第49話:車椅子の領主
体力値十二。
……え、減ってる。昨日は十四だったのに、さらに二つ減ってる。
原因? 寝てないから。あと緊張で胃が痛いから。あと、ミナに支えられながら廊下を歩いてるだけなのに足が震えるから。体力値って歩行で減るの? 減るんだよなぁ。このクソ仕様。
「ミチカ様、もう少しゆっくり……」
「大丈夫。止まったら二度と動けなくなる気がする」
嘘じゃない。体力値十二の体感って、四十度の熱が出た日に期末テストを受けに行くのに近い。関節が全部錆びてて、視界がときどき白く飛ぶ。前世の記憶で例えるなら、インフルエンザの解熱直後に体育のマラソンを走らされた、あの感じ。
ただし今日の会場は体育館じゃない。
領庁舎の大広間。公開監査の場。
扉の前に立った瞬間、中から聞こえてきたのは監査団長の声だった。
「――領主不在のまま監査開始時刻を過ぎた。これは統治放棄と見なし、弾劾手続きに――」
三秒。
ノアが言っていた。監査団長は開始三秒で不在弾劾を宣言するつもりだと。ユリウスの推測では、弾劾宣言の後に冤罪告発状を叩きつけ、不在のまま有罪を確定させる段取り。
だから。
「開けて」
レオンが扉を押し開けた。
朝の光が差し込む大広間。正面に監査団長と随員五名。左手に領民の傍聴席、百人以上がひしめいている。右手にユリウスが代行者として着席し、リオが補佐席に。
そして――扉の向こうから現れた私を見て、会場が凍った。
椅子に座ったまま。ミナが押す簡易の台車に乗せた木椅子。車椅子なんて洒落たものはこの世界にないから、荷物用の台車を改造した。見た目は正直ダサい。でも立てないものは立てない。
「……領主ミチカ、出席します」
声が、震えなかったのは奇跡だと思う。
監査団長――髭面の中年男、名前はシュヴァルツ――の顔が、一瞬だけ歪んだ。たぶん怒りじゃない。計算が狂った焦り。
不在弾劾、開始三秒で瓦解。
「アルブレヒト殿」
私が名前を呼ぶと、傍聴席の最後列から長身の男が立ち上がった。第一宰相派勅使アルブレヒト。彼がここにいる理由は一つ。
「王都公印を持つ第三者として、領主の医療証明を提出いたします」
アルブレヒトが巻物を広げる。王都の蝋印、医療官の署名、そして領主の健康状態が「重篤」と記された公式文書。
ユリウスが立ち上がった。
「監査規定第十七条、尋問延期条項に基づき――本監査は『出席制限付き公開監査』として実施することを申請します。
領主は出席しておりますので弾劾の要件を満たしません。
同時に、健康上の理由から領主への直接尋問は制限されます。
証拠の提出と検証は通常通り行い、領主側の応答は代行者が務めます」
前例がない。
でも、前例がないことは違法じゃない。ユリウスが三日かけて書き上げた法的根拠は、既存の条文の組み合わせで隙がない。
シュヴァルツ監査団長の目が細くなった。
「……認めましょう」
認めるしかない。アルブレヒトの王都公印がある以上、医療証明を無視すれば監査団自体の正当性が崩れる。
第一関門、突破。
体力値、十一。椅子に座ってるだけなのに減った。やめて。
―――
「では、本題に入ります」
シュヴァルツが卓上に羊皮紙の束を置いた。
冤罪告発状。来た。
「当監査団は、領主ミチカによる領内穀物の私的横領、および民への不当徴発に関する告発を受理しております。証拠書類一式と証人を提出します」
領民席がざわついた。横領? 徴発? 飢饉を救った領主が?
ユリウスが眼鏡の位置を直した。この人、緊張すると眼鏡を触る癖がある。でも声は完璧に平静だった。
「標準書式に基づき、証拠の公開検証を要求します。告発状の根拠となる物証を一点ずつ提示し、傍聴人の前で検証する形式でよろしいですね?」
公開。これが鍵。密室でやられたら終わりだけど、領民の目がある場所なら、嘘は通りにくい。
「証人を呼びます。エルヴィン」
会場の横扉が開き、エルヴィンが入ってきた。
……久しぶり。追放したはずの元管理官。第二宰相派の随員として戻ってきた男。彼の顔には、以前の傲慢さとは違う――なんだろう、確信に近い表情があった。
ステータスオープン。
エルヴィン。忠誠値:対象なし。ストレス値:六十二。嘘反応――
灰色。
赤でも白でもない。灰色。
これ、前に一度見たパターンだ。嘘をついているんじゃない。偽の情報を本当だと信じ込んでいる。本人は真実を語っているつもりだから嘘反応が出ない。でも情報自体が偽物だから、白にもならない。
灰色証人。第二宰相派の工作手法。単純な偽証者を送り込むんじゃなくて、偽情報を信じ込ませた「善意の証人」を使う。たちが悪い。
「エルヴィン殿。あなたが目撃したという横領の具体的な日時と場所を述べてください」
ユリウスの質問に、エルヴィンが淀みなく答える。日付、倉庫の番号、搬出された穀物の量。具体的で、詳細で、そして――全部、偽造された記録に基づいている。
本人は嘘をついていない。だから堂々としている。
でも。
「ユリウス」
私は小さく声を出した。代行者への指示は認められている。
「その証言の情報源を確認して」
ユリウスが頷いた。
「エルヴィン殿。その日時と数量は、何を根拠に記憶されていますか? 直接目撃ですか、それとも書類で確認しましたか?」
エルヴィンが一瞬だけ間を置いた。
「……書類だ。監査団から提供された調査報告書に基づいている」
会場がまたざわめいた。直接目撃じゃない。監査団が渡した書類を読んで「これが事実だ」と信じている。
ユリウスが傍聴席に向かって言った。
「証人は直接の目撃者ではなく、監査団から提供された二次資料の朗読者に過ぎません。証拠能力について異議を申し立てます」
シュヴァルツの顎が引き締まった。でも、まだ余裕がある顔。
そう。これは前座だ。本命はまだ――
「では、物証を提出しましょう」
シュヴァルツが二枚目の羊皮紙を取り出した。
偽造徴発令。
私の名前で発行された、領民への穀物徴発命令書。署名も印章も精巧に模造されている。
「領主ミチカの名において、収穫の三割を領主私邸に徴発するよう命じた文書です。日付は先月二十日」
領民席がどよめいた。三割? あの飢饉の後に?
信用値が揺れるのが、ステータス越しに見えた。領民たちの不安が数値になって跳ねている。
まずい。これは横領の告発より効く。「領主が民から奪った」という物語は、飢饉の記憶がある領民には致命的だ。
その瞬間――会場の窓の外で、小さな光が三回瞬いた。
カイの合図。
意味は「護衛に動きあり」。
レオンが私の横で微かに体の角度を変えた。視線が会場入口の護衛二人に固定される。シュヴァルツの護衛――暗殺経験者が紛れているとカイが特定していた連中。
「配置変更。ミナ、右に寄って」
レオンの声は低く、短い。ミナが私の椅子ごと右に半歩ずらす。レオン自身は左に移動し、入口からの直線上に自分の体を置いた。
盾になっている。
……ありがとう。でも今は、そっちじゃなくてこっち。
「その文書を検証させてください」
私は声を上げた。出席制限形式では領主の発言は制限されるけど、自分の署名が使われた文書の真贋確認は当事者権限で認められる。ユリウスが事前に条文を確認済み。
「インベントリ」
シュヴァルツの手から徴発令を受け取り――目視して、格納。
インベントリに物を入れると、重量と形状の情報が表示される。これは最初期から使っている基本機能。でも今日、この場で使う意味は違う。
格納情報が浮かぶ。
重量:四十二グラム。素材:羊皮紙。繊維密度:高。鞣し工程:硫酸鉄系。産地特性――
「この羊皮紙は領内産ではありません」
声が、会場に響いた。
「当領の羊皮紙は石灰鞣しです。硫酸鉄系の鞣し工程は王都近郊の工房でしか使われていない。重量と繊維密度も領内の標準規格と一致しません」
インベントリから徴発令を取り出し、卓上に置く。
「領主が領内で発行した命令書が、なぜ王都産の羊皮紙に書かれているんですか?」
沈黙。
領民席から、誰かが「偽物じゃないか」と呟いた。その声が波紋のように広がる。
シュヴァルツの顔から余裕が消えた。
偽造徴発令、崩壊。
インベントリの格納情報を証拠鑑定に使ったのは、これが初めてだ。公的な場での使用実績。ユリウスが記録係に目配せし、この手法が議事録に正式に記載されるのを確認している。
前例は、作るものだ。
体力値――十。
―――
告発状の第一波が崩れた。灰色証人は証拠能力を否定され、偽造徴発令は産地偽装が露呈した。
勝った?
いや。シュヴァルツの目を見ればわかる。まだカードがある。
「……結構。では、本物の証人を呼びましょう」
その声に、背筋が凍った。
会場の入口が開く。
連行されてきたのは――ベッカー。元御用商会の経理人。冤罪告発状の筆跡と裏帳簿の筆跡が一致する、生きた証拠。
リオが確保するはずだった。フリードリヒとの密約で、ベッカーの身柄はミチカ側に引き渡される手筈だった。
なのに。
ベッカーの隣にいるのは、フリードリヒの使者だった。
使者の胸には、隣領の紋章。でもその目は――シュヴァルツを見ていた。監査団長に対する、従属の目。
リオの密約が、出し抜かれた。
フリードリヒが裏切ったのか。それとも第二宰相派が隣領の奥深くまで手を回していたのか。どちらにしても――
「ベッカー殿には、領主の横領に関する直接証言をしていただきます」
シュヴァルツが宣言した。
灰色証人じゃない。偽造文書でもない。裏帳簿の全容を知る生き証人が、敵の手で連行されてきた。
最悪のカードだ。
視界が白く飛んだ。一瞬だけ。ミナの手が私の肩を支えている。
ステータスを確認する。
体力値――七。
一桁。
ゲームなら赤点滅。次のターンまで持つかどうかも怪しい数値。
でも。
椅子の肘掛けを握った。爪が白くなるほど強く。
まだ、座っている。まだ、ここにいる。
ベッカーの証言が始まる前に、私の意識が持つかどうか。
――このとき、私はまだ知らなかった。ベッカーが語る「真実」が、リオの密約どころか、第二宰相派の計画すら超えた、もう一つの物語を含んでいることを。




