳥の声。
足元には見慣れない草花が生えている。
「この辺りです」
ルイがしゃがみ込む。
「この薬草です」
「これですか?」
「はい」
ルイは慎重に薬草を採っていく。
ロイは少し離れたところで周囲を見回していた。
そのときだった。
「冬?」
冬が茂みの奥へ入っていく。
「何か見つけたんでしょうか?」
「少し見てきます」
ロイが冬の後を追う。
茂みの奥。
そこには、一つの卵があった。
「……卵?」
普通の鳥の卵よりも大きい。
表面には、見たことのない模様が浮かんでいる。
冬はその卵の横に座り、じっと見つめていた。
「これは……何でしょう?」
ルイも近づいてくる。
「分かりません」
ロイが卵を見つめる。
「鳥の卵にしては大きすぎますね」
「そうですね……」
冬が鼻先を卵へ近づける。
そして。
コトッ。
卵がほんの少しだけ動いた。
「……今、動きませんでした?」
ルイが目を見開く。
「……動きましたね」
二人は卵を見つめる。
だが、それ以上は何も起きない。
冬だけが卵の隣から離れようとしなかった。
ロイはしばらく考えたあと、卵をそっと持ち上げた。
「……持って帰りましょうか」
「いいんですか?」
「このまま森に置いておくのも気になりますから」
ルイが頷く。
「そうですね」
ロイは卵を大事に抱える。
冬はその横を歩きながら、何度も卵を振り返っていた。
こうして、一行は森を後にした。
まだ誰も知らなかった。
その卵が、これから宿に小さな変化をもたらすことを。




