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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第58話:帰還命令

 体力値、三。


 たった三。


 ……え、三?


 意識が戻った最初の感想がそれだった。


 薄明の光が(まぶた)の裏を淡く染めている。ステータスオープン――と念じた瞬間、視界の端に浮かぶ数字の羅列。体力値三。ストレス値八十九。信用値は……まあ、今はいい。


 問題は体力値三だ。


 ゲームで言えばHP3。ラスボス戦どころかスライムに体当たりされても死ぬやつ。いや、そもそもスライムいないけどこの世界。


 指を動かそうとした。


 右手の人差し指が、ほんの数ミリ、震えた。


 それだけで息が上がる。


 全身が鉛を流し込まれたみたいに重い。


 最後に意識があったとき――体力値二。


 あのとき視界が真っ暗になって、声が出なくなって、心臓の音だけが遠くで鳴っていた。


 あれが体力値二の世界。


 そこから三に上がったところで、できることは「意識がある」程度。


 なんというか、回復というより「死んでない確認」に近い。



 視線だけを動かす。


 傍らに、小さな寝息。


 ミナだ。


 椅子に座ったまま、寝台の縁に突っ伏して眠っている。頬が少し赤い。泣いた跡だ、たぶん。でも寝顔は穏やかで、規則正しい呼吸が薄暗い部屋に小さなリズムを刻んでいる。


 ――ストレス値、八十九から八十八へ微減。


 ……うん、知ってた。


 いや、知ってたというか。ミナの存在がストレス値を下げる唯一の要因って、もうデータで出てるんだよね。前にも確認した。これ、制度的に言えば「ミナは医療行為」ってことになるんだけど、本人に言ったら泣くだろうから黙っておこう。


 寝顔を見ていると、少しだけ呼吸が楽になる。


 数値が証明してるんだから、これは実務だ。実務。


―――


 どれくらいそうしていたか。


 廊下を複数の足音が近づいてくる。早足。でも走ってはいない。訓練された歩調――レオンだ。そしてもう少し軽い足音がいくつか。


 扉が控えめに開く。


「――お目覚めですか」


 レオンの声。いつもの硬い敬語。でも語尾が微かに震えている。


「……起きてます」


 声、出た。かすれてるけど。


 一瞬の沈黙。それからレオンが振り返り、廊下に向かって短く告げた。


「意識あり。入れ」


 ユリウス、リオ、ノア、カイ。四人が続いて入ってくる。五人全員が(そろ)った。


 リオが私の顔を一瞥(いちべつ)して、それから窓の外に目をやった。一晩中起きていたのだろう、目の下の(くま)が濃い。全員そうだ。


「……生きてるね、盟主殿」


 低い声。いつもの軽快さが一段落ちている。それでもリオはすぐに口角を上げてみせた。


「体力値三。商人的に言えば、手持ちの資金が銅貨三枚ってところか。何を買う?」


「時間」


「――いい買い物だ」


 リオが小さく(うなず)いた。商人の顔。ふざけているのではなく、値踏みしている。この盟主がまだ取引できる相手かどうかを。


 ユリウスが一歩前に出た。手に書類の束を持っている。


「手短に報告する。代行合議の結果、三件の決議案が出ている。盟主不在中の合議で方針は決定済みだが、決議の正式発効には盟主の承認署名がいる。代行合議は審議権限であって最終承認権限ではない――その区分は連盟規約第十二条に基づく」


 つまり、代行合議で話し合って決議案を作るところまではできるが、それを連盟の正式な決定として効力を持たせるには私の署名が必要、ということ。代行委任状と決議承認書は別物だ。


「聞きます」


「一つ目。グレゴールの私兵南下を、王命なき武力行使――すなわち反乱として法的に認定する決議」


 私兵反乱認定。前の合議でユリウスが整理した論理だ。王命がない以上、私兵の武力行使は国法上の反乱に該当する。これを連盟として正式に認定すれば、防衛行動に法的正当性が生まれる。


 王都介入の段階に進んだとき、武器にもなる。


「承認」


 即答した。迷う理由がない。


 ユリウスの眉が微かに上がった。……何、その顔。即断が売りでしょ私。


「二つ目。連盟独自の公使身分証――連盟公使証の発行。第一号はカイに交付する」


 連盟が独自に外交官を出す制度。前例がない。でも前例がないからこそ、誰にも否定する根拠がない。法の空白を味方につけるのは、自治領宣言のときからの十八番だ。


「承認」


「三つ目。カイの王都単独潜入作戦。第二宰相邸の裏帳簿写しの回収と、王都内の情報収集を主目的とする」


 成功率二割以下。ノアがそう分析した作戦。


 ここで、ノアが初めて口を開いた。


「補足を」


 低く、落ち着いた声。全員の視線がノアに向く。


「成功率二割以下は、単独潜入の生還率を含めた数字。帳簿回収だけなら四割近くまで上がる。ただし――」


 一拍、間を置いた。


「第二宰相邸の警備が先月から強化されている。衛兵の交代間隔が六刻から四刻に短縮された、とカイの前回報告にある。この変化が帳簿隠匿の意図なら、回収の難度はさらに上がる。公使証があれば表の移動は保護されるが、邸内潜入の段階では意味を持たない」


 端的。でも必要な情報は全部入っている。ノアらしい報告だった。


 視線をカイに向けた。


 部屋の隅に立つ寡黙な影。表情は読めない。でもステータスで見える忠誠値は――前より、確実に上がっている。


「承認。ただし、条件を一つ追加します」


 全員の視線が集まる。


「カイ」


「……」


「あなたに『帰還命令』を出します」


 沈黙。


 カイが僅かに目を見開いた。


「任務完了を条件にしない。成功しても失敗しても、生きて帰ること。これを制度上の義務とします。命令です」


 帰還命令。任務ではなく、生還そのものを義務化する形式。


 つまり――死んだら命令違反。だが、それだけじゃない。


 帰還義務が制度上存在するということは、万一カイが捕縛された場合、連盟は「帰還義務者の身柄返還」を法的に要求できる。


 公使証と帰還命令が揃えば、捕虜交換の交渉テーブルに乗せる根拠になる。


 死なせない、だけじゃない。


 捕まっても取り返す、という制度的な保険だ。



 カイの更生は、ここに帰ってくることで完成する。だから、帰る場所を制度で保証する。ミナが言った「帰る場所を作ってから送り出す」を、書類の形にしたものだ。


 カイは数秒、微動だにしなかった。


 それから、深く、頭を下げた。


「……了解」


 短い。いつも通り。でも声が、ほんの少しだけ湿っていた。


 ユリウスが書類を差し出す。決議承認書三通と、代行委任状。


「署名を。承認書三通と委任状、計四枚。震えていても構わない。筆跡が本人のものであれば法的には有効だ」


 右手を持ち上げる。指が震える。ペンを握るだけで体力値が削れる感覚がある。


 ミナが目を覚ました。


「――ミチカ様!?」


 跳ね起きたミナが、私の手を見て、書類を見て、状況を一瞬で理解した。


「あ、ミナ。おはよう」


「おはようじゃないです! 体力値三で何を――」


「実務です」


 ミナが言葉を飲み込んだ。


 一枚目、署名。震える線。反乱認定決議――名前は書けた。


 二枚目。公使証発行決議。ペンを持つ指の感覚が薄れていく。


 ――体力値、三から二への微減警告。


 視界の端に赤い点滅。ステータスが警告を出している。署名という行為すら、この体には負荷になる。


「盟主」


 レオンの声。硬い。


「……お顔の色が」


 言いかけて、レオンは言葉を飲み込んだ。止めるべきだ、と目が言っている。でも口にはしない。命令に従うやつだから。


 代わりにミナが叫んだ。


「ミチカ様、もう――休んでください、お願いです!」


「あと二枚」


 三枚目。潜入作戦承認。文字が(ゆが)む。自分の名前なのに、線がまっすぐ引けない。


 四枚目――代行委任状。


 ペンを握り直す。指が白い。


「……」


 名前を、書いた。


 代行委任状、成立。


 ペンが指から滑り落ちた。カラン、と乾いた音が部屋に響く。


 体力値――二。


 ステータスの数字が赤く点滅している。署名四枚で体力値が一つ削れた。体力値三から二。つい先ほど二から三に上がったばかりなのに、もう逆戻りだ。


 ミナが私の手を握った。冷たい、と小さく(つぶや)くのが聞こえた。


―――


 カイが出立の準備を整えている間に、最後の報告があった。


 部屋に残ったのはカイとユリウス。他の三人は防衛配置の前倒し準備に散った。ミナは私の傍を離れない。……ストレス値的にありがたいので黙認する。実務だ。


 カイが口を開いた。珍しく、自分から。


「王都の協力者。正体を明かす」


 ユリウスが書類を(さば)く手を止めた。


 カイは一瞬、懐の公使証に手を触れた。帰還命令を受けた手。帰る場所を制度で保証された手。


「……帰還命令を受けた。帰る場所がある以上、隠す理由がなくなった」


 短い。でも、それがカイの「理由」だった。帰る場所がなかった人間は、情報を手札として抱え込む。それが生存戦略だから。でも帰る場所ができたなら――手札を開示して、味方の勝率を上げるほうが合理的になる。


「元近衛副長。名はヴェルナー。現在は退役し、商人として王都に潜伏している」


 そこまでは想定の範囲内だった。カイが王都に情報源を持っていることは前の合議で明かされている。元軍人が協力者というのも、カイの経歴を考えれば不自然ではない。


 問題は次の一言だった。


「ヴェルナーは――王位継承者殿下の、元側近」


 空気が変わった。


 ユリウスのペンが止まる。


「……何だと」


「近衛副長時代、殿下の護衛を務めていた。第二宰相派の粛清で退役を強いられた後も、殿下との接触を維持している」


 つまり。


 カイの王都協力者は、王位継承者への直接接触ルートを持っている。


 そして――第一宰相派勅使アルブレヒトとの救援密約。あれの相手方は「王都のある方」だった。王位継承者の側近だった人物が情報網の中にいるなら、救援密約の情報が王位継承者本人に届いていてもおかしくない。


 ユリウスの顔色が変わった。


「待て。救援密約の相手方と、カイの情報網が(つな)がっている? 第一宰相派との連携が――想定以上に深いということか」


 カイは無言で頷いた。


「ヴェルナーが仲介。アルブレヒトとの密約は、殿下の意思が入っている」


 ……ちょっと待って。


 つまり王位継承者は、辺境の連盟と密約を結ぶことを承知していた? それも、第一宰相派を通じて?


 これ、王都介入の段階に進んだとき一気に現実味を帯びてくるんだけど。


 ユリウスが低い声で(うな)った。


「……道理で。アルブレヒトの追加条項が軍事的協力にまで踏み込んでいたわけだ。あれは第一宰相派の独走ではなく、殿下の……」


「確証はない。だが、状況証拠は一致する」


 カイの報告は、いつも通り端的だった。


 でも、その短い言葉の裏にある情報量は凄まじい。近衛隊の内部に味方がいる。王位継承者への直通ルートがある。第一宰相派との連携は、私たちが思っていたよりずっと構造的なものだった。


 王都に乗り込む段階が来たとき、これは決定的な切り札になる。


 ……でも、まずは目の前だ。グレゴールの私兵を止めないと、その先はない。


「カイ。ヴェルナーとの合流地点は」


「王都南門の三番宿。到着まで六日」


「公使証は」


 ユリウスが懐から革装の証書を取り出した。一晩で起草し、私の署名入り。連盟公使証第一号。


 カイがそれを受け取った。


「……重い」


「革装だからな。中身も重いぞ。連盟の外交的正当性がそこに乗っている」


 ユリウスの皮肉。でも声に(とげ)がない。珍しいこともあるものだ。


 カイは公使証を懐に収めた。


「帰還命令。了解している」


 それだけ言って、部屋を出た。


 振り返らなかった。


 窓の外、夜明けの光が街道を白く照らしている。カイの影が一つ、その光の中に溶けていく。


 ……行ってしまった。


 帰ってきなさいよ、絶対に。命令なんだから。


―――


 カイが出立して、どれくらい経ったか。


 十分か、二十分か。


 体力値二の世界では時間の感覚がさらに曖昧になる。三のときより明らかに視界が狭い。ミナが水を含ませた布で唇を湿らせてくれて、それだけでありがたくて泣きそうになる。泣かないけど。泣いてる場合じゃないし。


 そのとき。


 ――ドンッ。


 遠い。でも確かに聞こえた。


 窓の外。北の方角。


 ミナが窓に駆け寄った。


「――煙! 北の物見台から狼煙(のろし)が!」


 狼煙。


 北方の物見台。国境監視用に連盟が設置した早期警戒網の一部。狼煙が上がるのは、一つだけ。


 敵の接近。


 廊下をレオンが走る音。扉が開く。


「盟主! 北方物見台より緊急報告。グレゴールの先遣隊が国境を越えました。予想より――二日早い」


 二日早い。


 七日後到着の予測が、五日に縮まった。


 防衛配置の準備期間が、五日しかない。


 補給線の構築、迎撃陣地の設営、治安隊の再配置、民間人の避難――全部、二日分の余裕が消えた。


 体が動かない。指一本がやっとの体で、できることなんて――


「防衛配置、前倒し」


 声を絞り出した。


「命令」


 それだけ言って。


 意識が、途切れた。


―――


 ミナの悲鳴が遠くで聞こえた気がした。


「ミチカ様! ミチカ様――!」


 レオンが何かを叫んでいる。ユリウスの声も。でも全部遠い。水の底で聞いているみたいだ。


 ……ごめん、ミナ。あとは五人に任せる。


 体力値二の盟主にできることは、もう全部やった。


 ――このとき私はまだ知らなかった。


 目を覚ましたとき、世界がどれだけ変わっているかを。

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