第74話:南東の軍旗
夜明けの光が王都の城壁を白く染め始めた頃、偵察隊の先頭が南門をくぐった。
馬の息が荒い。全力で駆け戻ってきた証拠だ。
馬車の中で毛布にくるまったまま、私はステータスオープンを起動した。体力値十一。昨日から変わらない。動けないけど、頭は動く。それで十分。
「報告」
カイの声が馬車の幌越しに届く。短い。いつも通り。でも今日は、その短さの中に切迫が滲んでいた。
「旗印、確認。隣国辺境伯ヴァルトシュタイン家。鷲と樫の紋章」
隣国辺境伯。
予想の範囲内――と言いたかったけど、正直ちょっとだけ嫌な予感がしていた。だって五百って数、辺境伯が単独で動かすには多すぎるんだよね。
「もう一つ」
カイが続ける。
「軍勢の後方。別の旗。三本の鍵の紋章。第二宰相派残党」
――は?
一瞬、思考が止まった。
第二宰相派の残党が、隣国の辺境伯と一緒にいる?
外患と内患の合流。最悪の組み合わせだ。
「……カイ、間違いない?」
「目視。距離二百歩まで接近して確認。旗は三本。うち二本がヴァルトシュタイン、一本が三鍵紋」
間違いない。カイが目視で確認したなら確定だ。
「全員集めて。緊急軍議」
声を振り絞る。体が重い。でも頭は回る。回さなきゃいけない。
―――
王璽局の広間に、全員が集まった。
私は馬車から降ろされ――というか運ばれて、椅子に座らされている。情けないけど、これが現実。体力値十一の現実。
「状況を整理する」
ユリウスが地図を広げた。王都周辺の街道と地形が描かれている。
「隣国辺境伯ヴァルトシュタインの目的は明白だ。王都が内戦で混乱している今、実効支配の空白地帯を押さえに来た。領土拡張――いや、もう少し正確に言えば」
ユリウスの指が地図上の街道を辿る。
「通商路だ。王都南東の街道は隣国との交易の大動脈。ここの通行権を押さえれば、領土を奪わずとも莫大な利益が転がり込む」
……あ、なるほど。
領土じゃなくて通商権。そっちか。
「で、第二宰相派残党の方は?」
「こっちは単純だ。連盟を潰す。外敵を引き入れてでも」
ユリウスの声に皮肉が混じる。いつもの調子だけど、目が笑っていない。
「国を売ってでも自分の権力を守りたい連中だよ、あれは。王璽を奪われ、グレゴールを拘束され、もう正規の手段では巻き返せない。だから外の力を借りた」
「……国家反逆、ですね」
私が言うと、ユリウスが頷いた。
「法的にはそうなる。王命なき外国軍の招致は、旧来の王国法でも大逆罪に該当する。私兵反乱を認定した際に確立した論理の延長線上だ」
レオンが地図を睨んでいた。
「兵力差が問題です。敵は五百。こちらは王城警備と連盟兵を合わせても二百に届かない」
「正面からやり合えば負ける、と」
「……はい」
レオンの声が硬い。守りたいのに守り切れない。その苦さが滲んでいた。
「補給の話、していい?」
リオが手を挙げた。軽い口調だけど、手元の紙には数字がびっしり書き込まれている。
「ヴァルトシュタインの軍勢、五百でしょ。カイの偵察報告だと荷駄は二十台。五百人分の食料を二十台で運ぶと――」
リオが指で数字を弾く。
「三日。三日で兵站が破綻する。隣国からの補給線は王都までざっと六日の距離。つまり後続の補給隊が来る前に、現地での食料調達が必要になる」
「略奪か、あるいは王都の市場から買い付けるか」
ユリウスが補足する。
「だが王都の市場は連盟の配給網が押さえている。リオ、そうだな?」
「うん。王都配給の流通拠点は全部こっちの管理下。勝手に買い付けようとしても、連盟規格の配給証がなきゃ卸値じゃ買えない仕組みになってる」
つまり、敵は三日で腹が減る。
補給線は六日。中間の三日間は飢える。
これ、使える。
「……リオ。その三日、確実?」
「荷駄の台数と馬の頭数から逆算した数字だから、誤差は半日くらい。三日半が上限」
三日半。それが敵の限界。
―――
でも、問題はそこじゃない。
三日持ちこたえれば勝てる――じゃない。そもそも戦っちゃダメなんだ。
ここで血を流したら、諸侯会議が吹き飛ぶ。統一憲章が吹き飛ぶ。「武力で天下を取った」という前例を作ったら、この先ずっと武力が正義になる。
それは、私がやりたいことの正反対だ。
「戦わずに、勝ちます」
声を出した。掠れてる。体力値十一の声。でも、全員の視線がこっちに集まった。
「ヴァルトシュタイン辺境伯と第二宰相派残党。この二つは、利害が一致していない」
椅子の背もたれに体を預けたまま、私は続けた。
「辺境伯の目的は通商権。残党の目的は連盟の壊滅。辺境伯にとって連盟が潰れるのは――実はまずいんです。連盟が管理する物流網が崩壊したら、通商権を取っても流す商品がなくなる」
ユリウスが目を細めた。
「……なるほど。辺境伯は連盟を潰したいんじゃなく、連盟の利権に噛みたい」
「そう。だから二つに分ける。残党には弾劾。辺境伯には名分」
全員が黙って聞いている。
「諸侯会議の場で、第二宰相派残党の外敵招致を国家反逆として弾劾します。旧来の王国法でも大逆罪。これで残党は法的に完全に終わる」
「辺境伯の方は?」
レオンが聞く。
「撤退の名分を与えます。辺境伯は『残党に騙されて来た』という形にする。そして通商条項――統一憲章の中に、隣国との通商権を規定する条文を入れる。辺境伯が欲しいものを、戦争じゃなく制度で渡す」
沈黙が落ちた。
リオが最初に口を開いた。
「……いけるね、それ。辺境伯にとっても、戦って奪うより条約で貰う方がコスパいい。維持費ゼロだもん」
「問題は、辺境伯がその提案を聞く耳を持つかどうかだ」
ユリウスが腕を組む。
「五百の軍勢を動かして、手ぶらで帰れるか? 辺境伯の面子の問題がある」
「だから使者を出します。諸侯会議の前に、直接」
私は息を吸った。体が軋む。でも、ここが肝心だ。
「私の名で、辺境伯に使者を出す」
その言葉に、広間の空気が変わった。
――違う。変わったのは、王位継承者の表情だ。
継承者は、ずっと黙って聞いていた。自信のなさが滲む、いつもの沈黙。でも今、その目に何かが灯った。
「……いえ」
継承者が口を開いた。
「私の名で、出しましょう」
全員の視線が継承者に集まる。
「ミチカ殿の名では、辺境伯にとって対等の交渉相手になりません。連盟の盟主は、隣国の辺境伯にとって格が――その、足りない。でも」
継承者の声が、わずかに震えていた。でも、止まらなかった。
「王位継承者の名であれば。王璽を預かる者の名であれば。辺境伯も、受け取らざるを得ない」
……ああ。
この人、ちゃんと考えてた。自分に何ができるか。自分の血筋が、どこで使えるか。
「血筋を、制度のために使う。そういうことですか」
私が聞くと、継承者は小さく頷いた。
「仕組みで継ぐ、と申しました。ならば――この血筋も、仕組みの一部として使うべきでしょう」
ユリウスが、珍しく何も言わなかった。皮肉も、ツッコミも。ただ、静かに頷いていた。
―――
使者は、カイに決まった。
単身で敵陣に入れる人間は限られる。偵察で既に敵の配置を把握していること。そして何より――
「カイ。もう一つ、任務がある」
私は声を絞り出した。
「残党が辺境伯に送った密約書。あるはずです。外敵招致の物証。それを確認してきてください」
カイが頷く。短く、一度だけ。
「国家反逆の立証に必要な証拠です。見つけたら場所と内容を記憶して。持ち出せなくてもいい。存在を確認するだけで十分」
「了解」
カイが踵を返しかけた。
「カイ」
呼び止める。
「帰還命令を、再発令します」
カイの足が止まった。
あの日――私兵との戦いの前に出した命令。「任務完了ではなく生還を義務とする」という、あの形式。
「任務の成否に関わらず、必ず帰ってきなさい。これは命令です」
カイが振り返った。その目に、何かが揺れた。忠誠値を見なくてもわかる。この人は、帰ってくる。
「……命令、受領」
カイが出て行った。
ミナが私の手を握っていた。いつの間に。温かい。体力値十一の体には、その温度がやけに沁みた。
―――
カイが南門を出て十分も経たない頃だった。
伝令が駆け込んできた。息を切らしている。手に書状を二通。
「西方のヴェーバー伯とランツ男爵から返書です!」
ユリウスが受け取り、封を切った。
読む。
表情が、固まった。
「……何て?」
「『外敵接近の報に接し、領内防衛を優先するため、諸侯会議への参集を見合わせる』」
二通とも、同じ内容。
西方の二領主が、来ない。
「定足数は」
「十二名中八名が必要。現時点での参集確定は六名。この二名が欠ければ――」
ユリウスの声が低くなった。
「定足数に届かない。諸侯会議は成立しない」
統一憲章を承認する場がない。
外敵を弾劾する場がない。
制度で天下を治める――その制度そのものが、成立しない。
「……ユリウス」
「わかってる。対策を考える。考えるが――」
ユリウスが地図の西方を見た。
「西方二領主が本当に防衛のために来ないのか、それとも――様子見なのか。あるいは、誰かに止められているのか。そこの見極めが先だ」
私は毛布の中で拳を握った。
体力値十一。動けない。でも、止まるわけにはいかない。
カイは今、単身で敵陣に向かっている。
西方領主は来ない。
定足数が足りない。
制度で勝つと決めたのに、その制度の土台が崩れかけている。
――でも。
「……視察です」
「え?」
ミナが不思議そうな顔をした。
「西方二領主の状況を、視察する必要があります。誰か――」
「俺が行こうか」
リオが手を挙げた。軽い口調。でも目は真剣だ。
「商人の顔で行けば怪しまれない。ついでに通商条項の話も持っていける。西方領主にとって連盟参加の実利を見せれば――」
「リオ。お願いします」
「了解。じゃ、ちょっと西方まで商談に行ってくるよ」
リオが笑った。いつもの軽さ。でもその背中が広間を出ていく時、私にはわかった。
これは商談じゃない。
統一憲章が成立するかどうかの、瀬戸際だ。
カイが敵陣で。リオが西方で。レオンが王都の防衛で。ユリウスが法の土台で。ノアが兵站と衛生で。
全員が、別々の戦場に散っていく。
私は――馬車の中で、考え続ける。
体力値十一の体で、できることを。
「ミチカ様」
ミナの声が、静かに響いた。
「……お水、持ってきますね」
「ありがとう、ミナ」
ミナが出て行った後、私は目を閉じた。
このときの私はまだ知らなかった。
西方二領主の不参加が、単なる防衛優先ではなく――もっと根深い問題の表面に過ぎないことを。




