↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/13

絵巻の端

 ホテルへ戻った頃には、昼間の青空はすっかり姿を変えていた。


 赤井廃寺へ向かう途中で見た大きな入道雲は崩れ、窓の向こうには薄い灰色の雲が広がっている。遠くで雷でも鳴っているのか、時折、低い音が聞こえた。


 滝井総司は部屋へ入るなり、肩からカメラバッグを下ろした。


「あっつ……」


 汗を吸ったシャツが背中に貼りついている。


 冷蔵庫から水を取り出し、半分ほど一気に飲む。


 本当なら、そのままベッドへ倒れ込みたいところだった。


 だが、今日は鞄の中にそれより気になるものがある。


 デスクへ座り、ノートパソコンを少し脇へ寄せた。


 鞄から取り出したのは、赤井覚禅から借りた薄い冊子だった。


『梅木伝承集 赤井寺提供分控』


 表紙の文字を、もう一度見る。


 市役所に保管されていた『梅木伝承集』そのものではない。


 赤井寺が編纂時に提供した資料や、その際に戻ってきた複写物などを寺側でまとめておいたものだ。


「さて、と」


 滝井は取材ノートを開いた。


 最初のページに、この数日で拾った言葉を書き並べる。


 刀墓古墳。


 蛇の抜け殻。


 刀墓の神女。


 大和国。


 興福寺。


 赤井寺。


 そして、殺された男。


 ペン先を止めた。


 こうして並べると、関係しているように見える。


 だが、関係しているように見えることと、本当に関係があることは違う。


 そこを間違えると、記事は簡単に怪談になる。


 滝井は昔、雑誌の編集者から言われたことがある。


 偶然を三つ並べれば、不思議な話は作れる。


 五つ並べれば、陰謀論まで作れる。


 だからこそ、取材する側は一度疑わなければならない。


 自分が見たいものだけを、見ていないか。


「……読んでみるか」


 冊子を開いた。


     ◇


 内容は雑多だった。


 赤井寺の由緒。


 江戸時代の火災。


 檀家から聞き取った昔話。


 雨乞い。


 地域の祭礼。


 飢饉の際、寺が米を配ったという記録。


 古い墓石の写真。


 そして、既に失われた仏具のスケッチ。


 旅行記事を書くつもりなら、それだけで十分面白い。


 だが今の滝井が探しているのは、そこではなかった。


 数十ページ進んだところで、手が止まった。


『刀墓神女』


「……あった」


 思わず声が漏れた。


 滝井は椅子へ座り直した。


 民俗館で見た記述よりは詳しい。


 とはいえ、伝承の骨格そのものは同じだった。


 鎌倉の頃、刀墓の地に美しい神女がいた。


 神女は白蛇を従えていた。


 その姿をみだりに見ることを禁じた。


 禁を破った者には神罰が下る。


 それだけを読めば、地方にありがちな禁忌譚とも言える。


 滝井は次のページをめくった。


 そこには、赤井寺と刀墓の関係についての短い記述があった。


 刀墓へ衣を遣わした。


 米を届けた。


 使いの者が往来した。


 ところどころ文字が潰れており、すべてを読むことはできない。


「赤井さんが言ってたのは、これか」


 少なくとも、赤井寺と刀墓には中世から何らかの交流があった。


 これは確認できた。


 だからといって、殺された男が鎌倉時代から来た証拠にはならない。


 赤井寺について現代人が知る方法はいくらでもある。


 ネット。


 書籍。


 郷土資料。


 それに、そもそもスナックのママが聞いた寺名が、本当に赤井寺だったのかも分からない。


 赤だったか、青だったか。


 その程度の記憶だった。


「まだ弱いなぁ」


 滝井はノートへそう書いた。


 ページを進める。


 しばらくして、白黒の図版が現れた。


 刀墓縁起絵巻。


 民俗館で見たものと同じだった。


 長い髪の少女。


 その足元に白蛇。


 小さな祠のようなもの。


 傍らには箱。


 そして、その少し後ろに一人の男が描かれている。


 滝井はページをめくった。


 別の場面。


 また少女がいる。


 白蛇。


 そして、やはり男がいる。


「……こいつ、ずっといるんだな」


 今まで意識していなかった。


 当然だった。


 伝承の題名は『刀墓の神女』なのだ。


 絵を見れば、まず少女を見る。


 次に白蛇を見る。


 男は背景の一部くらいにしか思っていなかった。


 だが、何度見てもいる。


 少女が座っている場面にも。


 何かを受け取っている場面にも。


 小さな祠の前に立っている場面にも。


 いつも少し後ろにいる。


 従者だろうか。


 使用人か。


 それとも別の役割があるのか。


 滝井はスマートフォンを取り出し、図版を撮影した。


 画面を拡大する。


 複写そのものが古いため、画質は粗い。


「もうちょい綺麗ならなぁ」


 さらに拡大した。


 その時だった。


 男の胸元に、小さな印があることに気づいた。


「……ん?」


 指で拡大する。


 円のような形。


 その内側から、三方向へ細い線が伸びている。


 花にも見える。


 日の光にも見える。


 装飾だろうか。


 滝井は冊子へ視線を戻した。


 別の図版。


 今度の男は、少女に背を向けている。


 背中にも何かが描かれている。


 スマートフォンで撮り、同じように拡大した。


 先ほどと同じ印だった。


「……同じだ」


 滝井は二枚の写真を画面上で交互に見比べた。


 一枚なら、単なる着物の柄かもしれない。


 二枚。


 しかも同じ人物の衣服へ、意図的に同じ印が描かれている。


 何らかの所属を示している可能性がある。


 滝井は取材ノートへ形を写した。


 丸。


 中から伸びる三本の線。


 描き終えてから、自分の絵を眺める。


「下手くそだなぁ……」


 これでは、むしろ分かりにくくなった。


 それでも、一つ思い当たる言葉があった。


「家紋……?」


 もちろん、滝井に家紋の知識などない。


 三つ葉葵や桐なら分かる。


 その程度だ。


 しかし、分からないなら分かる人間に聞けばいい。


 最近、その役目をずいぶん一人の男へ頼っている気がする。


「また森野さんか」


 滝井は苦笑した。


     ◇


 翌朝。


 梅木市役所の歴史課を訪れると、森野大二は自席で書類を読んでいた。


「おはようございます」


「ああ、滝井さん」


 森野が顔を上げる。


「今日は何を見つけたんです?」


「俺が来るたびに何か持ってくる前提になってません?」


「ここ数日は、だいたいそうですから」


「否定できないなぁ」


 滝井はスマートフォンを取り出した。


「これ、見てもらえます?」


 画面に絵巻の写真を表示する。


 森野は眼鏡を少し上げた。


「刀墓縁起絵巻ですね」


「赤井寺に残ってた控えです」


「赤井寺?」


「昨日行ってきました」


 森野は少し驚いた。


「行動が早いですね」


「旅行ライターですから」


「それは関係あります?」


「多分」


 滝井は男の胸元を拡大した。


「これなんですけど」


 森野が覗き込む。


「紋ですか」


「家紋かなと思って」


「可能性はありますね」


「分かります?」


「私は家紋の専門家ではありませんので、期待しないでくださいね」


 森野はしばらく画面を見たあと、椅子から立ち上がった。


「少し待っていてください」


「何かあるんですか」


「昔の調査資料を確認してみます」


 そう言って、歴史課の奥へ消えた。


 滝井は窓口脇の椅子へ座った。


 待っている間、無意識にあの日の席へ視線が向いた。


 偽の中島が座っていた場所。


 今は別の職員が使っている。


 名札は当然、中島ではない。


 あの男は何者だったのか。


 なぜ自分に『梅木伝承集』を見せたくなかったのか。


 そして、なぜ資料そのものを盗む必要があったのか。


 その答えも、まだない。


 二十分ほどして、森野が戻ってきた。


 分厚いファイルを抱えている。


「ありました」


「早いですね」


「これです」


 机に置かれたファイルの背には、


『梅木旧家・屋号調査 昭和五十八年度』


 と書かれていた。


「昭和五十八年……」


「市内の古い家や屋号、墓石、家紋などを聞き取った調査です。完全なものではありませんが」


 森野がページをめくる。


 白黒写真。


 屋号。


 古い姓。


 簡単な家系図。


 既に絶えた家の記録もある。


 そして、あるページで指が止まった。


「これです」


 滝井は身を乗り出した。


 そこに描かれていた紋は、昨夜見たものによく似ていた。


 円。


 三方向へ伸びる線。


 その横には、小さく名称が書かれている。


『日輪崩し』


 そして、その下。


『後光家』


「……後光」


「ごこう、と読みます」


 森野が言った。


「梅木では古い家の一つですね」


「どれくらい古いんです?」


「市の記録で確実に追えるのは江戸期までです。それ以前は、家に残る記録や寺社側の資料を見ないと何とも言えません」


「今もある?」


「後光家ですか?」


「はい」


「ありますよ」


 滝井は森野を見る。


「まだ梅木に?」


「ええ。刀墓町の西側です。昔から同じ辺りに住んでいる家ですね」


 森野はすぐに付け加えた。


「ただし」


「はい」


「この家紋が似ているというだけで、絵巻の男が後光家の人間だったと決めないでくださいね」


「分かってます」


「本当に?」


「最近、信用ないなぁ」


「慎重になっているだけです」


 森野は真顔だった。


「絵巻は後世に描き直されている可能性もあります。描いた人間が、自分の時代の家紋を入れた可能性もある。似た紋を使った別家もあり得ます」


「なるほど」


 滝井はノートへ書き留めた。


 森野の言う通りだ。


 家紋が一致した。


 だから鎌倉時代から後光家が神女を守っていた。


 そこまで飛べば、ただの物語になる。


「でも、聞いてみる価値はありますよね」


「それは否定しません」


「後光家って、場所分かります?」


 森野が少し困った顔をした。


「個人宅の住所を、市の立場からお教えするのは避けたいですね」


「あ、そうか」


「ただ、旧調査には『刀墓西集落』とあります。珍しい名字ですし、現地を歩けば表札くらいは見つかると思います」


「十分です」


 滝井は立ち上がった。


「行ってみます」


「滝井さん」


「はい?」


「断られたら、ちゃんと帰ってきてくださいね」


「俺、そんなに食い下がるタイプに見えます?」


「見えます」


「即答……」


 森野は、今度は少しだけ笑った。


     ◇


 市役所を出る。


 夏の日差しが、容赦なく道路を照らしていた。


 滝井はスマートフォンへ簡単なメモを残した。


 後光家。


 日輪崩し。


 刀墓西集落。


 まだ証拠ではない。


 ただの一致。


 それでも。


 絵巻の中で、神女のそばに何度も描かれた男。


 その男が身につけていた印と、現在まで梅木に残る家の紋が似ている。


 調べない理由はなかった。


 滝井は帽子を被り直した。


 次に訪ねるのは、後光家だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。