第13話 新しい居場所
夕方前。
旅人の灯火宿の扉が開いた。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
買い物から戻ってきた少女を、ロイは笑顔で迎えた。
その足元には、冬が駆け寄っていく。
「にゃ!」
「あら、冬」
少女が買い物袋を覗くと、冬は袋の中をじっと見つめている。
「……魚、買ってきましたよ」
「にゃ!」
少女が魚を取り出すと、冬の目が輝いた。
「ずいぶん嬉しそうですね」
ロイが笑う。
「ちゃんと買ってきてくれたんですね。ありがとうございます」
「いえ。お役に立ててよかったです」
少女はそう言って、少し嬉しそうに笑った。
魚を受け取った冬は、そのまま少し離れた場所へ持っていく。
「冬、お行儀よく食べるんですよ」
「にゃ」
冬は返事をするように鳴いた。
そんな様子を見て、ロイはふと少女の姿を改めて見る。
長い白銀の髪。
日に焼けた褐色の肌。
そして、少し灰色がかった緑色の瞳。
細長い耳も含めて、間違いなくエルフなのだろう。
最初に会ったときは泥や汚れでよく分からなかったが、こうして改めて見ると、整った顔立ちをした少女だった。
「……そういや」
「はい?」
「まだ名前、聞いてませんでしたね」
「あ……」
少女は少し驚いたように目を瞬かせる。
「そうでしたね」
「ずっと『お嬢さん』って呼んでました」
「ふふ……」
少女は小さく笑った。
「私の名前は……リシアです」
「リシアさん、ですね」
「はい」
「改めて、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ロイさん」
互いに名前を知っただけなのに、不思議と少し距離が近くなったような気がした。
⸻
それからしばらくして。
ロイが夕食の準備をしていると、リシアが厨房へ入ってきた。
「何か手伝えることはありますか?」
「大丈夫ですよ。今日は買い物もしてきてもらいましたし、休んでいてください」
「でも……」
リシアは少し困ったように笑った。
「最近、とても忙しそうですから」
「まあ……それはそうなんですけど」
リーナの記事が出てから、宿は以前とは比べものにならないほど忙しくなっていた。
五つしかない部屋はすぐに埋まり、温泉を利用する客も増えている。
ロイ一人では、少しずつ手が回らなくなっていた。
「それなら……食器を並べてもらえますか?」
「はい!」
リシアは嬉しそうに返事をすると、すぐに食器を運び始めた。
それからというもの、リシアは少しずつ宿の仕事を手伝うようになった。
食器を片付けたり。
部屋を掃除したり。
料理の手伝いをしたり。
最初は遠慮していたロイも、次第にその働きぶりに助けられるようになっていった。
そして夜。
客が少なくなった頃。
「リシアさん」
「はい?」
「今日はありがとうございました」
「いえ」
リシアは少し考えるように俯いた。
「ロイさん」
「はい?」
「私……ここで働かせてもらえませんか?」
「……」
ロイは少し驚いた。
「ここで、ですか?」
「はい」
リシアはまっすぐにロイを見る。
「助けてもらったままでは、嫌なんです」
「……」
「私にも、できることがあるなら……ここでお手伝いしたいです」
その言葉には、強い決意があった。
ロイは少し考えてから、笑った。
「もちろんです」
「……!」
「むしろ、こちらからお願いしたいくらいですよ」
「本当ですか?」
「はい。ただし、無理はしないでくださいね」
「はい!」
リシアは嬉しそうに笑った。
「これからよろしくお願いします、リシアさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
すると、二人の足元を冬が通り過ぎていった。
「にゃ」
「冬もよろしくって言ってるのかな?」
「ふふ。そうかもしれませんね」
⸻
「そういえば、リシアさん」
「はい?」
「ここで働いてもらうなら……住む場所も必要ですよね」
「……住む場所」
ロイは宿を見回した。
「でも、客室は五つしかないんですよね」
すでに宿泊客で埋まっていることも多い。
「どうしたものか……」
ロイが考え込んでいると、リシアが静かに立ち上がった。
「それなら……私に任せてもらえませんか?」
「え?」
リシアは宿の裏手へ歩いていく。
ロイと冬も、その後を追った。
裏手には、大きな木が一本立っている。
「ここなら……」
リシアは木にそっと手を触れた。
「少しだけ……力を貸してもらいますね」
そう呟く。
すると、木の枝がゆっくりと揺れ始めた。
淡い光がリシアの手から木へと伝わっていく。
枝は急激に伸びることなく、まるで木自身が意思を持っているかのように、ゆっくりと形を変えていった。
太い枝が横へ伸び、床のように広がっていく。
さらに枝同士が絡み合い、その上に木の壁が組み上がっていく。
「……魔法、なのか?」
ロイが思わず呟く。
「はい」
リシアは木に触れたまま答える。
「でも、私が無理やり動かしているわけじゃありません」
「じゃあ?」
「自然に、少しだけ力を貸してもらっているんです」
「……なるほど」
ロイが見守る中、木はゆっくりと形を変えていく。
やがて――
木の上に、小さな小屋ができた。
「……」
ロイはしばらく言葉を失った。
冬は興味津々に木の周りを歩いている。
「……これ」
「はい」
「部屋っていうより、家じゃないですか?」
リシアは少し不安そうにロイを見る。
「……だめ、ですか?」
ロイは木の上にできた小さな家を見上げる。
そして、少し笑った。
「いや」
「……」
「いいと思います」
「……!」
リシアの表情が明るくなった。
「ありがとうございます」
宿の裏手にできた、小さな木の家。
それは、リシアが自然の力を借りて作った、自分だけの場所だった。
誰かに追い出される場所ではない。
誰かに与えてもらっただけの場所でもない。
自分で選び、自分で作った場所。
そのすぐ隣には、旅人の灯火宿がある。
「……ここなら」
リシアは木の家を見上げる。
「ここなら、ずっといてもいいんですね」
「はい」
ロイは笑って答えた。
「ここは、リシアさんの居場所ですから」
「……はい」
リシアは小さく頷いた。
その足元で、冬が尻尾を揺らしている。
旅人の灯火宿に、新しい仲間が加わった。
そして宿の裏には、新しい小さな家ができた。
その夜。
リシアは初めて、自分の居場所で眠ることになる。




