第3話 仕事の疲れを癒す旅人
朝、
ロイは宿の裏にある小さな作業場で、木の棒と紐を手にしていた。
「……こんなもんか」
紐の先には、小さく切った布が結びつけられている。
ロイがそれを軽く振る。
ふり、ふり。
「にゃあ」
少し離れたところにいた冬の耳が動いた。
「お?」
もう一度振ってみる。
ふり、ふり、ふり。
冬が一気に飛びついてきた。
「うわっ!」
ロイは思わず笑った。
「お前、気に入ったのか?」
「にゃあ」
冬は紐の先についた布をくわえ、離そうとしない。
「そんなに気に入ったなら、作った甲斐があったな」
ロイは冬の頭を撫でた。
最近は、こうして冬と遊ぶ時間が少し好きになっていた。
異世界に来てから、分からないことばかりだ。
それでも、冬と一緒にいると少しだけ安心できる。
「さて……そろそろ宿の準備するか」
ロイが立ち上がった、そのときだった。
「すみませーん!」
宿の入口から声が聞こえた。
「お客さんか」
ロイは冬と一緒に入口へ向かった。
扉を開ける。
そこには、大きな旅行鞄を持った女性が立っていた。
明るく親しみやすい雰囲気の女性だった。
青みがかった髪に、柔らかな表情。
整った顔立ちだが、目の下には薄いクマがあり、疲れが少し見えていた。
それでも笑うと、その疲れを感じさせないほど明るく、自然と周りまで和ませるような雰囲気を持っていた。
肩や髪には、雨に濡れた跡が残っている。
その少し後ろでは、冬が女性の姿をじっと見つめていた。
「こんにちは。ここ、泊まれますか?」
「はい。もちろんです」
「よかった」
女性はほっとしたように笑った。
「それにしても、今日は雨がすごかったですね」
ロイが女性の濡れた髪や服を見ながら言った。
「そうなんですよ。途中から結構強くなって」
「大丈夫でしたか?」
「はい。馬車だったので、そこまで濡れませんでした」
「それならよかったです」
ロイは近くに置いてあった清潔なタオルを一枚手にとった。
「よかったら、これどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
女性はタオルを受け取り、濡れた髪を拭いた。
「助かります。結構濡れちゃったので」
「風邪を引いたら旅行どころじゃないですからね」
「ふふ、そうですね」
女性は少し笑った。
その様子を、冬は少し離れた場所から眺めている。
「ああ、冬も気になってるみたいですね」
ロイが冬を見る。
「猫ちゃん……?」
女性も冬に気づいた。
「冬っていいます」
「冬ちゃん、かわいい」
女性が少し近づこうとすると、冬は一歩だけ後ろへ下がった。
「あれ?」
女性が首を傾げる。
「人懐っこいんですけど、やっぱり猫なんで、濡れるのは苦手みたいですね」
ロイが苦笑する。
「ふふ、そうなんですね」
女性はそれ以上近づかず、その場で冬に笑いかけた。
「じゃあ、あとで仲良くなれるかな」
「たぶん大丈夫ですよ」
ロイは笑った。
「何泊されますか?」
「二泊お願いします」
「分かりました」
ロイは宿帳を取り出した。
「お名前をお願いします」
「ミレアです」
女性は宿帳に名前を書いた。
「ミレアさんですね。今日はどちらから?」
「少し遠くの町からです」
「旅行ですか?」
「はい」
ミレアは嬉しそうに頷いた。
「最近、仕事がずっと忙しくて……。たまには自分へのご褒美に、ゆっくり旅行でもしようかなって」
「それはいいですね」
「ですよね。もう楽しみで楽しみで」
ミレアが笑う。
ミレアは荷物を部屋へ置いたあと、一階へ戻ってきた。
「せっかく旅行に来たので、少しこの辺りを見て回りたいんですけど……」
「はい」
「この辺って、何が有名なんですか?」
「えーっと……」
ロイは腕を組んだ。
「温泉……だったか?」
そこまでは思い出せた。
しかし、それ以外が出てこない。
「えーっと……」
ロイが考え込んでいると、
「なーんだ、思い出せねぇのか?」
後ろから声が飛んできた。
「ガルド!」
振り返ると、いつもの常連客が立っていた。
「この地方なら温泉だろ」
「ああ、そうだった」
「それに精霊の森。エルフの森も有名だ」
「そうそう、それだ」
ロイが頷く。
ミレアが目を輝かせる。
「精霊の森に、エルフの森……?」
「この辺じゃ有名だぞ」
ガルドは得意げに言った。
「温泉なんかは、遠くからわざわざ入りに来る奴もいる」
「へえ……!」
ミレアは嬉しそうに笑った。
「全部行ってみたいなぁ」
「二泊じゃ全部は難しいかもしれねぇな」
「じゃあ、今日は温泉に行ってみようかな」
「それがいい」
ガルドが頷く。
ミレアは部屋へ戻り、荷物を置いてから出かける準備を始めた。
しばらくして、宿の入口へ戻ってくる。
「それじゃあ、行ってきます」
「お気をつけて」
ミレアが扉を開ける。
「……あれ?」
ミレアが外を見て、首を傾げた。
「どうしました?」
「雨、止んでる」
ロイも外を見る。
さっきまで降っていた雨は、すっかり止んでいた。
「本当ですね」
ミレアは空を見上げ、少しだけ笑った。
「私が旅行するときって、なぜか晴れるんですよね」
「へえ、そうなんですか?」
「はい。昔からなんです」
「それは運がいいですね」
「自分でもそう思います」
ミレアは笑いながら、宿を出ていった。
「じゃあ、行ってきます!」
「お気をつけて」
ロイは手を振って見送った。
その隣で、冬が尻尾を揺らしていた。
……助かったよ、ガルド」
「何がだ?」
「この辺のこと、俺より詳しいじゃないか」
「そりゃそうだろ。俺はこの辺に長く住んでんだから」
「なるほどな」
ロイが頷く。
すると、ガルドがふと思い出したように言った。
「そういや、この前、弟がここに泊まりに来たって言ってたぞ」
「弟?」
ロイが振り返る。
「……もしかして、バルドさん?」
「おう。それだ。思い出したか?」
「ああ。バルドさんだ」
「そうそう。あいつだ」
ガルドが笑う。
「俺の弟だぞ」
「そうだったのか」
ロイは少し驚いた。
まさか、この前泊まったパン職人がガルドの弟だったとは。
「バルド、何か言ってたか?」
「この宿、居心地がいいって言ってましたよ」
「そうか」
ガルドは嬉しそうに笑った。
「なら、また来るかもしれねぇな」
「そうですね」
ロイも笑った。
⸻
夕方。
ミレアが観光から帰ってきた。
「ただいまー!」
「おかえりなさい」
「温泉、すごく良かったです!」
「それはよかった」
「今度は精霊の森にも行ってみたいなぁ」
ミレアは今日の出来事を楽しそうに話した。
ロイはそれを聞きながら笑っていた。
しばらくして、ミレアが廊下に置いてあるものに気づいた。
「あれ?」
「これ、冬ちゃんのおもちゃですか?」
「ああ、そうです」
ロイが答える。
「今日の朝、作ったんです」
「ちょっと遊んでもいいですか?」
「もちろん」
ミレアは猫じゃらしを手に取った。
「冬ちゃん、おいでー」
「にゃあ」
冬が近づいてくる。
ミレアが猫じゃらしを振る。
ふり、ふり。
冬の目が追いかける。
「ふふっ」
ミレアが少し速く振る。
冬が飛びついた。
「わっ!」
ミレアが笑う。
「かわいい!」
何度も猫じゃらしを動かしているうちに、冬はすっかり
ミレアのそばから離れなくなった。
「冬、楽しい?」
「にゃあ」
「ふふ、かわいい」
冬はミレアの膝元に座り、そのまま身体を擦りつける。
「気に入ってくれたのかな?」
「みたいですね」
ロイが笑う。
しばらく冬と遊んでいると、窓の外が少しずつ暗くなってきた。
「もうこんな時間なんだ」
ミレアは立ち上がった。
「そろそろ寝ようかな」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ミレアが部屋へ向かう。
すると、
「にゃあ」
冬も立ち上がり、ミレアの後ろをついていった。
「あら、冬ちゃんも来るの?」
ミレアが振り返る。
冬はそのままミレアの足元を歩いている。
「ふふ。じゃあ、一緒に寝ようね」
「にゃあ」
ミレアが部屋へ入る。
冬も当然のように中へ入っていった。
扉が閉まった。
ロイはその場に残り、少し考える。
「……冬って、気に入った人と寝るのかな」
シキのときもそうだった。
バルドのときもそうだった。
ロイは少し考えたあと、
「まあ、猫だしな」
と呟いて、自分の部屋へ戻った。
⸻
翌朝。
「ありがとうございました!」
ミレアは旅行鞄を持ち、宿の入口に立っていた。
「こちらこそ。ゆっくりできましたか?」
「はい。すごく楽しかったです」
ミレアは笑顔だった。
「温泉にも入れたし、冬ちゃんとも遊べたし」
「それならよかったです」
「また来ますね」
「いつでもお待ちしています」
ミレアは手を振りながら宿を出ていった。
ロイと冬は、その後ろ姿を見送った。
そして。
「……?」
ロイの目の前に、突然文字が浮かんだ。
《スキルを獲得しました》
「……え?」
続いて、もう一つ。
《晴れ女》
「…………」
ロイは固まった。
さらに説明が表示される。
《効果:お出かけの際、雨天だった場合、ごく稀に天候が晴れへと変化します》
「…………」
ロイは昨日のミレアを思い出した。
宿に来たときは、確かに雨だった。
それなのに、出かける頃には雨が止んでいた。
「晴れ女……?」
もう一度、表示を見る。
《晴れ女》
「いや……」
ロイは困惑した。
「昨日の人、確かに女の人だったけど……」
自分を見る。
「俺、男なんだけど?」
少し沈黙する。
「……女の子専用スキルももらえるの????」
「にゃあ」
冬が鳴いた。
「いや、お前に聞いても分からないよな……」
ロイは頭を抱える。
「……晴れ女、か」
今日もまた、旅人の灯火宿に朝が来た。




