第11話 エルフの少女
リーナの記事が出てから、数日が経った。
旅人の灯火宿には、以前よりも多くの旅人が訪れるようになっていた。
「いらっしゃいませ!」
「温泉はどこですか?」
「フルーツ牛乳ポーションって、まだありますか?」
「すみません、部屋は空いてますか?」
「少々お待ちください!」
朝から宿の中は大忙しだった。
「……忙しいな」
ロイは一人で宿を走り回りながら、思わず呟いた。
以前は、客が来ないことを心配していた。
それが今では、客が多すぎることに頭を悩ませている。
「一人じゃ、そろそろ限界かもな……」
そんなことを考えていた時だった。
足元にいた冬が、突然顔を上げた。
「ん?」
冬は入口へ向かうと、そのまま外へ出ていく。
「冬?」
呼びかけても、冬は振り返らない。
いつもの散歩かと思ったロイだったが、しばらくすると冬が戻ってきた。
そしてロイの服の裾をくわえる。
「……どうした?」
「にゃ」
冬はそのまま外へ向かって歩き出した。
「ついてこいってことか?」
「にゃ」
「……分かったよ」
ロイは冬の後を追った。
宿の裏手を少し回ったところで、冬が足を止める。
「……?」
その先に、人が倒れていた。
「えっ?」
慌てて駆け寄る。
そこに倒れていたのは、一人の少女だった。
長い髪は泥で汚れ、服もところどころ破れている。
顔にも土がついていた。
そして何より目を引いたのは、長く尖った耳だった。
「……エルフ?」
ロイは思わず呟いた。
少女は細い身体を丸めるようにして、地面に倒れている。
「大丈夫ですか?」
肩に触れて、ゆっくりと声をかける。
すると少女が、かすかに目を開けた。
「……」
「聞こえますか?」
少女はロイを見上げた。
そして、小さな声で呟く。
「……お腹……」
「え?」
「……すいて……」
「……そっちかよ!」
思わずツッコミを入れてしまった。
だが、それだけ言うと少女は再び目を閉じた。
「ちょっと!」
ロイは慌てて少女を抱き起こす。
「冬、よく見つけたな」
「にゃ」
冬は少女の手に鼻を近づける。
そして、ぺろりと舐めた。
「……珍しいな」
冬は普段、知らない人にはそこまで近づかない。
それなのに、少女から離れようとしなかった。
「とりあえず、宿に運ぶか」
ロイは少女を抱え、宿へ戻った。
⸻
しばらくして。
「……ここは?」
少女が目を覚ました。
「気がつきましたか?」
ロイが声をかける。
「……はい」
「さっき宿の裏で倒れていたので、ここまで運びました」
「……そう、ですか」
少女はゆっくりと身体を起こす。
その横には、冬が座っていた。
「……猫」
「冬っていいます」
「……ふゆ?」
「はい。俺がつけた名前です」
「……可愛い名前ですね」
少女が冬に手を伸ばす。
冬は逃げるどころか、その手に顔を寄せた。
「にゃ」
「……ふふ」
少女の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「そういえば、これ」
ロイは棚から一本の瓶を取り出した。
「飲めますか?」
「……これは?」
「ポーションです」
少女は瓶を受け取り、恐る恐る口をつける。
「……甘い」
「ですよね」
「……ポーションって、こんな味なんですか?」
「これはちょっと特別でして」
「……おいしい」
「フルーツ牛乳ポーションっていうんです」
「……フルーツ牛乳?」
「はい」
少女は不思議そうに瓶を見つめた。
その時だった。
「ぐぅぅ……」
部屋に大きな音が響いた。
少女の顔が真っ赤になる。
「……」
「……」
ロイは少しだけ笑った。
「まだお腹空いてますよね」
「……はい」
少女は恥ずかしそうに俯いた。
ロイは少し考える。
そのまま食事を出してもいい。
だが、今の彼女の姿を見ると、それより先にすることがあった。
「……先に、お風呂に入りましょうか」
「お風呂……?」
「うちには温泉があるんです。身体も温まりますし、疲れも取れますよ」
少女は少し驚いた顔をする。
「温泉……」
「その間に食事を作っておきます。お腹、空いてますよね?」
「……はい」
「じゃあ、決まりですね」
ロイは立ち上がった。
「こっちです」
少女を温泉へ案内する。
その後ろを冬もついていこうとする。
「冬は入れないぞ」
「にゃ……」
冬が残念そうに鳴いた。
「そんな顔してもダメ」
「にゃぁ……」
「……ほら、そこで待ってろ」
ロイは苦笑しながら、冬を置いて温泉へ向かった。
⸻
温泉の湯気が、ゆっくりと立ち上っている。
少女は湯船に身体を沈めた。
「……」
しばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……こんなに温かい……」
肩まで湯に浸かる。
「……気持ちいい」
冷えきっていた身体が、少しずつ温まっていく。
疲れも、張りつめていた身体も、ゆっくりとほどけていくようだった。
その頃、ロイは厨房に立っていた。
「さて……何を作るかな」
空腹の相手に、凝った料理を作る必要はない。
身体に優しく、しっかり食べられるもの。
ロイはスープを作り、パンを用意する。
それから簡単な料理をいくつか並べた。
「これくらいあれば大丈夫だろ」
「にゃ」
気づけば、冬も厨房に来ていた。
「お前はさっき食べただろ?」
「にゃ」
「……分かったよ」
ロイは冬にも少しだけ食事を用意する。
冬は満足そうに食べ始めた。
「まったく……」
ロイは苦笑しながら料理を続けた。
⸻
しばらくして。
「……お待たせしました」
少女が温泉から戻ってきた。
泥で汚れていた髪は綺麗になり、顔についた汚れもすっかり落ちている。
ロイは思わず目を見張った。
「……ずいぶん綺麗になりましたね」
少女の手が止まる。
「……この肌でも、ですか?」
「え?」
少女は少しだけ俯いた。
「……いえ」
「……?」
「何でもありません」
ロイは気になったものの、無理に聞くことはしなかった。
「それより、ご飯できてますよ」
「……!」
少女の目が料理へ向く。
「そんなにお腹空いてたんですね」
「……はい」
「では、どうぞ」
「……いただきます」
少女は恐る恐る料理を口に運ぶ。
「……」
そして、もう一口。
「……おいしい」
「それはよかった」
少女は夢中になって食べ始めた。
パンを食べ、スープを飲み、また料理に手を伸ばす。
その様子を見ながら、ロイは少し安心した。
「ゆっくり食べてくださいね」
「……はい」
少女は小さく頷いた。
⸻
食事を終える頃には、少女の表情も少し柔らかくなっていた。
その時、冬が少女の足元へ近づいていく。
「……冬?」
少女がしゃがみ込む。
そして、そっと冬の頭を撫でた。
「……ふわふわ」
「にゃ」
冬は気持ちよさそうに目を細める。
そして、そのまま少女の手に頭を擦りつけた。
「……」
少女は驚いたように冬を見る。
もう一度撫でる。
冬は逃げない。
むしろ、さらに身体を寄せていく。
「……冬がこんなに早く懐くの、珍しいな」
「そうなんですか?」
「うん。知らない人には、結構警戒するんですよ」
「……そうなんですね」
少女は嬉しそうに冬を撫で続けた。
「……可愛い」
「にゃ」
冬が少女の膝に前足を乗せる。
「ふふ……」
少女の口から、小さな笑い声がこぼれた。
ロイはその様子を見て、微笑む。
「どうやら、気に入られたみたいですね」
「私が?」
「はい」
少女は少し驚いた顔をして、それから冬の頭を優しく撫でた。
「……嬉しいです」
その言葉は、とても小さかった。
けれど、今までよりも少しだけ。
少女の声には、安心したような響きがあった。




