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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第56話:三百人の難民

 城門前は、地獄だった。


 いや、地獄のほうがまだマシかもしれない。地獄には閻魔(えんま)様がいて、ルールがある。ここには――ルールすらなかった。


 ……と、ここで状況を整理する。


 私、ミチカ。現在、体力値二。意識不明。ベッドの上で死んだように寝ている。枕元ではミナが泣きそうな顔で額の汗を拭いてくれていたらしい。ありがとう、ミナ。でも今この瞬間、私は何の役にも立っていない。


 だから以下は、後で五人から聞いた話を再構成したものになる。なお、ミナは私の看病に専念してもらっていた。代行委任状の合議メンバーには入っていない。あの子にはあの子の、替えの利かない役割がある。


 悔しい。正直に言えば、とても悔しい。


 けれど。


 この日、私がいなかったからこそ証明されたことがある。


 それが何かは――読めばわかる。


―――


「押すなっ! 列を崩すな!」


 レオンの声が朝靄(あさもや)を裂いた。


 フリードリヒ領の城門前。連盟署名から一夜明けた早朝、状況は既に制御不能の一歩手前だった。


 飢民の数、この時点でおよそ百五十。


 昨日の段階では百人程度だった。


 だが昨日の夕方から既に、近隣の村落からの流入が始まっていた。


 街道を行き来する行商人や旅人が(うわさ)を運んだのだ。


「連盟が食料をくれるらしい」――その一言が、飢えた民を引き寄せる。


 フリードリヒ領は主要街道の結節点にある。


 人と情報の流れは、領主の思惑より速い。


 夜通し歩いてきた者もいた。


 そしてこの数は、昼を過ぎる頃には三百に届くことになる。



 痩せこけた母親が子供を抱えて泣いている。老人が地面に座り込んで動けない。若い男たちは目を血走らせて配給の荷車に群がっている。


 レオンは治安隊の兵士十二名を率いて城門前に陣取っていた。


「配給は行う! 必ず全員に届けます! だから列を作ってください!」


 だが、その声が届く前に――荷車の一つに若い男が三人、取りつこうとした。


「退けっ!」


 レオンが駆け寄り、荷車と男たちの間に体を割り込ませた。剣には手をかけない。代わりに、自分の体を盾にした。


「奪い合えば足りなくなる。列を作れば全員に届く。――信じてくれ」


 男の一人がレオンの胸倉を(つか)んだ。飢えた目。理性の底が抜けかけている目だった。


 レオンは掴まれたまま、動かなかった。


「……お前たちの分も、ある」


 静かに、しかし揺るがない声で。


 男の手が、ゆっくりと離れた。


 その瞬間を逃さず、兵士たちが荷車の周囲に列の目印となる(くい)を打ち始めた。一人の兵士が老人に手を貸し、列の先頭に導いた。小さな秩序の種が、広場に根を下ろし始める。


 だが――根本的な問題は別にあった。


「レオン」


 リオが駆け寄ってきた。いつもの軽い調子が完全に消えている。


「配給量の上限が決まってない。一人あたり何をどれだけ渡す? 基準がないと荷車が空になるのは時間の問題だぜ」


「……ミチカ様なら即答する類の問題だな」


「ああ。でもミチカは寝てる。体力値二だ」


 二人の間に、重い沈黙が落ちた。


 判断権限の空白。


 これまでの緊急事態は、必ずミチカがいた。ステータスオープンで状況を数値化し、即断即決で指示を出す。あの小さな体に宿る異常な決断力が、すべてを回していた。


 今、それがない。


「――だからこそ、これがあるんだろう」


 ユリウスの声が割り込んだ。


 長身の法務官が、一枚の羊皮紙を広げて見せた。ミチカの署名入り代行委任状。あの病床で震える手で書かせた、公文書。


「代行委任状第三条。領主不在時の緊急事態において、委任を受けた五名は合議により領主と同等の決定権を行使できる」


 ユリウスの目が鋭く光った。


「五人合議での緊急決定を宣言する。議題は三つ。配給基準の策定、飢民の医療選別、そしてベッカーの身柄引渡し。――異議は?」


「ない」とレオン。


「ないね」とリオ。


 カイは無言で(うなず)いた。


 ノアが静かに言った。


「時間がない。始めよう」


―――


 ここからの五人の動きは、的確だった。後で聞いた限り、無駄がほぼなかった。


 まずノアが飢民のトリアージを開始した。


「重症度で三段階に分ける。赤――自力歩行不可、脱水・衰弱が著しい者。優先的に(かゆ)と水を。黄――歩行可能だが栄養不足。配給列に並べる。緑――比較的軽度。最後尾」


 ノアは城門前の広場を三つの区画に分け、赤い布・黄色い布・緑の布を目印に括り付けた。煮沸済みの水を大釜で用意し、衛生管理の基本を即座に敷いた。


 赤の区画で、母親の腕の中でぐったりしている幼児を診たとき――ノアの手が、ほんの一瞬だけ止まったそうだ。レオンがそう言っていた。すぐにいつもの淡々(たんたん)とした手つきに戻ったらしいが、その一瞬を、レオンは見逃さなかった。


 あのフリードリヒ領の飢饉(ききん)隠蔽のツケだ。民は飢えていた。倉庫に穀物があるのに、流通が詰まって届かない――うちの領で一度見た構造が、ここでも再現されていた。


 次にリオが動いた。


「ん、連盟規約の第七条――加盟領同士で助け合う義務ってやつな。あれを根拠にして配給基準を組む。在庫と人数から逆算するぞ」


 リオは荷車の在庫を確認し、飢民の概数から逆算して一人あたりの配給量を弾き出した。


「成人一日あたり穀物二合、乾燥豆一握り、塩少々(しょうしょう)。子供と老人は粥に切り替えて量を半分、回数を倍。母乳が出ない母親には栄養価の高いものを優先で回す。――で、明日以降の補充ルートはこっちで組んどくから」


 商人の頭脳がフル回転している。限られた在庫から最大の効果を引き出す配分と、明日以降の補充計画を同時に組み立てる。リオはそれを、たぶん本人は意識せずにやっている。生まれついての商才だ。


 ユリウスは配給の法的根拠を整え、フリードリヒの城内書記に正式な記録を取らせた。連盟規約に基づく救済活動であること。配給基準と総量。責任の所在。すべてを文書化する。


「記録がなければ制度にならない。制度にならなければ次がない」


 ユリウスらしい台詞だった。


 そしてカイは――合議で承認されたベッカーの身柄引渡しの段取りを、影のように進めていた。


―――


 問題は、昼を過ぎた頃に起きた。飢民の数が三百に迫り、配給が本格的に軌道に乗り始めた――まさにその時だ。


「何をしている!」


 怒声が響いた。


 フリードリヒの家臣――名はヴェーバーと言ったか――が兵士五名を引き連れて広場に乗り込んできた。


「よそ者が我が領の城門前で勝手な真似をするな! 配給の権限は領主にある!」


 広場が一瞬で凍りついた。


 飢民たちの目に恐怖が走る。ようやく手に入りかけた食料が、また奪われるのではないか。


 レオンが一歩前に出た。


 右手は剣の柄にかかっている。


 だが――握らなかった。


「ヴェーバー殿」


 レオンの声は、低く、しかし明瞭だった。


我々(われわれ)は貴殿の領主フリードリヒ(きょう)が署名した連盟規約に基づき、正当な手続きで救済活動を行っております。異議があるなら、まずフリードリヒ卿にご確認いただきたい」


「そんなものは知らん! 昨夜の話は聞いていない! よそ者の指図など――」


「では」


 レオンは剣から手を離した。


 代わりに、配給列に向き直った。


「次の方、どうぞ。順番にお配りします」


 淡々と。


 配給を止めなかった。


 武力で排除するのではなく、秩序を維持することで答えた。列に並ぶ民の一人一人に声をかけ、子供には膝を折って目線を合わせ、老人には手を添えて粥の(わん)を渡した。


 ヴェーバーが怒鳴る。兵士が前に出ようとする。


 しかし――飢民たちが動かなかった。


 列を崩さなかった。


 レオンが作った秩序を、民自身が守ったのだ。


「……っ」


 ヴェーバーの顔が(ゆが)んだ。ここで武力行使すれば、飢えた民に対する暴力になる。三百の飢民を前にして、兵士五名では鎮圧もできない。


「――ヴェーバー殿」


 ユリウスが横から歩み寄った。手には連盟規約の写しがある。


「ご不満は理解できます。ですが、この規約にはフリードリヒ卿の署名と印章がある。つまり貴殿が異を唱えるのは、よそ者に対してではなく――ご自身の主君に対して、ということになりますが」


「黙れ! あの署名は――卿が正常な判断ができない状態で――」


「正常でない? それは面白い。フリードリヒ卿の判断能力を疑うと、家臣が公の場で宣言するわけですか。……記録しておきましょうか?」


 ユリウスの皮肉が刺さった。ヴェーバーの顔が赤くなる。


 だが、退かなかった。


「我が領の内政に口を出す権利は――」


「ヴェーバー」


 城門の奥から、フリードリヒ本人が姿を現した。


 昨夜署名した男。疲れた顔をしていたが、声には覚悟があった。昨夜の署名が衝動だったのか、覚悟だったのか――五人から聞いた話を総合すると、おそらくその両方だったのだろうと思う。だが少なくとも、一晩経っても撤回しなかった。それが答えだ。


「私が署名した。連盟の救済活動は、私の名において認めたものだ」


「しかし卿――! 家臣団の総意を経ておりません! このような重大な――」


「家臣団の総意か」


 フリードリヒの声が低くなった。


「では聞こう、ヴェーバー。飢饉を隠蔽し、民を飢えさせたのは誰の総意だ? 私か。お前たちか。――それとも、誰も責任を取らないまま今日まで来たのか」


 ヴェーバーが言葉を詰まらせた。


 フリードリヒは一歩、前に出た。家臣の肩を掴み、声を落とした。


「……私はもう、見て見ぬ振りはしない。お前にもそれを求める。嫌なら――去れ」


 ヴェーバーの目が揺れた――とレオンは言っていた。怒りと屈辱は確かだろう。だがその奥に、たぶん諦めに近い何かがあったのではないかと思う。長年仕えた主が、自分の知らない場所で変わってしまった。その戸惑いだ。


 長い沈黙の後、ヴェーバーは兵士たちに手を振った。退け、と。


 背を向ける間際、小さく吐き捨てた。


「……後悔なさいますぞ」


 フリードリヒは答えなかった。代わりに配給列に向かって頭を下げた。


「……遅くなった。すまない」


 静かなどよめきが広がった。


 連盟の指揮権が、フリードリヒ自身の口から公に認められた瞬間だった。


―――


 配給が安定した頃、カイが戻ってきた。


 その後ろに、一人の男がいた。


 ベッカー。


 元御用商会の経理人。冤罪(えんざい)告発状と裏帳簿の筆跡が一致する、生き証人。


 痩せていた。頬がこけ、目の下に深い(くま)がある。フリードリヒ領で匿われていたというより、監禁に近い扱いだったのだろう。


「身柄引渡し。完了」


 カイの報告は、いつも通り短い。


 ユリウスが引渡しの書類を確認し、フリードリヒの家臣の立会いのもとで正式な手続きを終えた。連盟規約に基づく逃亡犯引渡し条項――リオがフリードリヒ密約に織り込んでおいた条項が、ここで初めて機能した。


 ベッカーは震えていた。


 恐怖からか、安堵(あんど)からか。おそらく両方だ。


 ノアが簡単な健康確認を行い、水と粥を与えた。飢民と同じものを。制度は人を選ばない。


 粥を受け取るベッカーの手は、骨が浮き出るほど痩せていた。ノアは何も言わず、もう一杯を注いだ。


 ユリウスは少し間を置いてから、静かに切り出した。


「ベッカー殿。あなたの身柄は現在、連盟の保護下にある。連盟規約第十二条に基づき、証言協力者の安全は連盟全体で保障される。――これは法的拘束力を持つ文書だ」


 ベッカーの目が、わずかに動いた。


「……保護?」


「そうだ。加えて、あなたが裏帳簿に関する完全な証言を行った場合、連盟として王都の司法院に減刑嘆願を提出する。横領の実行者ではなく、強制された記録係としての立場を主張する根拠は、こちらで整える」


 ユリウスの声には、皮肉も冷たさもなかった。法律家が、法律で人を守ろうとしている声だった。


 ベッカーは粥の椀を両手で握りしめたまま、長い間黙っていた。


 やがて――椀を置いた。


「……話す」


 声が震えていた。


「裏帳簿の本体は焼かれた。半分以上。でも――写しがある」


 ユリウスの目が光った。


「写し?」


「あの帳簿の完全な写しが、もう一部ある」


 ベッカーは唇を()んだ。次の言葉を出すのに、目に見えて勇気が要っていた。


「王都の――第二宰相邸の金庫に」


 沈黙が落ちた。


 第二宰相邸。グレゴールの本拠。敵の懐の中に、敵を滅ぼす証拠が眠っている。


 ユリウスが最初に反応した。


 唇が薄く開き、すぐに引き結ばれた。


 法務官の頭が高速で回転しているのが――後で聞いた話からでも伝わった。


 あの帳簿の完全な写しがあるなら、御用商会の不正だけでなく、第二宰相派そのものを司法の場に引きずり出せる。


 ユリウスにとって、それは喉から手が出るほど欲しい一手のはずだ。



 リオは違う反応だった。目を細め、低く息を吐いた。


「……敵の金庫の中、か。最高の証拠が、最悪の場所にある」


 商人の目だった。利益の大きさと、それを取りに行くコストを同時に計算している目。


「なぜそんなところに」


 リオが問うた。


「第二宰相派が御用商会の横流しを管理していた。帳簿の写しは彼らの――取り分の記録でもある。私が写しを作ったのではなく、彼らが要求したんだ。自分たちの利益を正確に把握するために」


 つまり、裏帳簿の写しは第二宰相派自身が保管している。自分たちの不正の証拠を、自分たちの金庫に入れて。


 皮肉な話だ。泥棒が自分の犯行記録を几帳面(きちょうめん)につけている。


「それを回収できれば――」


 ユリウスが低く(つぶや)いた。


「御用商会の全容だけじゃない。第二宰相派が組織的に横流しに関与していた決定的証拠になる」


 王都に眠る爆弾。


 ただし、回収するには王都に手を伸ばす必要がある。今の連盟にその力はない。まだ。


―――


 ベッカーの証言を記録し終え、護衛をつけて別室に移した。


 それから半刻ほど経った頃だった。日が西に傾き始め、配給の列もようやく短くなってきた頃――城門の外から(ひづめ)の音が近づいた。


 早馬。


 カイが城門の外に出て、受け取った。


 書簡を一読し――カイの表情が変わった。


 あのカイの表情が、だ。


「報告」


 短い。いつもより、さらに短い。


「グレゴール。私兵三百。南下開始。推定到着――七日」


 沈黙が落ちた。


 リオが最初に声を出した。


「……マジか」


「カイ、情報源は?」


 ユリウスが確認する。


「王都の協力者。第二宰相邸に出入りする商人筋。私兵の糧食と馬匹の大量発注を察知――出立の二日前に早馬を発した。信頼度――高い」


 カイが王都に独自の情報網を持つことは、もう周知の事実だ。その情報が外れたことは、これまで一度もない。商人筋の情報は、軍事の正面からではなく兵站(へいたん)の裏口から入ってくる。だからこそ正規の諜報(ちょうほう)より早い。


 私兵三百。


 正規軍ではない。第二宰相派が個人的に雇い、個人的に動かす武力。王命を経ていない――つまり、公的には存在しない軍勢。


 軍事顧問が逃走して王都に報告を持ち帰った。隣領がミチカ側の連盟に加盟したことを知ったグレゴールが、ついに実力行使に出た。


 レオンが静かに言った。


「七日。準備には――足りる」


「足りるかどうかじゃない」


 ユリウスが首を振った。


「連盟として初めての防衛戦だ。しかも同時に、王都に眠る帳簿の写しを回収する手段も考えなければならない」


 二正面作戦。


 軍事と情報。南からの武力と、北の王都に眠る証拠。


 五人が顔を見合わせた。


 ミチカはいない。体力値二で、ベッドの上だ。


 でも――制度はある。


 代行委任状がある。連盟規約がある。配給基準がある。引渡し条項がある。合議制がある。


 一人の天才がいなくても動く仕組みを、あの子は作っていた。


「……合議を開く」


 ユリウスが言った。


「議題は二つ。私兵三百への防衛体制の構築。そして王都の帳簿写し回収のための工作方針」


 レオンが頷いた。


「受けよう」


 リオが腕を組んだ。


「乗った」


 ノアが静かに言った。


「必要な情報は(そろ)っている」


 カイが一言だけ。


「――了解」


 城門前では、まだ配給が続いていた。


 飢えた民が粥を受け取り、子供が泣き止み、老人が頭を下げる。


 制度が、人を救っている。


 属人ではなく、仕組みが。


 ミチカ。あなたが目を覚ましたら、きっとこう言うのだろう。


「報告を」と。


 大丈夫。報告できる成果を、必ず作っておく。


 ――七日後、私兵三百が来る。


 連盟が試される日が、迫っていた。

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