第14話 小さな日常
朝。
旅人の灯火宿の裏にある、大きな木。
その枝の上に建てられた小さな家から、リシアが顔を出した。
「……今日も、いい天気ですね」
新しい家で迎える、初めての朝だった。
リシアは小さく伸びをすると、階段を降りて宿へ向かう。
扉を開けると、すでにロイが厨房に立っていた。
「おはようございます、ロイさん」
「あ、おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい。とてもよく眠れました」
リシアは嬉しそうに笑った。
「昨日作った家なのに、なんだかずっと前から住んでいたような気がします」
「それならよかったです」
ロイも笑う。
その足元を、黒い影が通り過ぎた。
「にゃ」
「あら、冬。おはようございます」
冬はリシアの足元へ近づくと、身体を擦りつける。
「朝から甘えん坊ですね」
「昨日からずっとそんな感じですよ」
リシアがしゃがんで冬を撫でる。
冬は気持ちよさそうに目を細めた。
「本当に、冬には懐かれましたね」
「そうみたいですね」
ロイは苦笑する。
「さて、朝食にしましょうか」
「はい」
⸻
朝食を終えると、二人で宿の仕事を始めた。
リシアは客室の掃除をし、ロイは厨房で昼食の仕込みをする。
「ロイさん、この布はどこに置けばいいですか?」
「それは客室用なので、棚の二段目です」
「分かりました」
リシアは言われた通りに布を片付ける。
「あと、その掃除道具はそこじゃなくて……」
「こっちですか?」
「そうです」
「分かりました」
覚えることは多い。
けれど、リシアは嫌そうな顔一つせず、一つずつ仕事を覚えていった。
「リシアさん、覚えるの早いですね」
「そうですか?」
「ええ。助かります」
「……よかった」
リシアが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、ロイも自然と頬が緩んだ。
これまで一人で切り盛りしてきた宿に、誰かがいる。
それだけのことなのに、宿の雰囲気が少し変わったように感じた。
「ロイさん」
「はい?」
「この宿って、忙しい時はもっと大変なんですか?」
「そうですね。リーナさんの記事が出てからは、かなり忙しかったです」
「温泉の記事を書いた方ですよね?」
「そうです」
「では、私も頑張らないといけませんね」
「無理はしなくていいですよ」
「はい」
リシアは少し考えてから、笑った。
「でも……ここで役に立てるのが嬉しいんです」
「……そうですか」
ロイはそれ以上何も言わなかった。
ただ、少しだけ嬉しかった。
⸻
昼を過ぎた頃。
「おーい、ロイ!」
宿の扉が勢いよく開いた。
「この声は……」
ロイが顔を上げる。
「ガルド、いらっしゃい」
「おう。今日も温泉、借りるぞ」
「はいよー」
いつものように宿へ入ってきたガルドは、リシアの姿を見つける。
「お? リシアちゃん」
「こんにちは、ガルド」
「おう、こんにちは」
ガルドは少し笑う。
「そういやリシアちゃん、新しい家はどうだい?」
「はい。とても気に入っています」
「そりゃよかった」
ガルドは窓の外へ目を向ける。
そこからは、木の上に作られた小さな家が見える。
「木の上に家なんて、なかなか面白いじゃねえか」
「自分でも、気に入っています」
「ならよかった」
ガルドは満足そうに頷く。
「ロイも、これで少しは楽になったんじゃねえか?」
「本当に助かってますよ」
「だろうな。今まで一人だったんだから」
「まあ……そうですね」
「そりゃ大変だ」
ガルドは笑いながら浴場へ向かう。
「じゃあ、俺はひとっ風呂浴びてくるわ」
「ごゆっくり」
「リシアちゃんも、仕事頑張れよ」
「はい!」
ガルドが浴場へ向かうと、リシアが小さく笑った。
「ガルドは、いつもあんな感じなんですか?」
「だいたいいつもあんな感じですよ」
「ふふっ」
リシアは楽しそうに笑った。
宿に来る人と、こうして普通に話せる。
そんな何気ない時間が、リシアには少し嬉しかった。
⸻
夕方。
仕事が一段落すると、宿の中は静かになった。
ロイは厨房で夕食の準備をしている。
リシアは客室を確認したあと、宿の奥へ向かった。
「……あれ?」
そこに、一つの卵が置かれていた。
白い殻。
そこには赤い模様が入っている。
「これは……卵ですか?」
「ああ」
厨房からロイが答える。
「精霊の森で拾ってきたんです」
「精霊の森……」
リシアは卵をじっと見つめる。
「僕にも、何の卵なのか分からないんです」
「そうなんですね」
そのとき。
卵のそばで丸くなっていた冬が顔を上げた。
「にゃ」
冬はゆっくりと立ち上がる。
リシアが一歩近づくと、冬は卵の前へ移動した。
「……冬?」
冬はリシアを見る。
そして、卵を見る。
まるで、卵を守るように。
けれど、威嚇するわけではない。
ただ静かに、卵の前に座っている。
リシアはそれ以上近づかなかった。
少し離れたところにしゃがみ込み、卵を見つめる。
「……」
ロイはその様子を見ながら、少し笑った。
「まあ、冬の後輩みたいなもんですよ」
「冬の……後輩?」
「ええ。冬も、ずっと気にしてるんで」
「……そうなんですね」
リシアは卵を見る。
それから、その前に座る冬を見る。
しばらく考えるように眺めていた。
やがて、リシアが顔を上げる。
「……ロイさん」
「はい?」
リシアは、卵とその前に座る冬を交互に見つめた。
「……あの卵って……」




