第4.5話 四番 佐竹
【読者の皆様へ】
本作品はフィクションです。実在の人物・団体・高校・特定の大会および行政機関・制度等とは一切関係ありません。
甲子園が終わった。
ぽっかりと空いた胸の穴に、猛烈な喪失感が入り込んでくる。
準々決勝で敗れた最後の相手、一条は、将来間違いなく日本を代表するような化け物ピッチャーだった。あの直球と変化球。何度人生をやり直したって、勝てるイメージが湧かない。だから後悔はなかった。ベスト8。強豪校の4番として、チームのホームラン王として、俺はできる限りの結果を出したはずだった。
甲子園から戻ってすぐ、彩花に別れを告げられた。
少し前に田村と別れたと聞いて、「じゃあ俺と付き合えよ」と言ったら、驚くほどあっさりと俺の彼女になった女だ。そして今、入ってきた時と同じくらいあっさりと、俺の手をすり抜けて去っていった。…ビッチめ。お前は死ぬまで男を乗り換え続けるんだろうよ。
……まあ、いい。俺は甲子園ベスト8のヒーローだ。
大会期間中、監督の指示で没収されていたスマートフォンを受け取ると、画面にはおびただしい数の女子からのメッセージや連絡先が届いていた。彩花には他の女にはない特別な何かを感じていたのは事実だけど、振られたなら仕方ない。俺を求める女なんて、他にいくらでもいるのだから。
そう自分に言い聞かせていた。……あの、二学期の始業式の日までは。
教室に入ると、人だかりができていた。
その中心にいたのは、相沢だった。女子たちに囲まれ、まるで世界を救ったヒーローかのように持て囃されている。
補欠の、ベンチ外の、あの猛暑のアルプススタンドで惨めに珍妙な踊りを踊っていただけの奴が、なぜ……?
「いやー! 俺もチームのみんなのために全力で頑張っちゃったからさー!」
相沢がカメラの前で見せていたような変顔をしておどけてみせる。女子たちがキャーキャーと甲高い歓声をあげた。
——チームのみんなのために? 冗談だろ。
グラウンドで打席に立っている俺たちから、スタンドの踊りなんて見えるわけもない。俺は心の中で吐き捨てるように毒づいた。
だが、相沢の周りから人が散る気配はない。
「相沢くーん! テレビ見たよー! 超ウケる!」
廊下を通りかかる女子生徒までが、足を止めて相沢に手を振っている。
テレビ……?
そこでようやく、冷や水を浴びせられたような衝撃とともに理解した。
ああ、そうか。みんな、高校野球なんて、スポーツの勝ち負けなんて、本当はどうでもいいんだ。
甲子園ベスト8の4番打者で、チームのホームラン王。そんな実績なんて、テレビの力に乗っかって珍妙なダンスでSNSでバズった奴の足元にも及ばない。
あの日、あの甲子園で、ここにいるみんなにとっての「主役」だったのは、汗と涙を流してダイヤモンドを回っていた俺たちじゃない。アルプススタンドでピエロを演じていた、アイツだったんだ。
そして俺は、あの夏を最後に野球を辞めた。
あれから15年。
今の俺は、どこにでもある普通の企業の、どこにでもいる普通の営業マンだ。
それなりの年齢で普通に結婚して家庭を持ち、土曜日には公園でまだ幼い息子とキャッチボールをしている。
「分相応」という言葉がしっくりくる。才能の限界を知り、夢から降りて、普通の30代の大人になれた。今の時代、これでも十分に「優秀な部類」の人生のはずだ。自分にそう言い聞かせて生きている。
最近、ニュースでスポーツ庁があの応援ダンスをやめさせようと動いているのを見た。
それに乗っかるようにして相沢がYouTubeでまたプチブレイクし、そして最後はなぜか涙の生配信をして突然更新を止めた。
人騒がせな奴。15年経ってもまだ自分を「物語の主人公」だと信じ込んでいるのだろうか。
哀れだなと思う。お前はどこまで行っても脇役だよ。ホンモノにはなれない。……俺と同じように。
ふと、スマートフォンの画面を見る。
インスタグラムのDM欄に、見覚えのないアカウントからメッセージが届いていた。差出人は「田村」。
『会って話がしたい』
田村って……あの田村か?
15年前、俺が彩花を奪った…まあ正確にはふたりが別れた後だから奪ったわけじゃないが…あの補欠の田村か?
……え、何これ。15年越しに復讐でもしに来る気か?
…怖。
俺は一瞬の迷いもなく、ブロックボタンをタップした。




