第5話 監督 中村
【読者の皆様へ】
本作品はフィクションです。実在の人物・団体・高校・特定の大会および行政機関・制度等とは一切関係ありません。
「もしもし。中村監督、お久しぶりです。彩花です」
彩花くんか。確か15年くらい前にマネージャーだった子だ。卒業後も時折OB会の顔出しや寄付の取りまとめをしてくれていたから、よく覚えている。こうして現場を退いたあとも、かつての教え子と縁が繋がっているというのは、指導者冥利に尽きるというものだ。
彼女は挨拶も早々に、どこか改まった声でこう告げてきた。
「OBの田村くんと山田くんという二人が、どうしても監督に会いたがっていまして……」
田村と山田。
……誰だ?
彩花くんからの連絡ということは、あの代か。ベスト8まで進んだ、佐竹の代。
佐竹や、エースの木村、主将だった鈴木なんかの名前はすぐに浮かぶ。……だが、田村と山田という名前にまるで聞き覚えがない。どんな選手だったろうか。途中で辞めた部員だったか、それとも控えの捕手だったか。思い出そうとしても、霞がかかったように何も浮かんでこなかった。
「……何か、私に用でもあるのかね?」
「はい。会えば分かりますよ。二人とも、監督に伝えるために15年間ずっと言葉を温めてきたみたいですから」
そう言って、彩花くんは少し思わせぶりに電話を切った。
何の話だろう。15年ぶりの再会で、元教え子たちがわざわざ私に話したいこと。
……あっ。あれか。
最近、ニュースや新聞を騒がせているあの件か。
スポーツ庁の若手官僚が言い始めたという、甲子園の『応援ダンス』を強制する学校への処分や、補欠問題に関する改革案。
そうか。その二人もあの夏のアルプススタンドで青春を謳歌した部員だったか。
「自分たちの思い出を、行政の理屈で否定されたくない」と、高野連の幹部になった私のもとへ直訴しにくるつもりなのだろう。
私は数年前に監督を退任し、現在は高野連の外部理事を務めている。甲子園常連校の元監督としての現場感覚と、組織の重鎮としての立場。その二人にとっては、最も頼もしい相談相手に見えるのかもしれない。
あまり気乗りはしないが、何かと顔を出してくれた彩花くんの頼みだ。元教え子が「青春を守りたい」と熱弁を振るうのを聞くくらいなら、付き合ってやってもいいだろう。
——15年前の夏。甲子園開幕を数日後に控えたサブグラウンド。
猛暑の中、レギュラー陣のフリー打撃を見守っていた私の視界の隅で、グラウンドの影に集まったベンチ外の部員たちが何かをやっていた。テンポに合わせて、ヘラヘラと珍妙な踊りを踊っている。
……あれは、確かTikTokとかいう若者の流行りか。
何が楽しいのやら、さっぱり理解できない。まあ、老人に若者の感覚が分からないのは当然のことだ。
ベンチ入りメンバーが確定した今、ベンチ外の彼らに厳しい練習を強制するのも酷というものだ。熱中症になられても困る。レギュラー陣が練習中にあんな不真面目な態度をとっていたら一喝してグラウンドから叩き出すところだが、彼らが部活の時間を使って仲間と好きに楽しんでいるというなら、わざわざ水を差すこともあるまい。
そう思っていた数日後。スタンド組のリーダーと称する部員……ええと、相沢といったか。あの威勢のいい部員が、目をキラキラと輝かせて私のところにやってきた。
「監督! 俺たち、これをアルプススタンドで踊って、チームの力になりたいんです!」
あの珍妙なダンスを踊ることが、チームの力になる……?
正直、意味が分からなかった。すでにチアリーディング部もブラスバンド部も帯同が決まり、着々と準備を整えてくれている。わざわざ男子部員がユニフォームで踊る理由がどこにあるのか。
だが、彼らの顔は真剣そのものだった。
きっと、彼らなりの「チームへの貢献の形」なのだろう。若者の流行りを取り入れた新しい応援スタイルというやつか。私のような古い人間には理解できなくとも、彼らが自分たちの意志でやりたいと熱望しているのだから、否定してやることもない。
「おお、そうか! いいんじゃないか、頼むぞ!」
私は彼の肩を叩き、笑顔で送り出した。指導者として、生徒の自主性を尊重した良い対応をしたと思った。
——あれから15年。
あのダンスが今、世間から「不当な拷問」「惨めな晒し上げ」などと批判され、制度として潰されようとしている。
私にはあのダンスの価値も、何がそんなに楽しいのかも結局最後まで分からなかった。だが、自分が高校時代に情熱を傾けた「好きなもの」を、大人や世間から否定されたくないという気持ちは分かってやれる。
「田村」と「山田」か。
覚えていない教え子ではあるが、当時の思い出話でも聞きながら、高野連の立場として彼らの「熱い懇願」を受け止めてやるとしよう。
相沢から「スタンドで踊らせてほしい」と直訴された日の、数日後のことだ。
近所の公立高校野球部を我が校のグラウンドに招き、三年生のベンチ外メンバーだけで戦う「引退試合」を開催した。
私は監督としてベンチに座っていた。2軍コーチから「最後ですから、中村監督がベンチで指揮を執ってあげてください」と強く勧められたからだ。いつもは下級生や控え選手の面倒はすべて下のお任せにしていたが、任された以上は指導者としてしっかりやらねばならない。
だが、ベンチに入って早々、私は大きな壁にぶつかった。
……顔と名前が、一致しないのだ。
まずはそこからだ、と私は手元の名簿と選手たちの顔を何度も何度も見比べた。
相沢。コイツはあの元気な自称スタンド組リーダーだから覚えた。
中村。お、私と同じ苗字だな。これは覚えやすい。……ん?… むむ。名簿をよく見ると「中村」が二人もいるじゃないか。やっぱり苗字じゃなく名前で覚えるか…?いや、名前も「翔」が3人もいる。ダメだ。バッターボックスに送り出す際、呼び間違えて恥をかかせるわけにはいかない。衆目の面前での名前間違いは年頃の男子のプライドを最も傷つける行為だ。私は試合序盤、選手たちの判別に全神経をすり減らしていた。
そうこうしているうちに、試合は恐ろしいペースで崩壊し始めていた。
マウンドに上がる投手はストライクが入らず四球を連発し、野手は簡単なゴロをエラーする。連携も何もあったもんじゃない。試合が終わったらひとりひとりに「あのプレーは良かったぞ」と声をかけてやろうと心に決めていたのだが、褒めるべき良いプレーが何ひとつとして出てこない。
それ以前に……我がチームの選手たちは、揃いも揃ってなぜこんなに線が細いんだ?
相手の公立校の選手たちの方が、遥かに太ももが太く、胸板も分厚いではないか。
……せめて当時から、「走り込みは筋肉を落とす」という現代的なトレーニング知識さえ持っていればな……。
「どうしたんですか中村さん。急に苦笑いなんて浮かべて」
高野連の理事会が終わり、控え室で冷えたお茶を飲んでいた時のこと。声をかけてきたのは、同じく外部理事を務める小泉くんだった。私よりひとまわり若いが、高野連の組織改革・若返りの象徴として外部理事に抜擢された元プロ野球選手の男だ。
「いや、昔のことをちょっとな……」
「それにしても大変ですねえ、中村さん。まさかネットであそこまで標的にされちゃうなんて」
小泉くんは同情と、ほんの少しの野次馬根性が混ざったような顔で言った。
「……ん? ネットの標的とは、なんのことだね?」
「えっ、知らないんですか!?」
小泉くんは目を見開き、慌ててポケットからスマートフォンを取り出すと、男が泣いている動画をおもむろに私に見せてきた。
聞けば、あの時熱意を持って『踊らせてほしい』と直訴してきたはずの相沢が、YouTubeの生配信でボロボロと涙を流しながら「あんなダンスは惨めで屈屈辱だった」「自分は道化を演じていた」と訴えたらしい。
そしてSNS上では、当時の監督であり、現在高野連の外部理事という肩書を持つこの私が——彼らに珍妙な踊りを強要し、尊厳を無惨に踏み躙った『悪の親玉』として猛烈に炎上し、糾弾されているというのだ。
「そんな……バカな……」
スマートフォンの画面の中で、涙を拭うかつての教え子の姿を、私はただ呆然と見つめることしかできなかった。
あいつらは……あのダンスを、自分たちの意志でやりたいと言ってきたのではなかったのか?
チームのために踊りたいと、輝くような笑顔でお願いしてきたのではなかったのか?
なぜ……なぜ、そんなことになっている……?
——15年前、甲子園一回戦を突破した日の夜。
宿舎の自室で、缶ビールを片手に夜のスポーツニュースを観る。1日中の緊張から解放され、冷えたビールを喉に流し込むこの時間こそが、監督としての至福のひと時だった。
画面には、9回裏にサヨナラ本塁打を放った佐竹の誇らしげな表情が映し出されていた。よしよし、いい顔をしている。
ところが、画面が切り替わると、思いもよらない映像が飛び込んできた。
アルプススタンドで珍妙なダンスを繰り広げる、相沢たちスタンド組の映像だった。あろうことかアナウンサーは彼らのダンスを熱っぽく取り上げ、相沢への単独インタビューまで流している。まるで、泥にまみれて勝利を掴み取ったナインよりも、彼らの方が勝利の主役であるかのような扱いだった。
「……これは、レギュラーメンバーには見せられないな」
私は苦笑いを浮かべ、リモコンを取ってテレビの電源を切った。
ただでさえナイーブな高校生だ。血の滲むような練習に耐えてグラウンドに立っているレギュラー陣がこれを見たら、ヘソを曲げる者が出てくるかもしれない。
つまみをひとつ摘みながら、深いため息をつく。
それでも……毎年、ベンチに入れてやれなかった大勢の部員たちには、指導者として申し訳なさと罪悪感を抱え続けてきた。彼らがスタンドで自分たちの居場所を見つけ、心から楽しそうに笑えているのなら、それでいいじゃないか——。
あの夜、私はそう自分に言い聞かせて納得していたのだ。
——そして今。
私の目の前には、まったく「楽しそうではない」顔をした、二人の大人の男が座っている。
田村と、山田。
かつて我が校のユニフォームを着ていたはずの、だが私の記憶の底にすら引っかからなかった教え子たちだ。そして目の前にいる山田という男こそが、高野連を揺るがす制度改革を仕掛け、世論を巻き込んで私を「悪の親玉」に仕立て上げた若手官僚、その張本人だという。
「言っておくが、私はあの夏、お前たちにダンスをしろなんて命令した覚えはないし、今だってあのダンスを続けてほしいなどと微塵も思っていないぞ」
私の少し刺すような言葉に対して、山田は顔色一つ変えず、感情を完全に削ぎ落とした冷徹な声で淡々と答えた。
「ええ、存じております。……ご安心ください。すぐに相沢に『監督に命じられたわけではない』とYouTubeで補足させましょう。相沢とは現在、田村がパイプを繋いで連携を取っていますから」
そこまで一気に捲し立てると、山田は眼鏡の奥の鋭い目を私に向けた。
「ただし——私がスポーツ庁として提案する『部員出場機会均等化命令』および高野連の自主改革案を、中村監督、あなたが理事として全面的に後押ししてくれるなら、ですが」
……若僧が。
いっちょ前に、元監督であり高校野球界の重鎮でもあるこの私に駆け引きを持ちかけるつもりか。
私を世間の炎上から守ってやる代わりに、自らの政治的な改革に高野連理事としての私の肩書きを利用する。計算し尽くされた不敵な笑みだった。
だが——。
胸の奥に湧き上がってきたのは、不快感ではなく、不思議なほど悪くない気分だった。
名前すら覚えてやれなかった、影の薄かったはずの補欠部員が。
15年の歳月を経てキャリア官僚となり、私という巨大な壁を前にしても怯むことなく、対等に駆け引きを挑んでくるまでに成長している。
かつてはグラウンドの隅で指をくわえて見ていた少年だったであろうに、自分の足で立ち上がり、私を、そして高野連という組織を動かそうとしているのだ。
指導者として、これ以上の皮肉があり、これ以上の「教え子の成長」があるだろうか。
私はゆっくりと深く身体を折り曲げ、肘を膝について山田と田村の目を正面から見据えた。
「……それで? 具体的には、この老いぼれにどう動いてほしいのかね?」
腹を割った話は、あらかじめ用意されていた面会の時間を大幅に超えて、熱を帯びたまま続いていった。
山田、田村との長い話し合いを終えて家に帰り、私は真っ先に書斎の奥へ向かった。
押し入れのダンボールをひっくり返し、一冊の古いアルバムを手繰り寄せる。
私が監督を務めていた頃、夏の大会を去る際には、毎年必ずベンチ入りメンバーだけでなく、応援席の部員も全員含めた「部全体での集合写真」を撮影させていたはずだ。
佐竹や彩花たちの代——あの夏の写真を探す。
……あった。
満面の笑みを浮かべる佐竹やレギュラー陣。その横でカメラに向かってポーズをとる相沢。
そして、その後方。泥ひとつついていない綺麗なユニフォームを着た集団の中に、私は二人を見つけた。
山田と、田村。
間違いなく、今日私と対峙したあの二人だった。
写真を指でなぞりながら、私は言葉を失った。
……山田や田村だけではない。
前列で輝くような笑顔を見せる相沢たち数人を除いて——スタンドにいた部員たちのほとんどが、確かに「死んだ目」をしていた。
この世のすべてを呪って、呪って呪って呪い尽くして力尽きたような、冷たく濁った目。
……なぜ、当時の私はこの目に気づけなかったのだろう。
いや、「気づこうとしなかった」のだ。
甲子園という華やかな光の陰で、自分の教え子たちがこんな目をしながらピエロを演じさせられ、尊厳を削り取られていたという現実から、私は無意識に目を逸らしていたのだ。
アルバムのページをめくる。
ダンスが「伝統」として受け継がれてしまった翌年も、その翌年も。
写真の中の補欠部員たちは、数人を除いて、まったく同じ死んだ目をしていた。
「……すまなかった」
誰もいない書斎で、私は静かにアルバムを閉じ、深く、深く頭を下げた。
——翌日。
私は相沢が設定したYouTubeの緊急生配信の現場にいた。
カメラが回り始めると、相沢はどこか吹っ切れたような、けれど緊張した面持ちで口を開いた。
「——先日の配信で僕が話したことについて、補足させてください。アルプススタンドでのダンスについてですが、中村監督から命令されたという事実は一切ありません。僕たちが、自分たちの意思で始めたことでした」
相沢の言葉を受け、私は静かにマイクを引き寄せた。レンズの向こう側にいる、全国の野球ファン、そして何より現役の高校生たちに向かって語りかける。
「指導者であった私の不徳の致すところです。ダンスを命令した事実はありませんが、ベンチに入れなかった部員たちの孤独や葛藤、メンタルケアを怠り、無自覚に彼らを追い詰めてしまっていた責任は、すべて私にあります。部員たちに、悲しい思いをさせてしまったことを……心から申し訳なく思っている」
私はカメラの前で、深く頭を下げた。
配信の最後、アナウンサー役の田村から「スポーツ庁が打ち出した『部員出場機会均等化命令』や改革案について、高野連の理事としてどう思われますか」と問われた。
私は隣に立つ相沢と目を合わせ、力強く頷いてから答えた。
「時代の変化とともに、高校野球のあり方も変わっていかねばなりません。甲子園という聖域の陰で、誰一人の尊厳も踏みにじられることのないよう……一度、高野連の組織として真剣に話し合い、変わるべき時が来ていると確信しています」
言葉を終え、私は相沢に向き直り、しっかりと右手を差し出した。
相沢は一瞬間を置き、溢れそうになる涙を堪えながら、その手を両手で強く握り返してきた。
カメラの向こうで、15年越しの止まっていた歯車が、一気に動き始める音が聞こえた気がした。
これでいいんだな、山田。
あとは……お前の仕事だ。




