第48話:出席制限付き公開監査
夜明け前の作戦室は、蝋燭五本分の明かりしかない。
……と、思ったそこのあなた。正解です。体力値十五のミチカさん、ベッドから作戦室まで歩いてくるだけで体力値が一つ減りました。現在十四。ゲームならラスボス前にポーション切れた状態。笑えない。
「却下です」
ノアの声が、蝋燭の炎より先に空気を揺らした。
私が「監査の場に出る」と宣言してから、まだ三十秒も経っていない。最速の反対票。さすが医療班長、診断が早い。
「体力値十四。ストレス値九十。この状態で公の場に立てば、最悪意識を失います。倒れた領主を監査団の前に晒すことが、どういう意味を持つか」
ノアの言葉は短い。でも一語一語が釘みたいに刺さる。
倒れた領主。それは「統治能力なし」の物証になる。弾劾を防ぐために出て、弾劾の根拠を与える。本末転倒。わかってる。わかってるけど。
「出なければ弾劾される。出れば倒れる。……詰みじゃないですか、それ」
リオが腕を組んで天井を見上げた。商人らしくない、困り顔。
「詰みではない」
レオンが一歩前に出た。
「俺が護衛する。移動は輿を使い、着席のまま監査を受ける形式にすれば、体力の消耗は最小限に抑えられる。出席は可能です」
護衛可能。レオンらしい回答。でもノアが即座に首を振る。
「問題は移動ではありません。尋問です。監査団長はミチカ様を直接尋問する権限を持っている。質問に答え続ける精神的負荷が、この数値では致命的です」
「だから代行体制を――」
「代行者への尋問では弾劾を防げない。レオン、あなたもそれはわかっているはずだ」
沈黙。
レオンが拳を握った。握って、開いて、また握った。
……ああ、この空気。会議が割れてる。完全に。
ノアとレオン。医療的見地と軍事的見地。どちらも正しい。どちらも正しいから噛み合わない。
「――法的に整理しましょうか」
ユリウスが羊皮紙を広げた。蝋燭の光で文字が浮かぶ。
「現行法において、監査団長は領主への直接尋問権を持つ。これは事実。しかし同時に、領主尋問権には健康状態による延期条項が存在する」
尋問延期条項――ユリウスが掘り出した法の穴。
「適用条件は?」
「王都公印を持つ第三者による医療証明。つまり、ノアの診断書だけでは足りない。王都の権威が裏書きする必要がある」
王都公印。
全員の視線が、一瞬だけ同じ方向を向いた。
第一宰相派勅使アルブレヒト。まだ領内に滞在している。あの人なら王都公印を持っている。
「……アルブレヒト殿に医療証明への署名を求める。それで延期条項を発動し、尋問を制限する。ただし」
ユリウスが指を一本立てた。
「延期条項の発動は『出席しない』場合にのみ有効。つまり、出席するなら尋問を受ける義務が生じる。出席しつつ尋問を拒否する――この二つは法的に両立しない」
「……じゃあやっぱり詰みじゃん」
リオが眉を寄せた。
「いや」
ユリウスの目が光った。皮肉屋の目じゃない。法律家の目。
「両立しないなら、両立させる制度を作ればいい」
出た。ユリウスの十八番。法の穴を見つけるんじゃない。法の穴を作る。
「提案します。『出席制限付き公開監査』。領主は監査の場に出席し、姿を領民に見せる。ただし医療証明により尋問は代行者が応答する。領主の存在は確認できるが、直接の尋問は健康回復まで延期される」
「……前例は?」
「ない。だから作る」
ユリウスが羊皮紙にさらさらと書き始めた。
「ノアの医療証明で『出席は可能だが長時間の問答は医療上禁忌』と記載する。アルブレヒト殿の王都公印でこれを裏書きする。監査団長が尋問を強行すれば、王都公印付きの医療禁忌を無視したことになり、手続き違反で監査自体の正当性が崩れる」
「……視察、ね。いや、これは制度設計か」
リオが身を乗り出した。
「待って、それ領民にはどう映る? 病身の領主がわざわざ出てきた、って映るなら効果は高いよ。数字出すね」
リオが帳簿を開いた。ここ数日の領民感情の数値変動。ステータスで追跡していた信用値の推移。
「代行体制発動後、領民信用値は二ポイント下がった。『領主様は大丈夫なのか』って不安が数字に出てる。でも、ミチカ様が公の場に姿を見せた場合のシミュレーション――過去の巡回視察時のデータから推計すると、信用値は五から八ポイント回復する」
数字は嘘をつかない。出席の効果は、感情論じゃなくてデータで裏付けられる。
「つまり、出席しつつ尋問を制限する。姿だけ見せて、実務は代行者が対応する。ノアの医療証明とアルブレヒトの王都公印で制度的に守る。……これなら」
いける。
いけるかもしれない。
そう思った瞬間だった。
「――護衛に一人、暗殺の経験者がいる」
カイの声。
作戦室の空気が凍った。
カイは壁際に立っていた。いつからいたのか。いや、最初からいた。いたのに、存在感がなかった。それがカイという人間だ。
「監査団長の護衛、六名。うち一名、王都の裏仕事を請け負う傭兵崩れ。名はクルト。過去に二件、暗殺への関与が疑われている」
短い報告。でも、その意味は重い。
出席は弾劾を防ぐだけじゃない。身体的な危険を伴う。
「……まさか、監査の場で?」
「不明。だが、配置されている以上、想定すべき」
カイの言葉に感情はない。事実だけ。でもその事実が、さっきまでの議論を根底からひっくり返す。
制度で守れても、刃物は制度で止まらない。
沈黙が落ちた。
ノアが目を閉じた。レオンの拳が白くなった。ユリウスのペンが止まった。リオが帳簿を閉じた。
五人が五人とも、言葉を失っている。
そのとき――
「ミチカ様が倒れたら、制度も何もないです!」
ミナだった。
作戦室の扉が開いていた。いつから聞いていたのか。ミナの目は赤かった。泣いていた。泣きながら、叫んでいた。
「書式も、法律も、数字も、全部ミチカ様がいるから動くんです。ミチカ様が倒れたら――倒れたら――」
声が震える。でも、止まらない。
ミナは初めてだった。作戦会議に割り込むなんて。いつも遠くから見守っていた子が、前に出てきた。
……ああ、そうか。
ミナの言葉は、この場にいる全員が心のどこかで思っていて、でも口に出せなかったことだ。
制度は人を守る。でも、制度を作る人が壊れたら、全部終わる。
全員が黙った。
私は――深呼吸した。一回。二回。
そして、ステータスオープン。
自分の数値を、全員に見せた。
体力値:十四。
ストレス値:九十一。
精神耐久:危険域。
推定活動限界:四十八時間。
「これが私の現在値です」
声が震えないように。領主として。
「見ての通り、私は壊れかけています。ミナの言う通り、私が倒れたら全部終わる。だから――」
全員の顔を見た。ノア。レオン。ユリウス。リオ。カイ。そしてミナ。
「だから、制度で私を守れ。命令です」
これは弱音じゃない。
「助けて」でもない。
私が壊れないための仕組みを作れ、という指示。統治者として出せる、最も合理的な命令。
……のつもりだったんだけど、正直ちょっと泣きそうだった。体力値十四の人間に威厳を求めないでほしい。
「――了解」
最初に動いたのはノアだった。
「医療証明の文面を修正します。出席可能時間の上限を設定し、超過した場合は医療権限で退席させる条項を入れる」
「護衛配置を再設計する」
レオンが続いた。
「クルトの動線を制限する席順を提案します。ミチカ様の三メートル以内に監査団護衛を入れない配置を、監査規則として明文化する」
「商人ギルドの立会人枠を使って、領民代表を監査の場に入れる」
リオが指を鳴らした。
「百人の目の前で暗殺なんてできない。人の壁が最強の盾だよ」
「クルトの監視は俺が」
カイが短く言った。それだけで十分だった。
「では私は、これら全てを一つの制度設計に落とし込みましょう」
ユリウスが新しい羊皮紙を取り出した。
「『出席制限付き公開監査』。出席時間の上限、尋問の代行応答、護衛配置の制限、領民立会い。全てを一つの書式にまとめ、アルブレヒト殿の王都公印で正式な手続きとする」
五人が動き出した。
ばらばらだった意見が、一つの設計図に収束していく。
これだ。これが代行体制の本当の意味。領主を代行するんじゃない。領主を守るための制度。
……って、感動してる場合じゃなかった。
問題がもう一つある。
「アルブレヒト殿の署名、タダでは貰えないでしょう」
ユリウスが眉を上げた。わかってる。第一宰相派は慈善団体じゃない。
案の定、アルブレヒトとの交渉は一筋縄ではいかなかった。
――というか、アルブレヒト殿、朝の四時に叩き起こされたのに身なりが完璧なのはなぜ? 王都の人間、寝てる時も正装なの?
「医療証明への署名。喜んで協力いたしましょう」
アルブレヒトは微笑んだ。穏やかな、でも計算高い微笑み。
「ただし、一つ条件がございます。先日締結した救援密約に、追加条項を加えていただきたい」
来た。
「内容は?」
「『王都のある方が軍事的脅威に晒された際、辺境からの物資・人員の支援を制度として保証する』――という一文です」
軍事的協力。
救援密約の範囲が、物資だけじゃなくて人員にまで広がる。つまり、王都で何か起きた時、うちの領から兵を出せという話。
第一宰相派、最初からこれが狙いだったのか。辺境に恩を売って、将来の戦力にする。
……まあ、わかってた。タダで動く政治家はいない。問題は、この条件を飲めるかどうか。
「ユリウス」
「条項の文言次第です。『支援の範囲と期間を個別協議で定める』という留保を入れれば、白紙委任にはならない。飲めます」
「リオ」
「物資の支援は既存の物流網で対応可能。人員は……正直きついけど、交渉の余地はある。留保付きなら賛成」
「レオン」
「治安隊の現有兵力では王都への派兵は不可能です。ただし、将来的に連盟規模の共同軍が編成されるなら――」
「先の話ね。今は署名が先」
私はアルブレヒトを見た。
「追加条項を受け入れます。ただし、支援の範囲と期間は個別協議で定める留保を付けます」
「――賢明なご判断です」
アルブレヒトがペンを取った。
医療証明に、王都公印と署名が刻まれる。
これで尋問延期条項が発動できる。出席制限付き公開監査が、制度として成立する。
……代償は、王都の政争に巻き込まれる可能性。でも、今この瞬間を生き延びなければ未来もない。
コスパ計算、合格。たぶん。
アルブレヒトが退室した後、ユリウスが最終設計をまとめ上げた。
出席時間:最大一刻(約二時間)。
尋問:代行者が応答。領主への直接質問は医療禁忌により不可。
護衛配置:領主から三メートル以内に監査団関係者の立ち入りを禁止。
領民立会い:商人ギルド枠で百名の傍聴を認める。
「『出席制限付き公開監査』。前例なし。でも、これが先例になる」
ユリウスが署名した。レオンが署名した。リオ、ノア、カイ。
五人の署名が揃った。
五つの声が、一つの答えになった。
――そして。
「ミチカ様」
ノアが私の前に立った。
「現在の体力値を」
ステータスオープン。
体力値:十二。
……あれ? さっき十四だったのに。二時間の会議で二も減った。
「監査まであと三日。動くな」
ノアの声は静かだった。でも、有無を言わせない響きがあった。
「ベッドから出ることを禁じます。食事と睡眠以外の全ての活動を制限します。これは医療権限に基づく命令です」
「……了解」
逆らえない。体力値十二。これ以上減ったら、監査の場に座ることすらできなくなる。
「ミナ」
ノアがミナを見た。
「ミチカ様の傍にいてください。あなたがいる時だけ、ストレス値が下がる」
ミナが目を丸くした。
「わ、私が……?」
「数値で確認済みです」
ノアは淡々と言った。でも、その淡々さの奥に、信頼があった。
ミナが私の隣に来た。小さな手が、私の手に触れた。
温かい。
……ステータスを確認する。ストレス値が、九十一から九十に下がった。たった一。でも、この世界で私のストレスを下げられるのは、ミナだけだ。
「ミチカ様、大丈夫です。みんながいます」
「……うん」
大丈夫。制度がある。仲間がいる。
体力値十二でも、まだ戦える。
目を閉じた。体力値十二の体が、ようやく弛緩していく。
窓の外で、馬蹄の音が一つ。急を告げるように、速い。




