第4話 マネージャー 彩花
【読者の皆様へ】
本作品はフィクションです。実在の人物・団体・高校・特定の大会および行政機関・制度等とは一切関係ありません。
「彩花ってビッチだよねー。ちょっといい男がいるとすぐ乗り換える」
影でそう言われているのは知っている。どうぞ好きに言ってて。私のことを何も知らない外野の雑音なんて、どうでもいいの。
15年前の夏、甲子園準々決勝。
相手投手の一条選手は、これまで当たってきた相手とは次元が違う「ホンモノ」だった。将来日本を代表する選手になると言われる彼が投げるボールは、スタンドから見ていても恐ろしいほどの迫力があった。
打席に立つ私たちのチームの選手たちは、試合を通してずうっと「打てるわけがない」という顔をしていた。あの相沢くんですら、アルプススタンドで神妙な顔をして、自嘲気味に踊っていた。
そのまま、チームは何もできないまま完敗した。
私の彼氏、4番の佐竹くんも、一度もバットに当てることもできず、試合後は肩を落とし、ガックリとうなだれていた。
地元に戻って数日後、テレビのニュースで、私たちを破ったあの高校が甲子園で優勝したことを知った。
優勝インタビューで、一条選手は「まだまだ物足りないです。明日はもっと強い相手と戦いたいです」と本気なのかなんなのかよくわからないコメントをしていた。インタビュアーも「えっと、大会は今日で終わったわけですが…」と困惑していた。
画面を見つめながら、佐竹くんはへらへらと自虐的に笑った。
「やっぱ、ホンモノは違うわ。俺たちとは最初から生まれ持った才能が違うんだよ」
……ああ、まただ。
胸の奥が急激に冷めていくのが分かった。
田村くんといい、佐竹くんといい、スポーツマンってやつは本当にみんなそうだ。最初は「俺が一番になる!」とか勇ましくかっこいいことを言っている癖に、ひとたび大きな壁にぶつかると、すぐに「才能が……」「ホンモノは……」と自分に言い訳を始めて、諦めるための準備を始める。
才能のせいにして折れるくらいなら、最初からかっこつけるな。
私は、「ニセモノ男」の彼女になんてなりたくない。
数ヶ月前に田村くんに告げた時と、全く同じ温度のない声で言った。
「佐竹くん、別れたいの」
——あれから、15年。
そんな私も今や一児の母となり、穏やかで平穏な日々を送っている。
振り返ってみれば、私の好みは昔からずっと一貫してる。男がウジウジしているのを見るのが、死ぬほど大嫌い。逆に、どれだけ何言ってるかわからなくても、野心に目を輝かせている「男の子の目」を見るのは、たまらなく大好き。
ただそれだけのこと。別にステータスがどうとかで乗り換えてきたわけじゃない。
私の今の旦那さんは、社会人になってから出会った人。
大きくも小さくもないただの機械メーカーに勤めている人だけど、口を開けば「俺は大発明家だ」なんて真顔で言い張る変な人。夜、自宅のデスクで怪しげな図面を広げながら、「これが完成すれば……世界を征服できる」なんてブツブツ呟いている。
たぶんこの人は、死ぬまで「世界征服」を目指し続けるんだろう。バイキンマンの様に。
そして、死ぬまで野望を捨てないその目を、私は隣で死ぬまで眺めていたい。ドキンちゃんの様に。
インスタグラムの通知画面に、見覚えのないアカウントからDMが届いていた。
開いてみると、メッセージはたった一行。
『会って話がしたい』
ずいぶん直球なナンパだな、と呆れながら送信者のプロフィール画面を確認する。アイコンは野球ボールの写真。ユーザーネームを見て、思わず眉が跳ね上がった。
……田村くん?
ちょうどさっき、昔の男たちの情けない顔を思い出していたところだった。
どういう風の吹き回しだろう。あの夏、別れてからは一度だってまともに目を合わせようともしなかった癖に。15年経った今、彼はどんな顔をして、どんな暮らしをしているんだろう。
……でも。
私は一瞬だけ浮かんだ興味を打ち消し、高速でスマホのキーをタップし送信ボタンを押した。
『却下。なぜなら私は素敵な旦那様と幸せに暮らす人妻だからです』
スマホのストラップにつけた人形が丸まったり広がったりを繰り返しているのを見てほくそ笑む。私の素敵な旦那様の試作品だ。背中にver.27と書いてある。これがどう世界征服につながるのかは知らないけど。
……ブブッ。
スマホを置こうとした瞬間、即座に返信が届いた。
『そういう話じゃないんだ! 15年前から一歩進むために、お前と向き合う必要があるんだ!』
むう。
思わずスマホを握りしめる手が止まる。
意味はさっぱり分からない。けれど、「15年前」というワードをまっすぐぶつけられると、私だって弱い。
……私にだって、あの夏のことには少しだけ罪悪感があったのだから。
——あの夏。
甲子園のアルプススタンドで、私はマネージャーとして前方の席に座り、グラウンドの試合を見つめていた。
時折、気になって後ろを振り返ると、ベンチから漏れた部員たちが、猛暑の中で珍妙なダンスを踊っていた。少し前に私から別れを告げた田村くんも、その中にいた。
かわいそうだなとか、惨めだなとか、そういう同情は一切湧かなかった。ただただ「不思議だな」と思って見ていた。
いくらスポーツ推薦でこの高校に入ったとはいえ、いくら大学への推薦がぶら下げられてるとはいえ、帯同を断る言い訳なんていくらでも用意できたはずだ。「インフルエンザにかかった」でも「怪我のリハビリがある」でもいい。
もう彼らは、野球で勝負しようという気持ちなんてとっくに折れているように見えた。なのに、どうしてプライドを捨ててまであんな惨めな姿を晒すことを受け入れているんだろう。
気づけば、私はずっと田村くんの姿を目で追っていた。
……ん?
佐竹くんが三振した直後、田村くんが隣の山田くんの方を見て、一瞬だけニヤリと笑った。
直後、ハッと前を向き直した彼と私はバチリと目が合った。
田村くんは、まるで悪いことでも見つかったかのように、慌てて目を逸らした。
……なんか、ムカつく。
チームの負けを祈っていたっていいじゃない。佐竹くんに嫉妬していたっていいじゃない。私を許せなくたっていいじゃない。
それがあなたの本心なら、なんでコソコソ隠すのよ。堂々としていればいいじゃない。
断ることもできず、イジケ男にもなれず、ピエロになりきれるわけでもない彼の姿が、ただただ歯痒くて、腹が立った。
画面の中の、田村くんからの熱苦しいメッセージを見つめる。
あの田村くんが。惨めにピエロを演じていたあの彼が、15年も経って、やっと何かを変えようと足掻いている。
「……仕方ないわね」
私は小さく息を吐き、スマホのキーボードを叩いた。
『昼間に少しだけならいいよ。赤ちゃん連れていくけど、構わない?』
送信ボタンをタップする。
15年前、本心を隠して目を逸らしたあの男が、今度はどんな顔して私の前に現れるのか。ほんの少しだけ、興味が湧いていた。
15年前の夏、甲子園二回戦の前日。
私は買い出しのために、宿舎近くのスーパーに来ていた。彼氏の佐竹くんも「マネージャーだけに荷物持たせられない」なんて言って、一緒について来てくれていた。
この頃の佐竹くんは、まだ自信と希望に満ち溢れた良い顔をしていた。「次の試合のピッチャーは球速はあるけどインコースが甘いから、こう引きつけるようにしてホームランにしてやる」なんて、身振り手振りを交えて熱く語っていた。野球のことはよく分からなかったけれど、夢を語る彼の顔を見るのは素直に楽しかった。
お菓子売り場を通りかかると、佐竹くんが食玩の棚の前で足を止めた。
「俺、こういうオマケ付きのお菓子、昔から好きなんだよね」
少年のように目を輝かせて棚を眺めている。やれやれ。
「じゃあ私、先に他のコーナー見てるから、決まったら呼んでね」
そう声をかけて、私は一足先に奥の棚へと向かった。
少し歩いたところで、人だかりが目に入った。
よく見ると、田村くんと山田くんだった。二人も買い出しに来ていたらしい。けれど、何だか様子がおかしい。地元の女子高生グループに囲まれて、甲高い声で弄られていた。
「テレビ見ましたー! 超ウケる!」「ここで踊ってみせてよー!」
お、有名人じゃん。よかったね。
からかってやろうかと思ってこっそり近づいた。そこで二人の顔を見た瞬間、足が凍りついた。
二人は、今にも泣き出しそうな、プライドも感情もぐちゃぐちゃになった顔をしながら、必死で「作り笑い」を作ろうとしていた。自分を痛めつけるような惨めな笑みを。
……馬鹿なの?
こんな、もう二度と会うこともないような小娘たちにすら、「やめろ」の一言も言えないの?
言えないなら逃げればいいじゃない。逃げることからすらも逃げるの?
どこまで情けない姿を私に見せつける気なの?
無性に、吐き気がするほどの怒りが込み上げてきた。
元カレだからとか、そんなの関係ない。一人の人間が、ここまで惨めに自分の尊厳を投げ捨てようとしている姿を見たことがなかった。
気づいた時には、勝手に体が動いていた。
バシィン!!
全力で、腕が千切れるほどの力で田村くんの背中をはたいた。
驚いて振り向く間も与えず、私は二人から背を向け、そのまま地面を強く踏みしめながらその場を去った。
——そして今。
おじさんになった田村くんは、カフェのテーブルを挟んだ私の前で、その時の話を「人生の転機」として熱っぽく語っている。
「……あの時、お前が背中を叩いてくれたおかげで、俺はギリギリのところで自分を捨てずに済んだ。今まで生きてこれたのはお前のおかげだと思ってる。ありがとう」
田村くんが、濁りのないまっすぐな目で私を見つめて言った。
そ、そう……?
別に助けたつもりも、励ましたつもりもサラサラ無かったんだけど……まあ、いいか。
「こないだなんてさ、山田が負けそうになってるって話でまた心が折れそうになったんだけど、その時のあの音と背中の痛みが蘇ってさ。『折れるな』ってお前に怒られた気がして立ち直れたんだ」
へ、へー……。
あれ? 私って、自分で思っている以上にめちゃくちゃイイ女なのでは?
勘違いから始まった感謝とはいえ、悪くはない気分だった。
その後も田村くんは、身を乗り出して熱く語り続けた。
いま山田くんがキャリア官僚として、あの惨めな応援ダンスを制度からやめさせようと孤独な戦いを続けていること。自分もそれを受け止め、相沢くんを説得して味方に引き入れ、世論を動かし始めていること。
「俺たちはもう、ただ指をくわえて惨めさに耐えるだけの補欠じゃない」
約束の時間が終わり、私たちはカフェを出た。
15年前、スーパーで泣きそうな顔をしていた男の面影は、もうどこにもなかった。うん、元気そうで本当によかった。
駅の改札前、背を向けて歩き出そうとする彼に向かって、私は少し首を傾げ、イイ女風に声をかけた。
「今度は、折れんなよ」
田村くんは足を止め、振り返りざまにニッと不敵に笑った。
「折れねーよ」
イイ男風にそう言い残し、彼は人混みの中へと消えていった。
ふふ。変なの。
田村くんの背中を見送りながら、私は小さく吹き出した。
あんなに弱っちかった男が、15年かけてようやく、「諦めの悪い男」になろうとしている。
……ねえ、田村くん、山田くん。それなら最後まで、絶対に折れずにやり抜きなさいよ。
胸の中でそう呟きながら、私は愛しい我が家へと足を進めた。
田村くんと別れた帰り道、電車に揺られながら、私はあの二試合目が終わった後の出来事を思い出していた。
あの日、私はマネージャーとしてメディアゾーンへ行き、報道陣からの取材依頼の取り次ぎや選手たちの誘導をしていた。
そこへ、応援リーダーの相沢くんがどこからか現れ、今日のヒーローである佐竹くんに興奮気味に声をかけたのだ。佐竹くんは「なんで補欠のコイツがここにいるんだ?」と言わんばかりの露骨に困惑した顔をしていた。
私は佐竹くんの肘をグイッと小突き、相沢くんに聞こえないくらいの小声で「ほら、感謝」と耳打ちした。
「あ、ああ……いつも応援ありがとう! これからもよろしくな!」
佐竹くんがとってつけたような声で言う。……なんともまあ、薄っぺらい感謝の言葉。
まあ、仕方ない。佐竹くん部室でいつも言っていたもんね。「試合中、グラウンドからスタンドなんて見えてねぇよ」って。彼らレギュラー陣にとって、スタンドの踊り手たちは背景の一部でしかないのだから。
騒がしい取材陣や部員たちをはけさせる中、列の最後尾を歩いていた中村監督に追いつき、そっと耳打ちをした。
「監督、応援で一番盛り上げてくれていた相沢くんが来ています。声をかけて、ねぎらってあげてください」
すると、中村監督は少し立ち止まり、穏やかな顔で私にこう尋ねてきたのだ。
「そうか。……あいつら、楽しそうにしてたか?」
私は一瞬、胸の中に小さな違和感が芽生えるのを感じながら、曖昧に答えた。
「?……ええ、まあ」
何よ、その質問。
今思えば、あの時ちゃんと本当のことを言うべきだったのかもしれない。
『楽しそうにしてたのは相沢くんたち一部だけで、他の部員たちは死にそうな顔で、惨めさに耐えながら踊ってましたよ』と。
……もしかして中村監督は、部員たちを痛めつけようとしていたわけではないのかもしれない。スタンドで自分の教え子たちがどんな表情で珍妙なダンスを踊らされ、尊厳を削られているのか、その現実の存在に「気づいてすらいなかった」のではないか。
電車が駅に到着する。
私はホームに降り立ち、バッグからスマホを取り出した。連絡先一覧をスクロールし、ある名前を探す。
……あった。
躊躇なく発信ボタンをタップし、耳に当てた。数回の呼び出し音の後、聞き覚えのある重厚な声が繋がる。
「もしもし。中村監督、お久しぶりです。彩花です」
「急で申し訳ないんですが……OBの田村くんと山田くんという二人が、どうしても監督に会いたがっていまして。近いうちに、一度会ってあげてくれませんか?」
「大丈夫です。会えば分かりますよ。二人とも、監督に伝えるために15年間ずっと言葉を温めてきたみたいですから」
まあ、せっかく足掻いているんだ。これくらいの助け舟は出してあげないとね。いい女としては。
電話を切り、夕暮れの街を歩いて家に帰る。
玄関を開けると、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。我が家のバイキンマンが、私より先に帰って腕を振るっていた。
「おかえり! 彩花、聞いてくれ! 今日、新しい調味料の組み合わせを発明したんだ! これでついに、世界征服への道が開けるぞ!」
旦那さんが、フライパンとなんか色々混ざった調味料を手に目を輝かせて熱弁する。
ふふ。また何か変なこと言ってる。
テーブルに運ばれてきた料理を一口かじる。うーん、相変わらずちょっと不思議で、味わったことのない味。
「どうだ!?」とドヤ顔でこちらを見る旦那さんに、私は「美味しいよ」と笑いかけた。
世界征服にはまだまだ遠そうだけど。
私はドキンちゃん。あなたが世界征服するその日まで、新しい試作機で遊び、新しい試作品を食べ続けるの。




